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おきプロNEXTに全国から1500人集う!!
~青年が沖縄の歴史と今を学び、交流を深めた3日間~
(区職労ニュース2014年6月23日付)
 6月13日~15日、全国の自治体関係職場で働く青年が集う「おきなわプロジェクトNEXT(おきプロNEXT)」が沖縄で開催されました。全国から1500人、豊島区職労からは8人が参加しました。
 おきプロNEXTは「大きな輪でつながろう」をテーマに、沖縄の歴史や文化、基地問題などの現状を学ぶことや、自治体関係職場で働く青年の交流を深めることなどを目的に開催されました。


ガマと嘉手納基地見学で沖縄の歴史と今を学ぶ

 東京からは150人が参加したため、1日目(13日)は4つの班に分けて、ガマと基地見学をおこないました。昼食後、豊島区職労の班では、糸洲の壕(ウッカーガマ)を見学。「ガマ」とは沖縄にある石灰岩で形成された鍾乳洞のことで、沖縄戦で住民や日本兵の避難場所、野戦病院として利用された場所です。糸洲の壕は、米軍が上陸した1945年3月から約2ヶ月、周辺住民が避難場所として利用してきましたが、5月下旬、日本軍が使用するという理由で住民はガマから追い出されました。その後、野戦病院もガマへ入り、6月26日の夕方に解散命令が出ました。その時、隊長は「決して死んではいけない、必ず生きて家族のもとに帰りなさい」と言い、ガマのなかにいた大半の人が米軍の捕虜となり、助かったといいます。
 その後、「道の駅かでな」から米軍嘉手納基地を見学しました。嘉手納町は第二次大戦前、北谷村(現北谷町)の一行政区でありましたが、米軍嘉手納基地の構築によって村域が分断されたため、昭和23年12月に人口3,879人をもって分村。総面積15.04k㎡の約83%に相当する12.46k㎡が米軍基地となっています。そのため残されたわずか2.58k㎡の狭あいな地域に13,700人余の町民がひしめきあった生活を余儀なくされており、生活環境をはじめ、都市基盤の整備や産業の振興をすすめる上で大きな制約となっています。
 ガマと嘉手納基地の見学により、沖縄の歴史と今を知る貴重な機会となり、戦後69年経った今も、沖縄戦が多くの県民に苦難を与えていることを感じました。


歴史を学ぶことで、今と未来は変えられる!

 1日目の夜は、全国の青年たち1500人が一堂に会する開会企画が開かれ、東京の仲間、全国の仲間と大いに交流を深め、また、2日目(14日)は、10コースに分かれて分科会を開催、豊島区職労の参加者は平和・自然・食を各自が選び、沖縄の歴史や文化、自然に触れてきました。
 2日目のファイナルイベントでは、沖縄県名護市長の稲嶺進市長が今後の自治体のあり方などをテーマに講演。「辺野古の海にも陸にも新基地を造らせないという信念をもって頑張っていく。大きな支援の輪を広げてほしい」と1500人の参加者に連帯を呼びかけました。
 稲嶺市長は「歴史を学ぶことで、今と未来は変えられる」と参加者にメッセージを送りました。おきプロNEXTを通じて、全国に仲間がいること、その仲間とつながることの楽しさと大切さ、沖縄の歴史と今を学ぶことにより、住民の命とくらしを守るという自治体職員としての役割をあらためて認識したことなど、多くのことを得た3日間となりました。誰もが安心して暮らせる今と未来をつくるために、おきプロNEXTに係わった青年たちが力を発揮することが期待されます。
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