第24回 海外の生活と教育を考える会 概要
(2001年6月21日(木) 14:00〜16:30 於:国際文化フォーラム)

テーマ:『帰国子女受け入れ校の現場から
---派遣の若年化・長期化を背景として
 * 出席 22名。 話題提供=武部 優子
啓明学園 学事顧問/前初等学校校長
 * 司会=梅垣 道弘
(COSMOS/元YKK)、話題提供者紹介=小山 和智(事務局)

T.講話の概要

(1) は じ め に
先月、北陸の永平寺に行った際、途中で4つの高校の修学旅行団と一緒になった。判で押したように、男子はパンツ出しスタイル、女子は短スカにダボダボ靴下なのも不愉快ではあるが、4人掛けの椅子を占拠して大声で話すし、お年寄りや子どもが乗ってきても席を譲ろうともしない。さらには、その生徒たちの表情に若さ・活力が全く感じられず、話題も週刊誌に載っていることだけ。ダラーッと惰性で“流れて”いる。
永平寺には、ある曹洞宗の高校が体験学習に来ていたが、講話を聞く時間に安定して座っていられない。私語も収まらない。「ダラダラするな!」「喋るな!」という指導はあるが効果は…? 講話が始まると、今度はシラーッとして全くの無反応で、話している方が不安になっていくようだった。
この精気のなさは何なのだろうか? 啓明学園にも似たような服装の生徒が居ないわけではないが、そういう格好の生徒は普通、どことなく元気があるものだ。もちろん、私達の若い時も疲れて駅でへたり込むことはあったが、しゃがむのであって、地べたにペタンと座って飲み食いなどしなかった。
昨年5月、北欧の教育使節団(私立の幼稚園から高校・専門学校までの教員混成)に参加する機会があったが、幼稚園の教育から“本人の興味を大事にすること”が徹底していることを、目の当たりにした。「さぁ集まって、これをしましょう」「さぁ、次はお遊戯ですよ」みたいに集団で教育することに慣れきっている私達には、「どうぞご自由に交流していって」といわれても、面食らってしまう。
ノルウェーでは、高校の最後の一年間をかけて自由課題の論文を書き、それの公開審査をパスしないと大学に推薦されないと聞いた。デンマークでは、職場から三人の推薦がないと大学に入れないそうだ。「学びたい人には学べる措置をするが、その負担は社会がしている」という姿勢が明確である。それに比べれば、先ほどの高校生たちが「高校に行ってあげてる」「何となく旅行をしている」といった風情であること、またそれを社会が許していることに、とてつもないギャップを感じる。

(2) 受け入れ校、啓明学園の歩み
啓明学園は昭和47年に帰国子女受け入れ校として認知されたが、今から60年前、昭和15年に、創立者が帰国生のために自宅を開放してスタートした。国内育ちの子供と一緒の学級 (20名足らず)に受け入れ、必要な都度、一人ひとりを取り出し指導していくというやり方を、頑なに守ってきた。初等学校は、希望者が多いということで6年前に学年2学級の態勢となったが、その時1学級辺りの人数は約17名。不景気になって(海外からの引き揚げが増えて)、初等学校への問い合わせが多い。
統計によれば、公立小学校でも帰国児童は急増している。ただし、増えたといっても、全校に占める割合は、最高値の川崎市立E校で9%程度。学校全体を集団と見た場合、あくまで少数派で、帰国児の受け皿となる国内育ちの子供のあり方が、圧倒的に集団への影響力を持つ。その子達と一緒に、どういう雰囲気を作れるかが課題である。そのことを心配される親御さんも多く、啓明学園の初等学校への編入希望が増え、現在 332 名中 85名、26%が帰国児となってきた。
最初、帰国児の受け入れは四年生以上としていた。それは、日本語そのものの問題があって、一対一の指導が何年にも亘って必要であり、“半言語”や特殊教育の専門スタッフがいないという物理的制約に加えて、資金力が及ばないということもあった。現在では、力の及ぶ範囲で最大限の受け入れ努力をして、一年生から受け入れているが、三年生ぐらいで教室が一杯になれば、高学年で帰国してきた子供が受け入れられなくなる。公立小学校で十分やっていけるお子さんは、地元の公立に行くようアドバイスしている。

(3) 半言語の具体的事例
[お断り] プライバシーに関わるため、ここの部分は割愛させていただきます。一般的な症状としては、日本語でも外国語でも、脈絡のない単語の羅列(ペラペラ話していても、母語or第一言語が確立していない)。そのことにより、全てがマイペースで、集団で何かをすることができる状態にない。しかし、自分が帰属できる“場”がないので不安。

(4) 海外で生活し、育つことの意義
子供は国籍や生れた場所が育てるのではなく、育った場所が育てるのである。わが家の息子も、帰国してずっと周囲から「ちゃんとした日本語を話す“変な奴”」と言われていた。海外で、日本語のスラングや子供同士の悪態といったものを経ないで帰ってきているので、文法的には正しくて礼儀的にも申し分ないのだけど、その場には何となく不具合で“浮いて”しまう。これが幼児段階だと、母語(第一言語=思考・感情の柱となる言語)の方も、日常の言語活動で獲得できているかどうかが問題となる。
海外で、ピアノも躾もキチンと習ってくる子は多い。言語的に理想的なバイリンガルに育っていて、現地校の成績も優秀だった例も多いが、そういう子はプライドが高過ぎることが落とし穴になる(復習の意味で下の学年の教科書をやることなど、許せない)。また、モンテッソリー方式などでスクスク育ってきた子は、ともすると、ちょっとしたトラブルに耐えられなかったり、集中力が身についていなかったりする。
海外で、自分のやりたいものを持ち努力することを身に付けてきた子にとって、そもそも日本の教育環境(同年輩の日本の子供)に“適応”することは意味があるのか? 教師が「何か知識を教えて学力をつけることではなくて、学び方を教えることだ」と信じ実行している環境で育ってきた子供を見ると、「受け入れ校って何か?」「適応って何なのか?」と悩んでしまう。大事なのは、本当の“自立”を教えてやること、「これは違う」ということを感じつつも日常生活を送れるようにしてあげることではないかと思う。
学校教育はその国の主権に関わることであり、国の有り様で変わる。ニューヨーク日本人学校を設立する時も、現地政府から「バイリンガルが原則」「アメリカの歴史は必修とすること」が条件で認可を得た。だから、海外で子供を育てる時、親の生き方・教育観そのものが鍵となる。「英語ができるようになれば」といっても、任期が何年かにもよるし、いつ何時転勤や帰国になるか分からない。「では塾に」といっても、いつまでも現地校の普通の授業が受けられないのでは、学力がつかない。その子の年齢と滞在予定期間の予測の上で、子供の成長プロセスとしての教育の哲学・イメージを持つべきである。“自立すること”を教育の柱に据えておかないと、何をやっているか分からなくなる。

(4) 新たに見えてきた課題
派遣者の若年化(=海外子女の低年齢化)が、母語・第一言語の確立が不確かになる問題(“半言語”)、或いはどの言語で思考力を育てるかが混乱する問題を顕在化させていることは、既に述べた。さらに難しいのは、同年輩の友達とのコミュニケーションを通して学ぶべきことの多さである。それが不足すると、人間関係がうまくいかなくなると同時に、生き方そのものが受身になり易い。
海外生活の長期化により、現地での生活習慣や教育環境からの影響が根付く。幼少期に抱えた問題を引き摺りながら青年期を迎えると、なおさら大変になる。“よい子”だけど“変な子”で育って、わが家の息子のように“周囲としっくりこない”のままになる。言語習得のメカニズムについての研究成果が待たれる部分である。
英語教師(米軍基地の学校カウンセラー経験者)の教室に、帰国児が集まっているのを一時心配したが、彼は「大丈夫だよ。今は英語の方が重いけど、その内、日本語で友達と話せるようになったら、自然に来なくなるよ」と言う。英語で思いっきり話せる場は、ストレスの発散と友達との関係を実感し、安心することでもある。結果としてバイリンガルを成立させることにもなっているわけだが、大事なことは「大人が一対一で付き合っても、子供の言語にならない」ということだ。何語でもいいから、先ず母語or第一言語を子供の世界で確立して(キチンと教育を受けさせて)、あとで日本語に切り換える(大人の第二言語として)くらいに考えてもよい。

U.自由協議の概要             は話題提供者、 Q, F は参加者の発言


母語の確立については、母親とどれぐらい接触したかだと思う。生れる前からの語りかけは大事ではないか。2−3歳児の母親が「子供と会話が成り立たない」とか、働いていた母親が「海外に出ると24時間子供と付き合うことになるのが不安」とかいって相談にくるケースもあって、驚かされている。
啓明学園の幼稚園でも、教師の悩みの第一が、それのようだ。
母親だけの責任にされると叶わない。よその子が上手くいっていることも、自分がめげる原因になることを知って欲しい。 私は「うちの子は、○○まで一年かかった」という話を聞いて気が楽になったことがある。余り「こうしなくちゃいけない」と一般論で言わないで 欲しいし、決める時は夫婦がよく話し合って決めるべきだ。
国内でもそう。よその子と比べて「あれしなくちゃ」「これができない」と思ってしまうと可愛そう。一人ひとりの子をよく見て考えなくてはいけない。
海外の父親は、国内に比べて、遥かに熱心に子供の教育に関っていると思う。夫婦の間で価値観がズレた事例は余り聞かない。
母親は、日本の教育が変わりつつあることを知らず、「自分が受けた教育が日本の教育」と思い込んで、偏差値・受験地獄のイメージに浸ってしまい易い。
昔は情報も選択肢も限られていたから、自分で考えるしかなかった。今も問題の質は変わっていないのだけど、情報や選択肢が多過ぎて、振り回されたり悩んだりしてしまう。解決の「方程式」「特効薬」などないのだということを、早く悟るべきである。


モンテッソリーの幼稚園が最近流行っているが、そういう教育を受けてきた子が普通の学校に入ると、どんな問題が起こるのか?
ただ「モンテッソリー」だ「シュタイナー」だといっても、幼稚園によって千差万別で、「〜風」の指導になっている幼稚園も多い。だから、一概には言えない。。


アジアからの帰国で半言語の問題はないか。
8ヶ月でインドネシアに連れて行った息子が三年後に帰国して、見る間に混乱して失語症か知恵遅れのようになった。完全回復には10年かかった。
アジアだけでなく、中東、中南米でも、子供がメイドに育てられているケースは多い。暑さとストレスから逃れるために遊びに興じる奥さんも多くて、そういう人は「自分が親だ」と言う認識が薄れている。学齢前の子供を同伴する時には、とくに注意が必要だ。


母語確立のためにもう一度その国に戻ったケースを紹介されたが、戻れない事情の方が多い。啓明学園で断られたら、どうすればよいか?
お断りするケースは、教室が一杯のときと、精神科医や言語・特殊教育などの専門科に任せるしかない状態になっていて責任を負いかねるときだ。「普通の学校で学ばせたい」という気持ちも分かるが、その子にとって何が一番必要かを考えて欲しい。子供にだって心身症はあることも、知って欲しい。あるがままの家族、あるがままの子供を見据えて、「いつでも“新規巻き直し”ができる」と考えましょう。
日本の企業は、帰国後のフォローには冷たいのではないか。
むしろ日本の教育は、「帰国子女教育」というアフターケアに偏り過ぎていたのではないか。これからは「出国教育」が大切だ。
それをやると、先入観を持ってしまう人も多いのではないか。逆効果ではないか。
体験談のようなものばかり聞いて行くのではなくて、先ほどの“半言語”や教育方針の問題、異文化接触の問題など基本的なことを、少しは頭に入れて行くべきだと思う。
                                   (以下 省略)


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