雑司が谷の杜から 東京再発見への誘い

品川宿と旧東海道

旧東海道

日本橋を起点とする旧東海道は、都心部では現在の国道15号(第一京浜)がほぼその道筋にあたりますが、品川から南大井の鈴ヶ森刑場跡までの約3キロの区間は、国道を離れた旧道が残され、旧街道歩きを楽しむ人々で賑っています。
3キロの区間のうち、賑わいの中心は京急北品川駅付近から目黒川に架かる品川橋を挟んで、品川寺付近までの区間です。旧品川宿のエリアで、往時を偲ぶ商家や史跡、横丁、そして数々の寺社など、散策の見どころが次から次へと現れます。
幕末の長州志士ゆかりの土蔵相模跡、品川虚空蔵養願寺と虚空蔵横丁、品川神社と品川富士、品川寺の江戸六地蔵など、旅人気分で旧街道を歩いていると、いつかは京都までの五十三次を歩き通してみたいという大それた気分にもなってきます。

板橋宿と旧中山道

旧中山道

海側の東海道に対する内陸側の東西メインルートとして整備されたのが中山道で、日本橋を起点に湯島、本郷、巣鴨、板橋、志村と続くルートは、概ね現在の国道17号の道筋に該当します。このうち、巣鴨駅前から板橋駅を経て板橋区泉町交差点までの約5キロに、国道から離れた旧道区間が残されています。
巣鴨駅から始まる旧道区間は、「おばあちゃんの原宿」の異名で知られる地蔵通り商店街として、日夜活気に包まれています。高名な「とげぬき地蔵」は、商店街を歩き始めてすぐ右手の高岩寺にあり、境内片隅に置かれた身代わり地蔵では、多くの参詣者が列を成して地蔵を磨き上げています。
板橋駅の先からは、旧板橋宿を中心とした不動通り商店街が北へ続きます。町名が仲宿に変ると、商店街も仲宿商店街と名を変え、賑わいもピークを迎えますが、この付近が旧板橋宿本陣の跡地で、かつての宿場の中心がそのまま商店街の中心になっています。

千住宿と旧日光街道

旧日光街道

江戸期には日光道中と呼ばれた日光街道は、日光東照宮への参詣道として整備され、日本橋、浅草から千住、梅島を経て草加、越谷方面へと続いていました。このうち、旧千住宿を中心とする千住大橋北詰から荒川放水路までの約2キロの区間に、旧街道の道筋が残されています。   
芭蕉「奥の細道」ゆかりの千住大橋の先から北へ延びる通りが、旧日光街道です。歩き始めると、すぐに「此処は元やっちゃ場南詰」と書かれた看板が目につきますが、この付近は江戸期に青物市場として賑った「やっちゃ場」の跡地でもあります。道路に面した住宅や商店には、当時の問屋の屋号やその由来を書きとめた看板が多数掲示され、旧街道の趣を街ぐるみで演出している様子が感じられます。   
北千住駅前の大通りを越えると、旧千住宿本陣跡地で、この先は横山家住宅、絵馬屋吉田屋、かどやの槍かけ団子、江戸の接骨医名倉医院など、旧来の建物も数多く残され、江戸情緒の一端に触れながらの散策を楽しむことができます。