第27回 海外の生活と教育を考える会 概要
(2002年2月16日(木) 14:00〜16:30 於:国際文化フォーラム)

テーマ:『生活の中のイスラーム教
----子供たちにどう教えるか?
 * 出席 36名。話題提供=小山 和智
(国際教育相談員/日本マレイシア協会参事)
 * 司会=鶴 文乃 (Group Sea。事務局)

T.講話の概要

(1) は じ め に
 本日お話をする立場・意図は、イスラームの教義の理解よりも それを信じる人たち(ムスリム) の背景や価値観、美学を理解していくこと、つまり、付き合っていく時に 「異教徒として知っておくべきこと、気をつけるべきことは何か」 を一緒に考える場とすることである。 なお、「イスラーム」 という言葉の中に “教え” の意味が入っているので、「イスラーム教」 という言い方は本来おかしいのだが、本日は あえて拘らないことにしたい。

(2) 何故、イスラームは理解されにくいのか
 わが国においてイスラームが理解されにくい原因の第一は、「無関心、想像力の欠如」 である。 カウンセリングでは 「愛の反対は憎ではない。愛の反対は無関心である」 というが、昨年の9月以降、アフガンの現実が分かってくればくるほど、いかに私たちが無関心であり過ぎたかということを感じる。 確かに、マスコミの責任は大きい。 しかし、情報過多の現代では、私たちが賢く必要な情報を入手していく知恵を持つしかない。
 第二の要因は、欧米経由の情報・学問に偏り過ぎていることである。 東アジアを 「極東」、西アジアを 「中東」と呼ぶ、或いはコロンブスがアメリカ大陸を “発見した” というなど、全ての情報や学問が ヨーロッパの視点で組み立てられていることに、私たちは依存し過ぎてしまっているため、知らない間に、欧米キリスト教中心主義の立場に立たされている。 また、キリスト教は良いことも報道されるが、イスラームは問題を起こしたときだけ報道される。 キリスト教世界から見て 「おかしい、こわい」といった情報だけが多量に流され、イスラームの人類への貢献は無視される。 もっと深刻なのは、日本の人文科学・社会科学では、欧米の学界の論議を紹介することに終始する研究者が余りに多いということがある。 「日本は特殊」 というとき、「欧米と異なっている=悪いこと」 という前提に無意識に立っていることに気が付かないし、その視点から見ればして、イスラーム社会も 「悪い」 ことになってしまう。
 第三の要因は、私たち自身が信頼や自尊心を喪失してしまっていることだと思う。 つまり、「伝統や先人、殉職した人への敬意を払わない」 「地道な努力をしている人を評価しない」 という風潮が日本の社会に蔓延してしまった。 「自分を愛する」 「矜持を持つ」 「毅然たる態度をとる」 といったこと忘れ、“事なかれ主義” になっている。 自分を愛せない者は 他人も大事にできない訳で、外国からは まず信用してもらえない。 人間の尊厳や信頼がイスラームの生活の根幹なので、私たちが信頼や自尊心の大切さを自覚しない限り イスラームを理解できない。

(3) 歴史的背景の整理

 (i) 語族と語派
 世界の民族や文化を理解していくときに、言語を一つのキー(手がかり) として見ていくことは大事だ。 ものごとの思考の型、価値観・美学など、いわゆる 「文化」総体と、その民族性とは 表裏一体の関係にあるからだろう。 現在では、世界の言語は一応、6つの語族に分けられている。 イスラームを理解するには、とくにセム・ハム語族、インド・ヨーロッパ(印欧)語族、ウラル・アルタイ語族に気をつけて欲しい。
 セム・ハム語族は、旧約聖書の中で 「“ノアの箱舟”のノアの子孫」 といわれている民族グループで、アラビア半島近辺か ら生まれてきたとされている。 古代エジプト文明は、ハム系が興したが、ハム系はその後の歴史の中でセム系に混血・吸収されてい く。 2つ目の印欧語族は、文字通り インドとヨーロッパの支配階級の祖先で、元々は カスピ海辺りに住んでいた。 印欧語族は自分た ちを 「アーリア人」(高貴な人)と呼び、紀元前2000年頃から、東のインド、南のイラン高原、西の黒海方面の3方向に分かれて移動 していく。 ウラル・アルタイ語族は、元々はモンゴルからシベリア平原にかけて住んでいた。 モンゴリアンがメソポタミアに政治 的影響を現わすのは、イスラーム帝国が爛熟期を迎える10世紀頃からである。
 (ii) 「肥沃な三日月地帯」
 「肥沃な三日月地帯」は、セム・ハム語族の住む緑豊かな大地であった。 16世紀まで、欧州世界では 「オリエント(東方)」は “憧れの地” だった。 巡礼の聖地であり、“心の拠り所” であった。 オリエンテーションという言葉も 「東を教える」ということだし、キリスト教会の祭壇は 必ず東に向けて設けられている。 紀元前6世紀から紀元7世紀の初めの 1200年間、「肥沃な三日月地帯」 は印欧語族の支配下に置かれた。 そのちょうど真中に イエス=キリストが登場し、西洋暦の基準になっている。
 (iii) ヘブライ民族の歴史
 「ユダヤ」も 「イスラエル」も ヘブライ民族の部族名である。 紀元前1015年〜580年の 435年間だけ国家を持ったが、それ以外は、20世紀半ばまで亡国の民とされる。 彼らの試練の歴史を見てみると、まず紀元前13世紀の「出エジプト」がある。弾圧を逃れ、モーゼに率いられてシナイ半島へ脱出した。 その後、二百年間、ぺリシテ人との抗争を戦う。 パレスチナとは、「ペリシテ人の地」 の意味である。 紀元前6世紀には、バビロン捕囚を味わった。 約60年の間に ユダ部族を中心に結束を高めていく。 やがてアケメネス朝ペルシアの進攻で解放されるが、ペルシアから 「最後の審判」 「サタン」 「復活」 などを学んで ユダヤ教が成立する。 四つ目の試練は、アレキサンダー帝国のセレウコス朝による弾圧である。 エルサレムがセレウコス朝に占領された時から、ユダヤの人たちは救世主(メシア)の到来を心待ちにするようになった。 170年後、イエスが生まれる。 彼は、ユダヤ教の 「選民思想」 を否定することによって、ユダヤ教を世界宗教のレベルに昇華させた。
 ユダヤ人は、とてつもない記録好きである。 フェニキア人からアルファベットを習い、何事もヘブライ語で記録した。 行政事務や学問の蓄積に貢献はしたものの、保身のための証拠主義は嫌われやすかった。 しかし、20世紀まで、セム語族同士は 基本的には仲良く暮らしてきた。(欧米の 「近代国家は、民族が排他的に支配する固有の領域(国土・領海)をもつ」 という論理をユダヤ人が主張し始めてから、 “仲良く共生”が難しくなった)
 (iv) 「ユダヤの宗教」の宗教改革
 紀元後約600年間、ペルシアと西のローマ帝国とが抗争を続けたため、「絹の道」 の安全が確保できなくなった。 そのため、パレスチナからアラビア半島の西側を通ってペルシア湾に出る交易路が発達し、中でもメッカは セム族の各部族の神が祭られる聖地として賑わった。 7世紀初め、ユダヤ教・キリスト教のあり方を問い直す形の宗教改革として、イスラームが成立する。
 ユダヤ教・キリスト教・イスラームは 「兄弟の宗教」 で、ユダヤ教の聖典は キリスト教から見れば 「旧約=古い契約」の聖書と呼ばれ、イエスにより預言されたものを 「新約聖書」 として、併せてバイブルとしている。 イスラームは、それに 「クルアーン」 を加える。 クルアーンは、基本的には 旧約聖書に忠実に暮らす指針が明記されたものである。 一日五回の礼拝も、断食も、偶像崇拝の禁止も、それらが守られていないことに対する反省が 出発点である。 従って、ユダヤ人にとってイスラームは、極めて真面目な、正直な人たちの宗教運動として映るし、イスラームでは、ユダヤ教徒もキリスト教徒も 「啓典の民」 として大事にしている。 イスラーム政権下では、イスラームに敵対しない限りは 生命・財産の安全が保障された。
 そもそも、「ユダヤ人は皆、ユダヤ教徒」 というのは大きな誤解で、イエスも 12人の弟子もユダヤ人だ。 また、私たちの知っているキリスト教は 欧州キリスト教であって、オリジナルなキリスト教とは かなり異なる。 ローマ皇帝は 325年の二ケア宗教会議で、原始キリスト教をローマの習慣に焼き直した 「三位一体」の宗教 を設立させ、ローマ・カトリック教会とした。 原始キリスト教の姿は、むしろイスラームに近い。
 (v) 十字軍は、黄色人種への嫌悪感
 正統カリフの時代からウンマイヤ朝の時代は、イスラーム帝国も世俗的性格であった。 カリフも 「預言者の代理人」 として君臨した。 ところが 750年以降、アッバース朝になると、都がバグダッドに置かれ、カリフも 神権的な性格=「神の直接の代理人」 として位置づけられる。 ペルシアの法制・官僚を採用し、繁栄を極めた。 バグダッドは人口100万余の都市となり、経済・文化・科学技術など あらゆるものが世界最高水準に達した。 政権の奪取にイランのシーア派を利用したものの、奪取後は、シーア派そしてユダヤ教・キリスト教の弾圧が始まる。
 1037年、セルジュク=トルコが西アジアに侵攻した。 エルサレムが占領されると 「異教徒が巡礼者を迫害している」 というデマが流れ、十字軍が派遣されるようになった。 続いて13世紀、モンゴルの騎馬部隊が侵入し、イル汗国を建てたが、元々ゲルマン民族は、黄色人種の 「フン族」に常に負け続けた歴史を持っている。 つまり、黄色人種に対するゲルマン民族の嫌悪感から、十字軍が派遣された。 皮肉なことに、十字軍の遠征は、欧州の青年が 「キリスト教の原点」を体験することになり、その後のローマ教会への “抵抗”(プロテスタント) の火種となった。
 欧州の大航海時代(16世紀〜)は、貿易中継地 「オリエント」の没落、ユダヤ資本の台頭を招いた。 欧州の反セム主義の標的も、ユダヤ人に絞られた。 1880年代から、帝政ロシアでもユダヤ弾圧が始まり、ユダヤ人のパレスチナ移住運動(シオニズム)が興る。

(4) イスラームの生活

 (i) 「聖典」と「聖法」
 イスラームの原義は「帰依、信心深い、平和な」であって、平穏無事な生活を求めるものである。イスラームの中心には 6つの信条 (神、天使、啓典、預言者、来世、天命) と 5つの勤行 (信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼) がある。 「クルアーン」とは “読誦する” ことである。 従って、翻訳は基本的に無理で、その結果、アラビア語が新たな国際語になった。 神の言葉は “預言” というが、クルアーンでは、神がモハンマドに語らせる形で表現されていて、モーゼやイエスの預言を勝手に解釈して骨抜きにすることを戒めている。 なお、モハンマド自身の話したこと・行動したことは 「ハディース(伝承録)」 という別の記録にまとめられている。
 モスリムの具体的な生活マニュアルは 「シャリーア」 に定められている。 儀礼的な規範としては、礼拝前の清め・懺悔・礼拝・喜捨・断食・巡礼・葬制などがあり、法的規範としては、婚姻や家族・相続・契約などの民法、犯罪と刑罰など刑法に相当する規定がある。 シャリーアに挙げられていること以外は、その地域の慣習法に委ねることになっていて、地鎮祭やお祓いなどの際にはモスリムとは思えない風習に出会うこともある。
 (ii) 「イスラーム社会主義」の誤解
 「イスラム社会主義」 という言葉は 曲解されている。 唯物史観・歴史主義・無神論・共産主義とは 無縁である。 イスラームは、社会的均衡の確立と維持、イスラームに基づく社会正義を目的とする。 つまり、「シャリーア」 に基づく社会、道義の復興による福祉国家の実現が目標で、人間は “神の代理人” として大地や資源、生物全てを適正に管理する義務があると考える。
 人間の社会では、喜捨を基礎に財を配分して、消費の均等化を図ろうとする (決して、生産手段の社会的共有ではない)。 また、利息を禁止する。 旧約聖書では 「同胞には利子をつけて貸してはならない」 と規定されるが、ムハンマドの時代も高利貸しが横行していたらしい。 利息は人の生き血を吸う “蛭” として、不労所得や実体経済から離れた金銭債権の売買を禁止するが、配当・謝礼・手数料はよいことになっている。
 (iii) 礼拝と食事 (略)
 (iv) 断 食 (略)
 (v)  喜 捨 (略)
 (vi) 葬 制 (略)
 (vii) 巡 礼 (略)
 (viii) 結 婚 (略)
 (ix) 聖 戦 (略)

U.自由協議の概要             は話題提供者、 Q, F は参加者の発言


イスラームの人たちが 日本人の言動で不愉快に感じていることに、どんなことがあるか?
宗教を聞かれて、「何もない」と答えてしまう人が多いが、神仏を畏れることを知らない人間は気味悪がられる。 無神論、共産主義を許せない。 また 施しや援助、寄付をする場合、「してやる」 という態度を見せることも問題。 「社会貢献ができて幸せ」 と何故感謝できないかと呆れられる。 それと、葬列に出会えば 直立して死者に敬意を払うのは国際的儀礼だが、知らん顔をして談笑を続けていたりする点は、不愉快に思われている。


イスラーム圏で暮らしていて、日本人が一番辛いことは どんなことか? 仕事が溜まっているのに礼拝に行ったりして、時間の感覚も違うようだが。
時間の感覚は確かに違うので、仕事の期限や納期を守らせるにはテクニックも必要。 また、礼拝は、就業時間中は一緒に行かないでシフトするように頼むこともできるし、祈祷室(スラウ)が便利な所にあれば、比較的早く戻ってきてくれる。


「右手にコーラン、左手に剣」 という恐ろしいイメージだったが、“回教” がこんなに真っ当な宗教とは驚いた。 東南アジアなんか アッという間に広がったのは、やはり何か強烈なことをやったのではないか、と思っていたが?
それはむしろ、13世紀以降の東南アジアで 大乗仏教が堕落しきっていたことにもよる。 真面目な宗教活動や哲学的に優れた指導者に接して、インドシナでは見る間に上座部仏教に取って代わられたし、マレー半島からフィリピンにかけては、イスラームに取って代わられた。


今でも急激に増えているのか?
増えている。 とくにアメリカでは 400万人といわれていたが、600万人になっていると思う。 モスリムの中で アラビア人は6分の1だけ。 中国国民の1割以上はムスリム。 先ほど 「回教」 と言われたが、中国に伝わった時に 「回糸乞(ウィグル)の宗教」 と思われていた。 今 「回教」 という呼び方をすると、ムスリムには嫌な顔をされる。 因みに新疆ウィグル地区にある塔里木盆地の 「タリム」は イスラーム神学生のことで、複数形が 「塔利班(タリバン)」 である。
科学史を紐解くと、「科学は全て宗教との闘争だ」 となっているが、クリスチャンの方から 「それは神が悪いんじゃない。人が悪いのだ 」 と言われたことがある。 宗教は元々人間のためにあって、その人間が神を畏れぬ行為をする…… その矛盾するものが常に宗教にはあるの かなぁ。


女性の保護規定が手厚いというが、社会的地位はどうなるのか? アフガンでも、女性に教育を受けさせないようなことが起こったが?
女性に家計を預けようとする社会で、女性に教育を与えないのは自殺行為。 教条主義に陥ると そうした過激な異常な事態も起こる訳で、ムハンマドは それを戒めていた。 日本の平安時代の 「通い婚」 に近い感覚もある反面、政治や商売には関わらせたくない感覚もある。


社会における “女性の参画” という面からいって、そのことは男尊女卑なのではないか? 西洋的思想では、女性を “持ち物” にしているという印象を受ける。
保護” をどう考えるかによる。 例えば、スイスでは 1975年に女性に選挙権が与えられたが、それまで 「女性に、そんな煩わしいことをさせては可愛そう」 と考えられていた。
モハンマドの時代、あの地域は極めて過酷な条件にあったので、女性を守ることが非常に大事だったのではないか。 時代も変わり、環境も変われば、考え方も変わっていくと思う。


女性が働けないほど過酷な労働を、男性が強いられている側面もあるのではないか?
イスラームでは 「働く時間」 「遊ぶ時間」 「休む時間」 を はっきり分けるべきだとされる。 遅くまで残業していると、「日本人は働き過ぎで、神の意思に反している」 とよく言われた。


海外では、宗教に生きている人が多い。 日本人の多くがそのことをよく考えないで出かけていくので、トラブルにも遭ってしまうと思う。
宗教が社会の中で大きな存在であることは解るが、それだけ難しさを感じる。
宗教をどう教えるかも難しいが、全く教えない、知らないというのも問題。 宗教をきちんと教えていないから、「妻は4人まで」 みたいなレベルの話になってしまう。 彼らも 「俺たちは4人まで持てる」 なんて言わなければいいのだけど……。
豚肉が食べられないことと、酒が飲めないことは、日本人にとっては辛い。 しかし、それ以外では、日本人は平和主義であること、礼儀正しいことなどで、イスラーム向きだとも言われる。 彼らの寛容性を学べば、十分に仲良くやっていける。

                                   (以下 省略)



海外の生活と教育を考える会
H O M E