第20回 海外の生活と教育を考える会 概要
(2000年10月20日(木) 14:00〜16:30 於:国際文化フォーラム)

テーマ:『日本人学校も変えられる -----親の願いに応えて---』
 * 出席 25名。話題提供=張江 幸男
全日本空輸叶l事部海外子女教育相談室
 * 開会挨拶=曽我部泰三郎
(元 東京銀行)、司会=嶋田 進 (元 三菱商事)

T.講話の概要

(1) 日本人学校の成り立ちと現場(在勤時代の思い出から)
私には夜間中学校に勤務した経験がある。様々な年齢の人が様々な事情を背負って学んでいる現場に関ったが、その中に 帰国子女や引揚げ子女のような生徒もいて、日本語学級が設けられていた。さらには、養護学級もあったことで、多様な子供たちを教育することを 当り前と考えることができるようになった。
日本人学校は日本政府の学校ではない。その地域に在住する日本人が子供たちのための教育を確保するため、自主的な発意と熱意によって設立されたものである。具体的には、現地の日本人会等が設置主体となって日本政府にその設置を申請し、その必要性が認められれば設立される。運営に要する経費は、基本的には児童生徒の保護者から徴収する授業料や入学金で賄われるが、校舎建設などの際には、各企業・団体の寄付金が募られる(指定寄付金で免税措置)
日本人学校では 学習指導要領に準拠して、国内の小・中学校と同等の教育を行うが、海外にあるという特性を生かして現地理解教育や現地の学校との交流活動を展開している。多くの学校が週5日制を導入しており、概ね 210日となっている(年度は4月に始まり、3月に終わる)。現地の社会や文化を理解するために現地の言葉や英会話、現地理解に関する特別科目を教えているため、総授業時間数は標準時数を上回っている。子供を通わせる家庭は、ほとんど両親が揃っており、教育熱心で躾もキチンとしている。
台北での親の要望は、「現地校では今の教育レベルを維持できない。日本に帰った時に困らない学力を」が本音で、中国語には余り興味が示されない。首都圏出身の教員は少なく、進路指導に不安を抱いている。対策として、子供自身が日本語を見直す努力をしてくれるよう、行事の度に俳句・短歌を作らることにし(辞書や歳時記を開く習慣につながる)、海外子女文芸作品コンクールなどのコンクールに挑戦させることにした。また、業者テストを取り寄せて実施し、国内ではどれくらいの位置にいるのかがわかるようにした。しかし、普通の教科や英語のできる子供をよく見ると、中国語もキチンと勉強している。要は、その社会に対する親の姿勢が しっかりしていることが大事だと思う。
ニューヨークでは、教師も子供も さらに優秀で驚かされた(偏差値平均68前後)。国連総会議事場に世界の子供が招待されて子供国連会議が開かれた時も、立派な英語で発表できる子もいた。ただ、アメリカでの生活が長い子には、TPOに応じた服装・行動・言葉遣いをアドバイスする必要があり、新単元では学習用語を英語で教える必要もある。教師は日本全国から来ており、各地の方言が聞ける。台湾の経験を活かし、教師と子供が一緒に俳句や短歌を作るようにし、コンクールにも応募させるようにすると、国語レベルは大きく変わった。校外行事に当たって いろいろ不測の事態にも遭ったが、入念な実地踏査(下見)と国情の再学習の徹底、緊急体制や保険も整えることの必要性を肝に命じた。

(2) 教師の意識改革と保護者の協力
国際理解教育は日本人学校の教育活動の柱の一つである。適切な計画(前年までの活動状況を再検討し、その年に相応しい綿密な準備をする)と実践、記録の整理と保管が、研究成果にも繋がっていく。保護者には 機会を捉えて意義と計画を説明し(学校便りなども活用)、PTAとの共同作業としていくことが大事である。
教職員の研究意欲と寸暇を惜しんでの研究活動が 学校の活力を支えるので、赴任したばかりの教員でも ホームステイや交流活動に必ず参加させ、実践的な研究の必要性を理解してもらう。個人の研究は多種多様だが、どれもニューヨーク日本人学校なればこそ、アメリカにあってこその研究となっている。多忙な校務の合間をぬって 3−4名で現地校訪問をし、教育課程・授業・施設設備などを視察する School Visitation Programもある。先生と子供で作り出す School Identityに触れる意義も大きく、報告書は全教員に配布して 報告会を開いている。
「とき」は来るものではなく、創るものである。成育歴も教育歴も多様な子供の教育は、一瞬一瞬が多様な状態で、個別化された指導が求められる。もちろん教員は全力を尽くしているが、万全とはいい難い。研修の「とき」を計画的に生み出し、研究活動を続けているのも、究極は一人ひとりの子供の成長を願うからである。教育活動は果てしない “行”であり、研修活動はそれを支える “祈り”なのかもしれない。
資質の高い学習意欲旺盛な子供たち、学校に協力的で 家庭教育も充実している保護者の方々、献身的に教育活動を進めた教職員たち、文部省や財団、運営委員会、そして地域の方々など 実に多くの人たちに支えられて、充実した海外勤務を送ることができたことに 感謝している。

U.自由協議の概要             は話題提供者、 は参加者の発言


教頭を3校でやられた経験があるからこそ 校長としてこれだけのことができたのだと思うが、“小さな日本”である日本人学校には 「静かな破壊」の必要性もあるのではないか?
海外だからこそ 学習指導要領から多少踏み出した試みがあって良いと思って頑張った。私が帰国した後で文部省からお叱りを受け、元に戻さされた点もたくさんあるが、共に研究に関った教員には素晴らしい財産となっている。そうした挑戦をしていることが 最も教育的であると信じている。


子供に現地語を習得させるに当たって 何かアドバイスはないか?
まず、その国の素晴らしいところ(文化・思想・道徳など)を教えることが大事。素晴らしい人たちだと思えば、子供たちは自然に言葉を受け入れていく。学校ではなるべく習熟度別にグループ編成して指導しないと、滞在の長い子は退屈する。 また 「保護者も現地語を習い 家庭で使って欲しい」と訴え続けることも必要だ。


派遣教員が持ち帰った研究成果や経験は、余り還元されてないようだが?
還元する場が限られているのは もったいない話だ。帰国してみると、国内の学校が硬直化していることに驚く。一人の教師の見るべき子供の数が多過ぎて、興味や学力に応じた教育ができる柔軟性を失わせている。また、学校組織の中に(教師と保護者だけでなく)多方面の“眼”を入れていくべきで、カウンセラーや医者といった専門家から「ドライなデータ」を提供してもらったり、「教師の気持ち」を汲み取ってもらったりできる体制作りが必要と思う。


“日本人学校離れ”の傾向がいわれているが、何故嫌われているのか?
海外の邦人社会は元々、私立学校志向が強い。「最近は 現地校・国際学校で頑張ってくれば、日本人学校でなくても有名校に入れるようになってきた」 という功利的な側面。「せっかくのチャンスなので、英語を将来の財産にさせたい」という語学力の側面。「多様な人と充分に闘っていける人材に」という“生きる力”の側面、 などがある。ただし、任期短縮などで2−3年で帰国することになってしまうと、現地校・国際学校の場合、母語の確立の面で 大変な問題になり易い。保護者の任期が短い場合 には 日本人学校が必要だが、その人気を取り戻すには“風穴”を開けるしかない。教師が、保護者や現地の人たちと接触する機会をできるだけ設け、気軽に話せる関係を作り 上げていくことである。現地日本人会の各委員会に 委員として参加することも有効だ。生の親の意見や実業界のニーズなどに接触できるからである。

                                 (以下省略)



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