第19回 海外の生活と教育を考える会 概要
(2000年6月15日(木) 14:00〜16:30 於:国際文化フォーラム)

テーマ:
異郷こそ わがふるさと---「海外子女」でも「帰国子女」でもなく、
                       
ただ越境するアイデンティティ---
 * 出席 26名。話題提供=古家 淳
ルーツ・インターナショナル 副社長
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開会挨拶=曽我部 泰三郎 (元 東京銀行)、司会=嶋田 進 (元 三菱商事)

T.講話の概要

(1) 帰国子女から見た帰国子女教育(自分史の中で)
1970年代の帰国子女教育は、「帰国子女を日本にどう適応させるか」 が主題だった (いわゆる“外国剥がし”によって日本の教育システムに載せていこうというもの)。 自分は海外の日本人学校から国内の高校を直接受験することが初めて認められた一期生世代だが、いつも 「自分はアウトサイダーだ」 と思っていた。 高校時代の友人は今でも 「お前は変な奴だった」 と言う。 自分としては、好き勝手にしていたつもりだし、「ここで、どうやったら快適にやれるか」 を いつも考えていた。
大学3年の時、袰岩ナオミさんに出会い、帰国子女による “Study & Support のネットワーク” である メタ・カルチャーの会 がスタートした。「自分たちの立場で帰国子女の問題を考えていこう」 というもので、当時は随分、注目もされた。 その時のナオミさんの 「帰国子女が問題であるというのは、誰にとって、何が、どういう問題なの?」 という提議は、核心を突いていた。 1983年に横浜で 「メタ・フォーラム’83」 を開催したが、ナオミさんは “適応戦略(ストラテジー)” について修士論文を発表した。 日本流の暮らし方を身につけるために、自分を “削って” 日本の形に合わせるのか、自分を “膨らせて(何かを付け足して)” 日本の形に近づけていくのかを対比してみせた。
「海外子女」 だった時、僕は異邦人だったし、「帰国子女」 になった時も やはり異邦人だった。 異邦人が自分の “居場所” を獲得していく場合、@完全に自分を捨て、そこの伝統文化に乗り換える、A“主流”(main-stream) に入らなくてよい と割り切る、B “安住の隙間・穴”(niche) を自分で見つける、C「そこ どいて」 「ここ少し譲って」 と言いながら場を確保していく、 など様々な形を取ることが考えられる。
僕自身は、「自分に自然に。周囲に素直に (受け入れてもらう)」 をモットーにしてきたが、考えてみれば、これは帰国子女や異邦人に限らず、障害者や働く女性など “少数派” が 社会に関わろうとする時にも、共通して起こる問題なのである。
ここ20年間で日本社会も随分と変わり、帰国子女が生き抜くのは楽になってきている。 「各々が異なる文化を持っている」 と言っても、受け入れられる時代になった。 今、30歳以下の帰国子女(渡航前から在外中、そして帰国後までレールが敷かれ、体制が整えられた中で育ってきた) は、30代から上の元帰国子女と明らかに違う。
進むべきレールもない、周囲にモデルがない状況で自分の生き方を見つけ出すしかなかった僕たちは、否応なく自分と向き合い、自分を探し回る経験ができた 幸運な世代なのかもしれない。 帰国子女の特性とされる個性や自己主張の強さ、生意気、柔軟さ等は、何も 「外国で育ったから」 ではなく、辛い思いをして生きてきた人たち(複雑な家庭環境・いじめ・病気・障害などで) に共通して備わっているようだ。

(2) 帰国子女教育・異文化間教育の最先端
わが国で帰国子女教育は、ずっと 「日本独特の問題」 とされてきたが、実は違う。 「第三文化の子供(TCC, TCK)」 「地球規模の放浪者(Global Nomad)」 「宣教師の子女(Missionary Kids)」 「国防省子女(DOD-Kids)」 など、帰国子女教育の問題は研究が進められてきている。 但し、文部省に一つの課ができ、財団が設立されるなど、こんなに取り上げられたのは、日本だけである。 ところが、帰国子女教育の専門家で英語の文献をチェックしている人はない。 インターネットで調べると、わずかに大学の国際理解教育関係者の研究会(異文化間教育訓練研究所SIETAR) が追いかけている程度であるが、海外での研究は、国内より数年は先行している。
文化的な境界付近 ---異文化間訓練におけるアイデンティティの問題(J.M.ベネット著)では、異文化の中で生きていく対処法を、“殻に閉じこもる”方向と “建設的な”方向と対比して説明している。 前者は 「文化移動による崩壊」 「境界を見失う」 「判断が困難」 「疎外感」 「自己陶酔」 「どのグループにも属さない」 「自意識過剰」 「曖昧さに混乱」 「寛げない」 となり、後者は 「自分は特殊と思う」 「境界をわきまえる」 「自分で判断」 「精力的に接触」 「何が本物かを大事にする」 「アウトサイダー同士の仲間」 「自他を相対化」 「意識して選択」 「複雑さを楽しむ」 「いつも寛いでいる」 となる。
文化のWeb --- 複合文化の世界で効果的に生きるための七段階(J.H.ワシレフスキー著) では、まず「自分を変えない」 「合わせていく」 「足し算(カバンを増やす)」 「引き算(相手に合わせもせず自分を捨てる)」 「混ぜる」 「全く新しいものを作る」 の 6つの生き方・やり方を紹介した上で、次の7段階を提示する。 6つの生き方には 「優劣はない」 「進化もない」 「やり易い/やり難いはある」 「価値判断とは関係ない」 「前のやり方を踏襲しなくてよい(別の局面では別の方法でよい)」 「場に適っているか=自分の能力と周囲の状況に効果的か」 「自分で決めた方がよい」 「周囲も変わっていくべき」。
ここまでくると、異文化どころか、コミュニケーションの基礎理論と ほぼ等しくなってくるが、「人は皆、異なっている」 という視点に立てば、毎日が異文化接触 なのだから、当然の成り行きでもある。 大事なのは、その視点に立つことなのだ。

(3) 異郷こそ わがふるさと
今年15年振りにニューヨーク(以下「NYC」と略す) に行ったが、とても居心地が良かった。 懐かしいというのではなく、妙に落ち着くのだが、周囲が異邦人ばかりであることに気がついた。 聞こえてくるのは スペイン語・韓国語・中国語・イタリア語・フランス語・ポルトガル語・フランス語・ドイツ語・ヘブライ語…… 顔を見ても何語を話すのか、どこから来た人なのか分からない。 『私情つうしん』 創設時の盟友である大山智子さんいわく、「(クィーンズは)NYCからアメリカを引き算した町」 だそうだ。 この町に住んでいるのは、誰もが異邦人でマイノリティだから、「あなたは どこが私と違うの?」 と聞かれるし、“あなただけのもの” を問われる。
NYCが個人のアイデンティティを問うのに対し、日本ではグループのアイデンティティ(出自・身元など) を問われる。 日本にいると 「ここが あなたとの共通点だ」 と言って、初めて会話が成立するように思う。 それが息苦しい。 『月刊・海外子女教育』8月号に、『The Global Soul』 という本を紹介するが、著者のピコ・アイア(インド系の英国育ち。タイムズの記者) は変わった人で、“故国” が自分でもよく分からない。 各国を放浪する内に、なんと奈良県の田舎に “安住の地(Home)” を見つけてしまう。 「見慣れたものの中にいると 居心地が悪い」 といい、自分を全くの “よそ者” としてくれる “Home” が最もエキゾチックな場所という。 僕にとっては、それがNYCなのだ。 誰にとってもそこが 「ふるさと」 ではない町…… まるで空港のロビーのように、どこから来て どこへ行くのかも分からない人に満ちている。 そこで一番の関心事は 「相手はどういう人なのか」 であり、何かのはずみで気が合えば、しばらく縁が続く。
日本で語られる海外・帰国子女教育、あるいは 「異文化」や 「国際」 といった話題は、今でも かなり “国” に囚われているようだ。確かに日本も変わりつつあり、先ほど30歳以下の帰国子女は比較的円滑に “日本に戻れている” と言ったが、“文化をまたぐ” ことの意味はどうなるのだろうか? 最近、日本の文化がある意味で壊れ始めている(指針がなくなってきている) のを感じる。 経済的要因も加わって、社会の指針がなくなる事態……「自分が自分であること」 を要求されるようになると、若い帰国子女の中には、そうしたことに不慣れな人がいるかもしれない。

U.自由協議の概要(主なもの)  は話題提供者、 Q, F は参加者の発言


ニューヨークが異邦人だらけの多文化社会だということだが、帰国子女受け入れ校の中には、“ニューヨーク閥” が形成され、他の地域からの帰国者を排除するといった事態も起こっている。 何故、そんなことが起こるのか?
これは想像でしかないが、日本の駐在員は郊外の高級住宅街=WASP社会にしか住まないため、クィーンズやブロンクス(都心部)は “危険で近づけない” と思っているのではないか。 “NYC閥”は、そういう層だと思う。


社会の指針もだが、父親自身が今までの生き方まで否定されるような挫折感を味わっている。 親として、子供にどういう助言がしてやれるだろうか ?
“寄らば大樹” の思考は分かるが、十年前にある帰国生から 「大きな木ほど、倒れてきたら逃げるのが大変では」 と聞かれたことがある(笑)。 結局は 「自分がいないと会社が困る」 ほどの仕事や力を持てるよう努力しろと言って上げることだろうか。
戦後、樺太から引き揚げてきた経験からすると、あの時も 指針どころではなくて、 「今日をどう食べるか」 だった。 子供はその姿を見ているのだから、父親は 「こういう思いで今やっているよ」 と隠さず話してやることが 一番大事だと思う
全共闘世代にとっても、将来の指針が全く見えない青年時代だったと思うが、母親からは、「自分がやりたいことは いつでも始められる。 いつか始められる時がくる」 と言ってあげたい。
私の友人は 「やりたいと思っていることは 必ずやれるものだ」 と言う。 本当にそうである。 「意思ある所に道が開ける」 だ。


現代は “個” が余りに前に出てきていて、“個” との関係で “公” を考えなくなっている。 「全体の中の “個”」 をもっと考えるべきだ。 3月末に台湾で知識人交流会議に出席した(啓明学園の平野理事長と一緒) が、日本社会が裕福になると 「いじめ」 や不登校が出てきたように、日本を追いかけている台湾でも、裕福になると 「いじめ」 や不登校が出てきているということが話題になった。
アメリカの80年代にも、「200年の歴史の中で初めて “親よりも豊かになれない” 時代」 と言われた。 これを日本が踏襲し、さらにアジア諸国が追いかけている。 アメリカは “個” の力を強化することで乗りきってきているが、日本はどうなのか。 高校教育改革にしても、日本の教育が多様化していく訳だが、大変なのは12〜15歳であって、「お前は何がやりたいのか」 の答えを持つことが、今の状況で一体可能なのか という問題がある。 目標が持てない時には どうするのか。
(文部省) まず、帰国子女の問題と 帰国子女教育の問題とは、峻別して考えたいと申し上げておく。 次に、“個” と “公” の問題だが、私自身は “国家” よりも “皆の幸せ” を願って仕事をしている(笑)。 「豊かになって見通しがきかなくなった」 「今はどう足掻いてもしようがない」 というとき、“個” として どういうモチベーションを持つべきかが問題だろう。 高校入試を廃して 6カ年教育を考えようというのも、いつでも方向転換ができるようにしておくことが前提である。 教育内容を精選するのも、決して “時間のゆとり” を生み出すことではなく、自分に本当に必要な勉強ができるようにということで、かえって厳しい状況になるはずだ。
文部省は、広報の仕方が下手だ(笑)。マスコミがまた、揚げ足を取るような書き方をするからいけないのだが、どうも趣旨を間違えて伝えられている。 2002年の教育改革にしても、「教育内容の “上蓋” と “下蓋” を外すことだ」 と、何故はっきりと説明してやらないのか。
とにかく、いろんな哲学が育っていく日常が必要だ。 中国や台湾で 「日本人は、もっと政治的になれ」 とよく言われるが、超現代的な出来事の裏にある世界観が大事だ。

                                 (以下 省略)



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