あなたは「きりり」のポスターを見たことがあるだろうか?
あなたがモーニング娘。が好きなら、このポスターのことを覚えているだろう。
白地で、娘。達がこちらにチューしてくれている、一度見たら忘れようもない
萌えインパクトを与えてくれるポスターだ。
僕は、いつものように酔いどれて酒屋に切れたビールを買いに行き、そこでこの
ポスターを見て、酔った勢いで「あの、剥がす時になったら、表のモーニング娘。
のポスターをくれませんか?」と言ったのだ。
そして数日後、僕は運の良いことにそのポスターを手に入れた。
上段になっち、りかっち、圭ちゃん。
下段に圭織、よっすぃー、ごっちん、まりっぺと並び、みんなで唇をとんがらかせている。
なっち、りかっち、まりっぺは目を開け、
圭ちゃん、圭織、よっすぃー、ごっちんは目を閉じている。
僕はこの七人の娘。のことをみんな美しいと思っているが、目を開けた娘。と
閉じた娘。の対照はとても面白い。りかっちのキュートは言うに及ばず、右下
のまりっぺのちょっと驚いたような表情が、まるで、陸上競技の幻の追い風参
考記録のように意表をついて美しく、そして、なっちがあえて我々から目を
反らしているのが、全体の美しさを却って際立たせている。
目を閉じたメンバーの不格好さがまた愛おしい。
普段あれだけの輝きを放つメンバーが、初めてキスをする女の子のように
ぎこちなく、こちらに無防備な表情を向けている。こちらで一番不格好なのは、
言うまでも無く圭ちゃんである。そして、僕は圭ちゃんのそんなところが大好きだ。
僕は部屋の模様替えを良くする方なのだけど、このポスターだけは本当に気に
入っているから、ずっと貼り続けたままで居る。
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例えば好きなメンバーのことを考える時、反射的に部屋のポスターを見たり
するのは僕だけのことじゃないと思うのだけど、このポスターに対して、僕は
一つだけ不安を抱いている。
それは、加護ちゃんが居ないことであり、辻ちゃんが居ないことだ。
僕は、加護ちゃんのことを考える時、モニターから向かって左に首を曲げる。
それは、僕が無意識に娘。がそこに居ることを知っているからであり、無意
識に加護ちゃんがモーニング娘。だと思っているからだろう。
しかし、そこに加護ちゃんはなぜか居ない。
まりっぺの真っ直ぐな瞳と視線が合い(座っている位置から、ちょうどそうな
るのだ)、一瞬僕は不安になる。もしや、加護ちゃんは僕の知らない間にどこ
かに行ってしまったのかと。そして、そのまりっぺの真っ直ぐな瞳は、僕に
向かって何を訴えかけているのだろう、と。
…もちろんそれは一瞬の感覚の出来事であって、それはスケジュールだかなん
だかの関係で一緒に撮影できなかったんだよ。加護ちゃんも、辻ちゃんもちゃんと
モーニング娘。だ。みんな一緒にいるよ…ってことをちゃんと理解できる。
でも、感覚的なレベルで言えば、僕が「モーニング娘。とは何か」と言うことを
無意識の中で強固に意識していると言うことだし、その世界においてメンバーの
不在と言うのは、とんでもなく不安な状態なんだろう。
ポスターの中での娘。の不在は、僕には納得できる。
それにはちゃんとした現実的理由があり、それを僕は理性で掴み取ることができる。
自分の不安を納得させることができる。でも、僕はなっちの不在と言うのは、
なっちが居なくなるということはどういうことなのかが、全く分からない。
なっちが消えたら、それがポスターの中の出来事で無かったら。
…みんなそうだと思うけど、正直を言えば、あの時からもう全ては分からなかった。
でも、僕や、ある種の人々はそれなりに自分を納得させたと思うんだ。
僕なんかみたいにいい加減じゃなく、もう本当に必死で娘。達を愛してる人達が一杯居る。
本当に必死な人達の不安って、それこそ理性だけで抑え込めるものだけでは無くて、
みんなが、全てのヲタが「ザ☆ピ〜ス」に感じたような、圧倒的なポップによってしか
癒されないと思うんだ。みんな、そんな圧倒的なポップを信じて、無理矢理それを抑え
込んだと思うんだ。
そして、その無理矢理な納得は救われたかと言うと、僕は救われていないと思う。
だって、なっちの脱退なんて信じられる訳ないじゃないか。
□
僕は、圭ちゃんの脱退の時に本当に危機感を感じたんだ。
絶望は時間によって癒される。僕らは現実的にそんなに長く絶望している
訳にもいかない。いつかは、否が応にもそれを納得してしまうんだ。
そして、それは事務所の戦略なんだ。
ファンは、そういう生き物だって言うことを全て分かってやっているんだ。結局、
姉さん以降の脱退は根本的に事務所によってもたらされたものだし、それは全て
事務所の理屈なんだ。娘。の思いによるものでも無いし、ファンの思いを納得さ
せるものでもない。
そして、僕はそれを卒業と言う言葉によって美化し、つんく♂にあんなことを言わ
せて、日本では何年か前のそこらから流行った「プロデューサー」と言う名の下に
全てを請け負わせようとしている事務所に本当の怒りを感じる。プロデューサーっ
て言うのは、そういうものじゃない。それは、自分の行動に自分の責任を負うって
言う、本当にシンプルなことなんだ。
事務所に理由があるなら、それなりのきちんとしたものを示して欲しい。
小手先の、週間少年漫画の最終回みたいな無意味なポジティブ、まやかしなんかじゃ
なくて、ちゃんとしたことを、ちゃんとした言葉で喋って欲しい。社長の意向なら
社長が、会長の意向なら会長がきちんと喋るべきだ。僕は、つんく♂がこんな酷い
ことを繰り返すような人物にはどうしても思えない。それでなければ、あんな詞は
絶対に書けない。でっかい宇宙に愛があるなんて。
□
そして、僕のようなダメ人間のできることと言ったら、納得できないことに対して、
徹底的に反対することなんだろうと思う。違和感をそのままにしていてはダメなんだ。
かたちにして行かないと、ダメなんだ。メロンライブや野外ライブが一部の暴徒のグ
ラウンドになっているのも「かたち」だし、悪質な転売屋のせいで(しかもそいつは
自身でヲタを名乗っていると言う。糞だ)、熱心なファンが後ろの席に追いやられて
いるのも「かたち」だ。
ファンはその「かたち」を美しいものにしていかなくてはならないし、事務所によっ
てその「かたち」が歪められようとする時、破壊されようとしている時、それに反対
するべきだと思う。みんな、もっと自分の「娘。を好きだ!!!」と言う感情を信じるべ
きだし、発するべきだ。そこに渾沌が生まれる程、事務所はなっちという存在の本当
の重さを肌に染みる筈だ。
愛するものの不在に対して、もっと張りつめてみるべきじゃないのか。
少なくとも、それぞれの一日分の日記に対しては。自分が自由になれるフィールドでは。