第29回 海外の生活と教育を考える会 概要
(2002年6月20日(木) 14:00〜16:30 於:国際文化フォーラム)

テーマ:『ヨハネ研究の森コース---
すべての学びは哲学にむかう
 * 出席 23名。話題提供=石川 一郎
((学)暁星国際学園 教頭)
 * 司会=嶋田 進
(元 三菱商事教育相談室、COSMOS教育相談員)

T.講話の概要

(1) 自己紹介を兼ねて
私は、よく「教員らしくない」と言われるが、実際、学園の広報担当として国内・国外各地を回って歩いている。学校説明会があれば出かけて行くし、自分一人で、或いは何校か一緒に北米やアジア地域を巡回することもある。
私自身も帰国子女だった。父親が日本航空に勤めていて、小学校一年から三年までニューヨークで過ごした。その時アパートの下の階に 例の小和田一家も住んでいて、“あの方”とは同学年なので 一緒に遊んでいた。大変な方と(笑)。PS21という現地校に通いながら、土曜日は補習校に行かされたのだが、「なぜ自分だけ土曜日も勉強しなくちゃいけないのか」と いつも不満だったのを覚えている。現地校の担任は未亡人だった。ご主人を真珠湾攻撃で亡くされた方だったが、私への指導は すごく優しかった。お陰で簡単な通訳くらいはできるくらいになって帰国した。
1972年に帰国した私は、いわゆる“帰国子女の試練”に見舞われた。根が“発信型”の性格のため、友達が和製英語で「ガールフレンド」なんて言っていると、「そうじゃないよ、こう発音するんだ」なって言っちゃうもんだから、もう“袋叩き”に遭ってしまう(笑)。学習面はまだしも、精神的な面で2年間、適応に苦労した。いわゆる“自己剥がし”の経験---帰国子女であることを“封印”して、それから25年間を生きてきた。
その封印が解けたのは、5年前。アメリカ西海岸の学校説明会に出かけた時のことだ。この「考える会」の発起人の清島さんが作られたINFOEが主催で、一緒に旅芸人のように各地を“どさ周り”して教育フェアをやったのだが、その時に、飛行機の中で食べた菓子の味などが妙に懐かしいことに驚いた。「こんな不味いものを、何で喜んで食べていたんだろう」と言うと、INFOEの松本さんがそのことをチクチク突ついて“封印”が解けてしまった(笑)。その時初めて、海外生活の経験が「プラス」の財産になっていることを実感できた。それから、海外子女や帰国子女を励ます活動に積極的に関わるようになった。

(2) 暁星国際学園の教員になって
田川校長とは、九段の暁星小学校に編入させてもらった時からの付き合いで、大学生になっても母校の野球部を指導していたし、「教員になりたい」と相談したら「暁星国際ならいいよ」と言ってくれた。それから18年間、教員として“仕えているわけだが、5年前から広報担当になった。校長は私に「生徒を単にリクルートするのではなくて、私学としての建学の理想を説明して回ることだ」「学校を21世紀型にリニューアルしていかなければならない」と言ってくれ、私も「これからの教育、真の教育は何か」という問題意識を持って各地を訪ねて回っている。その問題意識から「ヨハネ研究の森」も生まれてきた。
本音を言えば、民間会社に入って“営業”なんかしたくないから教員になったのだが、気がついたら“営業マン”“セールスマン”になっている(笑)。学園設立当初は帰国子女の入学希望者も多く「寮制の進学校」というブランドもあって、全国から生徒が集まった。帰国子女へのキチンとした体制を整えなくても生徒はどんどん集まったが、順風満帆だったこの時期に 新しい時代への対応を怠ったことが失敗だった。バブル経済が終わり、少子化の時代がやってきて、生徒獲得の必要性に迫られた時に“営業マン”にさせられたわけである。ホームページ開設、塾との連携、説明会など慣れないことを手当たり次第にやっていくしかなかった。辛い試行錯誤の中から掴んだものは「やはり教育だ」ということ----「暁星にしかないもの」、しかも「世界的にも個人にも意義のあるもの」を提供していくしかないということだった。

(3) 学校の求心力が弱くなっている
ほとんどの有名私学は、大学入試向けの人材育成に偏っている。教員は決して、そんなものを目指して教員になっているわけではないのだが、「優秀な受験生」を育てることことができたかどうかで評価されるし、その方向に従っている方が楽なのである。塾を回ってみれば余計そのことを感じる。「知識を教え、テクニックを身に着けさせ…」といったやり方に疑問を持ったり抵抗しようとすると、「青臭い」「そんなことではやっていけない」と言われる。それは、社会の要請だから。わが国が戦後、発展してくるためには、そうした教育は有効であり、優れていたとも思う。では、「これからはどうなのか?」である。
“苦行”的な勉強を何年も重ねて「良い大学に入って、良い企業に勤めて……」といったものに、大人も子供も冷めてきている。エリート社員がリストラに遭ったりするのを目の当たりにして、親も元気がなくなってきた。だから、学校の求心力が弱くなっていて、子供たちは逃げ出し始めている。それは、社会が変わった証拠ではないだろうか。フリーターでも生きていける社会、子供が夜遅く街をうろついている社会は 異常である。無目的に生きることの恐さを感じていない。。
かつては「落ちこぼれを救おう」と学校は躍起になった。教師が必死にやればやるほど落ちこぼれは増えていった。最近は「浮きこぼれ」---余りに学校でやっている内容がくだらないと感じて、学校に来なくなる、いわゆる「インテリ不登校」というのも出てきた。私たちが子供の頃、学校の中で許されていた生徒の多様性が、今は妙に管理化されて、失われつつある。教師が熱心になればなるほど子供は居辛くなっていく……そういうマニュアル化、システム化が進行している。
また、「学校で 勉強やスポーツでしごいて疲れさせれば、悪いことをしない」という誤解も根強い。部活や行事に燃える教師と子供は良いことのように言われるが、裏を返せば「勉強には燃えない」とか「勉強は塾でやればよい」という発想を生む。授業をしていても「それ、テストに出ますか?」「それ、どこに書いてありますか?」という質問が多い。昔は、先生が脱線して話す雑談が面白くて、今はそちらの方しか覚えていないくらいだが、今は雑談が始まると、生徒は寝てしまう。或いは「先生、くだらない話は止めてください」という(笑)。私も管理職として「余り脱線しないように」とか言わなければならない(笑)。しかし、全てが機能的になり過ぎて息苦しくなっている。学ぶことによって人生を切り拓いていく----その“学び”の面白さが抜け落ちていると思う。

(4) 「“学び”の復権を」
寺子屋、私塾、藩校など、江戸時代から“学び”の欲求はあった。「テストがないから勉強しない」というのは、長い歴史から見れば異常なことで、自分の生き方そのものに通ずる“学びの本質”の考え方を広げていくべきだ。そのために教養教育というか「リベラル・アーツ」のような“横の広がり”の大切さを生徒に感じて欲しくて、読書を推奨したい。また教師自身も“学び手”であること---学びの楽しみを知っている人でなければならない。また、“広がり”ということで言えば、今話題の「総合学習」は“摘み食い”になり易い。本当は、体験を経験化する必要がある---初歩から自分で体系づけることまでやっていく、いわゆる“縦の広がり”が必要だが、そこまでやり通せる条件がない。
決して今の学校制度を否定するということではなくて、とりあえず“かっこ”に入れて見直してみようということだ。例えば、学年制を取り払ってみる。高校生と小学生が一緒に学ぶ意義もあるのではないか。或いは時間割を止めてみる。今、学年ごと・教科ごとに定められている到達目標は、効率面から見て最適に設定されているのだが、何も50分ごとに学ぶ内容を変えなくても、何かをずっと追いかける勉強があってもよいと思う。ともかく余りに「点を取ること」に囚われ過ぎていないかということだ。塾はその「点の取り方」「暗記の仕方」について強引に教育の世界に入り込んできたのだ。
「そんなことやっていて、大学に通るのか」とよく言われる。ところが、今はAO入試の時代になった。学力による選抜は、他の選抜が難しいからやっているだけで、他方で“一芸”や「ボランティアをよくやったから」で大学に入れてよいのかという根源的な問題が放置されている。私たちは学力選抜に対して、何か手をつけるべきである。AO入試で入った生徒をAO入試で大学に入れることを前提に、どう学ばせるかである。

(5) 「ヨハネ研究の森」の運営上の問題
文部科学省の研究開発校は、以前は実質的に上から国立学校等に研究指定をしていたが、 現在は文字通り“募集制”になっている。スーパーサイエンス校、スーパーイングリッシュ校もそうである。「ヨハネ研究の森」導入 に当たって最大の問題は校内の教員で、「そんなこと文部省が認めない」と主張していた(笑)。しかし、研究開発学校は「現行の教育 内容の特例を必要とする学校を指定」となっていて、ピッタリ(笑)。生徒のモティベーションを引き出すことにポイントを置いて、教科の再編成を目指した。人文科学、自然科学、社会科学、情報科学の4つの柱を立てて……(中略)。
教師が考えたことを“やらせよう”ではなく、教師が学んでいる所を見せる。いわば「学びの徒弟制」で、最初は真似から始まり、技を盗み取ることへと進む。まるで寿司職人の修行みたいなイメージで、子供に「アッ、これは面白い」と感じてもらうべき。教科書は国語・数学・理科・社会・英語……でできているのでそれを使うが、あくまで材料である。  現在、小学生3人、中学生10人、高校生22人で、9割が寮生である。帰国生は中二と高一が各1名。そして研修生が1名いる。 帰国子女が珍しくなくなった。

U.自由協議の概要             は話題提供者、 Q, F は参加者の発言


モデルなった国なり学校があるのか。
モデルは宮城県の利府(仙台郊外)にある私塾「NEO-ALEX」で、何度か見に行って決めた。 週3日、教務部長が出張してくれている。また、教材は大阪の学林舎の教材を使っていて、両者からの二人に私の三人でプロジェクトチームを組んだ。教員はコンピューターの会社や塾教師などから新規に採用した。


評価はどういう形でするのか
それが最大の問題である。偏差値、学力社会でなくなったとはいえ、まだまだ そういうものが残っている。それをできるだけ変えていく方向に協力していきたい。具体的には「ポートフォリオ」で、どれだけの作業を積み重ねたかを評価する。各科目に「修了論文」も課す。但し、単位は認定できても「A」〜「D」は付けられないので、指導要録まで作り直すことになる。大学側から成績を求められれば出さざるを得ないかもしれないが、評定なしでも認めさせることが課題である。ほとんどの生徒がAO入試で進学して行くことになると保護者の納得は基本で、入学してから「センター試験を受けたい」といわれても困る。


中等教育までは、ある程度の“学び”の広がり(教養)も必要だが、生徒の興味で選ばせると、偏ってしまわないか?
題材に関しては「核となる知識」として通過すべきものを指導しているが、闘いである。かなりの動機付けが必要で、「かつての方が楽だった」「元に戻りたい」という誘惑はある (笑)。


小学1年〜4年は基礎の基礎であって、4年生から始めるのは無理ではないか?
本当は5年生からやりたかったが、「どうしても」という希望者があって受け入れた。かなり特殊なケースであり、4年生ではかなりきついものがある。その子供次第だが…。


数学は抽象的すぎて“ひらめき”までは大変ではないか? 読書中心でどうするのか?
理系は教師に負う所が多く、課題ではある。研究室を作って、スタッフが実験等に取り組んでいる所を授業にしてしまう--- 教師が“主任研究員”で、生徒が“研究員”という形などの試みもしていきたい。


帰国子女は受け入れられるのか?
帰国子女にはもってこいの場にしていきたい。自分で学ぶことを身につけてきた子にとっては、学び易いと思う。言語習得や保持でも、様々な試みをしたい。
                                   (以下 省略)



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