第31回 海外の生活と教育を考える会 概要
(2002年12月 6日(金) 14:00〜16:30 於:国際文化フォーラム)

テーマ:『3分で語る 今の私』
 * 出席 15名。司会=小山 和智
(国際教育相談員。事務局)

T.結成6周年のあいさつ

曽我部 泰三郎 (元 東京銀行 教育相談室)
* 東京農学校卒。御茶ノ水女子大附属中学校で30年勤務(技家・理科)の後、東京銀行教育相談室へ。日本在外企業協会教育部会の立ち上げにも参画。現在は、ライフワークの執筆活動。

「将来の日本の教育の方向性を踏まえた海外・帰国子女教育の流れや方向性を的確に把握し、常に研鑚を積み、この領域に関する専門的な知識・考え方・態度を身につける努力を怠らないようにということで活動を始めたこの会も、6周年を迎えた。
 会長や代表を置かず、事務局で話し合いながら運営していくということではありながら、当初は清島眞さん、3年目からは小山さんに大変な事務量を負担してもらえたことで、ここまで円滑に運営してこれた。事務局には、本日こちらに居られる方では、梅垣さん、嶋田さん、鶴さんなどの当初からの方に加え、小山さん、羽賀さん、山田さんと新しい方も加わっていただいている。
 元より自主的な、手弁当の研究会であり、互いに意見を述べ、討議し、意識や知識の向上を図っていくためのサロン的な雰囲気が、皆様から好評をいただいてきたようである。今回は、話題提供者を敢えて置かず、参加者一人ひとりの方が日頃お感じになられていることや、この会の運営方法へのご意見などを自由に発表していただく機会として設定してみた。活発な話し合いになることを願っている」

U.参加者の横顔とスピーチ概要

(1) 梅 垣 道 弘 (元 YKK(株) 教育相談室)
* 東京第三師範学校(大泉)卒。東京都の公立小・中学校教師(英語)で、東山中学教頭を歴任。YKKの相談室相談員(10年)。1997年からCOSMOS相談員(5年間)。
「"教師中心の教育"から"児童生徒中心の教育"へと変わってきた戦後教育に関わってきたが、観察と参加と自主性の育成の難しさを改めて感じる」

(2) 嶋 田  進 (CCOSMOS 相談員)
* 神田生れ。陸軍幼年学校から東京農工大学に進学。東京都の公立中学校教師(英語)を退職後、三菱商事の教育相談室へ。1997年からCOSMOS相談員。
「教育とは、生きる営みの力を見につけること。海外から帰国した子供の生の声をできるだけ聞きたいし、それを何かにまとめ、出国前の子供にも聞かせてあげたい」

(3) 鶴  文 乃 (Group Sea 代表/作家)
* 日本ペンクラブ会員の作家。主人の海外勤務でパリとバンコクに滞在。1983年に東南アジア生活経験者の会(現Group Sea)を結成。つくば市の男女共同参画委員。
「女性差別撤廃の活動をしているが、男女を同じにしようというのではなく、"男らしく""女らしく"も個性として、幼い頃からその意識をつけせていこう」

(4) 山 田 峰 子 (異文化間教育研究センター)
* ロサンゼルス、ニューヨーク、マイアミに通算10年滞在。INFOE日本事務所で清島氏の留守家老役。財団の「現地校入学のための親子教室」講師。
「今や"家庭内異文化理解"の克服が課題となった。"男の文化""女の文化"と指摘されることも多くなったが共有できるはず。小さな我慢と少しの努力を」

(5) 羽 賀 正 弘 (JOBA)
* ひのき秀英塾(JOBA)ロンドン校校長から帰国後、旧世田谷ビレッジ(現 JOBAガーディアンシップセンター)で帰国生の支援、外国人日本語スピーチコンテスト担当。
「学校側の帰国子女受け入れ体制を紹介していきたい」

(6) 小 山 和 智 (国際教育相談員。日本マレイシア協会)
* 海外子女教育振興財団に13年半勤務。ジャカルタ日本人学校事務長、クアラルンプール日本人学校国際交流ディレクター、啓明学園国際教育センター・ディレクターを歴任。現在、目白大学で国際学の修士課程を勉強中。
「海外赴任する家族のための斬新なガイドブックを作っている。検索し易いこと、摘み読みできること、など基本的な教科書となるように編集している」

(7) 土 方 敏 夫 (外務省 子女教育相談室)
* 元 零戦パイロット。成蹊学園の教師(数学)時代から帰国子女受入れ教育の先陣を切る。18年前の外務省子女教育相談室に開設以来関わり、海外の巡回指導も多い。
「戦闘機乗りの鉄則は"一番得意な時は後ろを見ろ"で、"しめしめ"と思ったときが最も脆い。教育は目的的活動であり、目的の意識化と自立の助長が大事である」

(8) 藤 澤  皖 (外務省 子女教育相談室)
* ICU一期生。茨城キリスト教大学、新島学園、女子美術大学、聖学院を経てICU高校設立準備室に(世界史)。1990年 大阪千里国際初代校長。1997年から現職。
「教育は Learn to know と Learn to be を教えること。個と和のバランスをとりながら自分を生かすような、自分の存在感を持たせる指導が大切である」

(9) 粕 谷 英 雄 (元 学芸大大泉 副校長)
* 東京学芸大大泉校舎には24年勤務(化学)。全国高等学校国際理解ネットワーク副会長。2000年退官後、東海銀行相談室で1年。現在は DIY(日曜大工)で悠々自適。
「教育の公的な部分と私的な部分との峻別が必要ではないか。最近、高校の義務教育化の話がどこからも出てこないのは不思議である。"文化"の考え方も変わりつつある」

(10) 安 達 美帆子 (T−GAL 代表)
* 1997年 横浜市都築区始まった帰国ママの活動は横浜全域に広がった。設立当初から関わっているが3年前、代表に。ネットワーク型の運営は、高く評価されている。
「プロジェクトの集合体としての活動を続けてきた。"素人"の集まりで手探り状態が続いている。帰国子女はまだ日本社会に受け入れられていないのではないか」

(11) 松 井 外 恵 (ヴィジョンの会 代表)
* ニューヨークに3回、通算14年半滞在。1988年 帰国ママを集め、英文の日本文化紹介の本を海外の図書舘などに寄付する活動を開始。既に654ヶ所に送付。
「野口聡一(宇宙飛行士)氏の応援団長。野口家と隣合せに住んでいて、20年前アメリカ土産にNASAのメダルを買ってきたことが、宇宙を目指す契機になった」

(12) 小木曽 道子 (異文化間教育研究センター)
* ドイツ・アメリカに通算11年滞在。帰国後、財団の渡航前夫人講座の英会話講師。東南アジアにも興味を持つ。INFOEでは海外に出かける人の生活・教育相談を担当。
「アメリカでは二カ国諮問委員会の経験をさせてもらった。"母親が元気であれば子供は元気"というのが鉄則で、お母さん方を支援していきたい」

(13) 山 田  勝 (『留学ジャーナル』)
* 1970年に留学相談・手続きセンター「ICS」設立。82年『留学ジャーナル』創刊。現在、世界留学事業者団体連盟(国内30社、世界16カ国加盟)会長。
「仕事は留学生の教育内容よりも生活面のフォローが中心で、今 標準規約(Norm)を策定中。世界各国では、教育をビジネスと考え始めていることを認識したい」

(14) 小 林 利 幸 (学習研究社)
* 「海外の生活と教育を考える会」のネットを活用し、学研『海外子女教育ディレクトリ』の仕掛人。ニューヨークの SPEAC代表カニングハム久子さんとは兄弟同然の仲。
「不登校の子供たちのための"自宅学習"を見直す動きが出てきている」

V.自由協議から
 (一部抜粋)


「これからの課題は、異文化をどう扱うかである」
「英国のA.アドコスの話では、公立校で5万人の不登校生があるという。義務教育を履行しない親には罰金を課する一方で、 ブレア首相は教育費を5%上乗せして学校を魅力ある場所にし様としている
「アメリカには"不登校"の概念はなく、親の怠慢と考えられる。児童福祉法違反として警察がやってくこともあることを、渡航前の研修で教えておく必要がある」
「米ドルの1ドル札にピラミッドの絵があるのはご存知だろうか? 秘密結社フリーメイソン(ユダヤ資本)の登録商標なのだが、誰もこれを止めようとしない」  ほか

                                      (以下 省略)



海外の生活と教育を考える会
H O M E