September 05, 2003

続・モーニング娘。を支えるものは愛情だ。

これからここに書くものは、前回に書いたことの続きだ。

僕は前回、「モーニング娘。は、愛情を持ってサポートされなければならない」と書いた。

言い足りなかったところを補足すると、「モーニング娘。は、そのメンバー一人一人の意思や、そのメンバー達が織り成す関係性を保護するために、愛情を持ってサポートされなければならない」というのが、僕の主張なのだ。

それでは、なぜ、モーニング娘。のメンバー一人一人の意思や、その中にある関係性を、保護しなければいけないのか?それが、今回書きたいことだ。

少し話はそれるけれども、どうか読んで欲しい。

テレビには、様々な芸能人が溢れている。でも、彼らは本当に人間だろうか?いや、人間であることに間違いはないけれど、「人間性」というものを持っているだろうか?

僕は、持ってないと思う。

いわゆる芸能人ってのは、みんな、「毒舌」だとか「カワイイ」だとか「おもしろい」だとか、さまざまなキャラクターを持っている。

だけど、そのキャラクター以外の、別の側面を見せてくれる芸能人は、果たしているだろうか?僕は、いないと思う。みんな、いつもテレビに出ては、いつも同じ内容のことしか言わない。同じ方向性のことしか言わない。同じ表情しか見せない。退屈で嫌になる。

自分の生き方に自信が持てなくて思い悩んだりとか、あるいは、その苦悩から脱出して、以前よりもずっと魅力的な人間になったりとか、そういう過程こそが、「人間性」だと、僕は信じている。そして、そういう「人間性」を見せてくれる人間ってのは、テレビの中には一人もいない。

モーニング娘。を除けば。

そう、モーニング娘。こそが、僕の求める「人間性」を見せてくれる存在だと、僕は信じているのだ。ASAYAN を見ていた頃からずっと、僕はその視点でモーニング娘。を見続けてきた。

その頃から、モーニング娘。は、いろんな試練にぶつかっては、それを乗り越えようと必死に頑張り、何とか乗り越えたり、あるいは乗り越えることができなかったりもした。

そして、その過程で彼女らが見せる笑顔や涙を、彼女らの「人間性」を表すものとして、僕は記憶してきた。(もちろん、何年も前のことだから、今では忘れてしまったものも、非常に多いけれども。)

厳しい芸能界。
自分の意思どおりはいかない芸能界。
迷ったり、戸惑ったりしてる暇なんてない世界。

そんな世界の中にあって、「モーニング娘。」だけが、愛情深く守られた、ユートピアのような世界であってもいいじゃないか。

その世界の中で、モーニング娘。のメンバー達は、日々努力する一方、モーニング娘。という集団の中での自分の位置づけや、自分の進むべきあり方を考える。モーニング娘。の中で過ごしながら、みなそれぞれに変化し、成長していく。それを見守るプロデューサーが、「彼女らにしか表現できないこと」を考え、彼女らの歌うべき歌を提供していく。それこそが、僕の望むモーニング娘。の姿なんだ。またそれこそが、いわゆる、モーニング娘。の「物語性」ってやつじゃないのか。

だからこそ、モーニング娘。たちの意思は、尊重されなければならない。モーニング娘。の中にある関係性は、手厚く守られなければならない。僕はそう信じている。

「なっちは自分の卒業に対して、前向きな姿勢でいるじゃないか、だからこそそれを尊重しろ」という反論があるかもしれない。でも、僕は言いたい。なっちは、ソロで活動することに対して前向きなだけであって、「モーニング娘。を抜けたい」と言ったわけじゃない。なっちのソロ活動と、モーニング娘。としての活動を並行することだって可能だ。

それに、なっち以外のメンバーが、コメントを求められるたびに「まだ、卒業まで半年あるので・・・」と、しきりに口を濁すのはなぜだ。彼女らの意思が本当はどっちに向いているか、考えてみれば明白なことじゃないか。

Posted by かわべ at September 5, 2003 09:11 PM