今日のらくがき
06/30(金) 好きな作家(コリン・ウィルソン)
久しぶりに私の好きな作家の話題になります。というのも、偶然立ち寄った古本屋で、彼の作品を見つけたからです。「アウトサイダー」、といっても、トーマス・ハウエル主演の、マッド・ディロンとかロブ・ロウとか、ちょい役出演のトム・クルーズの、あの映画(フランシス・フォード・コッポラ監督に御冥福を)じゃありません。SF好きな人には、「賢者の石」の作者、映画好きな人には、「スペースバンパイア」の原作者として、知れ渡っていると思います(知らないかなぁ?)が、あのコリン・ウィルソンです。
「賢者の石」といっても、最近出版されている「賢者の石とハリーポッター」とは多分関係ないだろうし(読んでないから何とも云えない)「スペースバンパイア」(トビー・フーパー監督)といっても、映画のストーリーとは全然違う。あの映画の原作だとは、どうしても思えない。まぁ監督が監督だから仕方がないんだけどね。
「アウトサイダー」は彼のデビュー作だったと思うけど、私が産まれた時が初版だから(勿論イギリスです)40年以上前の作品です。日本では、確か紀伊国屋書店が単行本で出してたんだけど、ずーっと探していて、やはり偶然、市ヶ谷の本屋で見つけ、やったーっと小躍りしたのもつかの間、始めの2ページ位しか読んでないのに紛失してしまいました。(だらしないなぁと、悔し涙)それも、15年位前の話です。
それが、今日見つけて慌てて買ってしまいました。文庫本で200円。集英社文庫から出ていました。初版が12年前だけど、第10刷で6年前になっているから、まだ廃刊にはなっていないのかも知れない。
彼の作品は、犯罪者の心理とかオカルトの研究とか、変わった傾向に走ってるけど、「賢者の石」も「スペースバンパイア」も面白かった。賢者の石なんか半分位まで、どこにもSFらしいことがなくて、疲れて読むのを止めようとまで思ったんだけど、変わった形のタイムトラベル物でしたねぇ。どちらかというと、私の好きなヘルマン・ヘッセと同じ様に、彼の話が東様(キリスト教徒よりは、仏教徒)的な感じがするから好きなのかもしれません。SFと怪奇物が好きな方には、絶対お勧めのコリン・ウィルソンですね。
06/28(水) どれもほんと?昔ばなし
絵本が好きな子供は、よく本を買ってとせがみ、根負けしてよく買わされますが、買う本というのは大体決まっていて、もちろん同じ本は買いませんが、「桃太郎」だったり「一寸法師」だったり、「かちかち山」や「そんごくう」(西遊記まではいかない)「さるかに合戦」などがあります。毛色の変わったところでは「くるみ割り人形」字を読めない子供から私は読んでといっては何回も読まされていますが、本だけではなくビデオも色々なパターンの話を借りてはダビングして、何度も見ています。
教育上の問題から子供に夢を持たせたいとか、乱暴なシーンはなるべく除くなどの配慮がされている為なのでしょう、これらを見ると微妙に話が違っていて、結構楽しめます。
桃太郎を例にしていえば、家来の犬・猿・雉の登場の順番が違っていたり、彼ら犬達も鬼に苛められているので復讐したいとか、幼児番組の(終わってしまった)ポンキッキのビデオでは、村の女の子が鬼に攫われたので助けに行く、などという話になっていたりします。(個人的にはこの話が、泥棒の上前をはねるという元の話よりは好きです)昔から桃太郎の育ての親はおじいさんとおばあさんなのに、何故お父さん、お母さんと呼ばないのか不思議に思っていましたが、お父さん・お母さんと呼ぶ話さえありました。
でも、一番変わっているのは、「さるかに合戦」でしょう。私の記憶によれば、合戦という言葉を使うのは教育上よろしくない、ということで、昔禁じられていたことがあった様な気がしていましたが、最近はまた復活したようです。それでも「さるかに」「さるかにばなし」などというタイトルになっている物も結構あります。お母さんカニは死なないで、最後にやっつけられるサルさえも死なないで、みんな仲良くカキを食べてお終い、なんていうみんな幸せハッピーエンドの話さえあったりします。もともと怖い話ですから、そういう話があってもいいのかも知れませんが、全部が全部そうでないのが、まだ救いでしょう。
これらの昔ばなしは、元はあるのでしょうが、各地方毎に色々脚色され、話の流れや登場人物が変わり、民話として各地方に根付き、代々伝わってきていますから、どれが正しいかなんていうのを考えるのは無駄なことだとは思いますし、昔ばなしはこれが正しいといって統一してしまった明治政府のやり方にも問題があったのかも知れませんから、色々なパターンがあって良いと思いますし、どれも正しいんじゃないかな?なんて思っています。
そういえば、西遊記に登場する、沙悟じょう(字が解らない)は日本ではカッパという事になっていますが、本場中国では、カッパという妖怪はいないんで、亀(玄武:西の守り?だったかなぁ)のことだろうという話を聞いたことがあります。世界でも西遊記大好きの日本人(なんでも世界で一番読まれているらしい)の一人ではありますが、まだマトモに読んだことはありません。高校生の時に図書館にあった西遊記(広辞苑みたいな厚さの2冊組の本)を斜め読みしたことはありますが、随分昔だからあまり覚えていませんし、元々口伝ですから、どれが本当なのか、いくら中国の本を正確に訳しても、それが正しいなんてわかりませんからねぇ(日本の昔ばなしと同じです)シンデレラの靴もガラスじゃなくて、グラス(草?)を誤って訳したのが、そのまま広まってしまったという話を聞いたこともありますし、現代には現代にあった話を伝えていけばいいのかも知れません。
06/27(火) やっぱり買ってしまった
宮部みゆきはちょっと…と云っていた私ですが、結局「蒲生邸事件」を買ってしまいました。まだ積んである状態なんですけどね。日本SF大賞を受賞するくらいだから、やっぱりSFとして読みたいと思います。最近とくにこれを読みたいというような本が少なくなってきました。もちろん敢えて避けている本もありますし、作家もありますが、どちらかというと私は、「食わず嫌い」だと思います。特に最近は書店で名前はよく見るけど、手には取らないという状態が多く、昔から読んでいた作家の物に固執してしまいます。冒険をしなくなってしまったんでしょうかねぇ。昔はLP(CDじゃないぞ)を買うときも、まったく知らない人のLPを買っておりました。インディーズじゃないけど、LPを出すくらいだから少しはいい曲もあるんだろう式に、ジャケットで買っている時期がありました。勿論ハズレもありましたが、COSMOSという女性3人組のキーボード奏者?のグループのLPは良かったです。2枚目のアルバムも買ってしまいましたからねぇ。むかーし、昔に「笑っていいとも」にも出演していた時期もあり、結構曲だけは、いろんな番組のバックに流れていたりしたこともありましたから、記憶にある人もいるでしょう。
とは云ってもたまには冒険して、まったく読んだ事のない人の本を買うときもあるんですが、読んだ本が悪いのかなかなか当たりが見つからない状態が続いています。「蒲生邸…」も給料日が来て小遣いもちょっとあったんで、文庫本より高いけど、奮発して買ってしまった訳です。多分当たり…ですよね。
今読んでいるのは、「クッキングママシリーズ」の最新刊(8冊目)ですが、主人公のトラブルを引き起こす性格に、旦那さんがよく我慢出来るなぁ、良く出来た旦那だなぁと感心して読んでいます。この本もそのうち、お薦めにいれてしまいましょう。
06/25(日) ちょっと堅いお話
今日はQ書房1000字の締切日であり、統一選挙の投票日でもあった。勿論どちらも行ったが、やっぱり1000字の方よりは、選挙の方が心配ではある。選挙前の自民党の支持率の低さと、総理大臣の問題発言、どうしても無党派層は自民党へは入れたくないという前評判が高かった。こういう選挙は今までの経験からいくと怖い。自民党に圧勝しては欲しくないが、自民党が負けたら政治はどうなってしまうか心配な人が多いからだ。結構こういう人は選挙に行かなかったりする。これだけ選挙前に自民党はあぶないという意識をマスコミが流してしまうと、その反発で、自民が負けたら大変組が、圧勝しては欲しくないといっても、自民に投票するという結果が起こってしまい。以前の様に自民圧勝なんてパターンになる可能性もある。社会党の村山さんが総理大臣になった時に懲りている(失礼ですね。すいません)国民の意識が、やっぱり自民党が引っ張っていかなくっちゃ政治(日本)はダメになるという根強い考えがあるんでしょうし、郡部と云われる基盤のしっかりした(これは止めて欲しいなぁ)選挙区域では、無論結果は見えていますが、都会の一票の重さが軽いところでは、結構影響を与えてしまうんですよねぇ。政治に対する意識の低さの問題だとは思いますが、嘆かわしいことではあります。小渕さんの所は、やっぱり当確らしいけど、いい加減にして欲しいよなぁ。確かに本当にその人が政治家として向いているかどうかなんて、今の段階じゃわからないけど、やっぱり親の七光りだけで当選するというのは、お笑いですよ。(群馬県の人は何を考えてるんだかねぇ…)
ところで、この間の「高野鎮雄」さんですけど、「高野鎭雄」でした。字が違っていただけでしたね。でも、まだ解けない問題が残っています。(悔し〜い、でも難しい)どうせ全問正解しても抽選だから、商品なんか貰えないのにねぇ。ここまで来たら意地ですかね。
06/23(金) 今日は日帰り出張
今日は朝早くから家を出て、長野に日帰りで出張でした。長野ってお土産がないんだよなぁー。往復の新幹線の中では暇なので、読む本が無くて結局、宮部みゆきの「鳩笛草」を買ってしまった。3つ作品の短編集でしたが、全部超能力者が出てくるというSFもどきのミステリーでした。「クロスファイア」は単行本で昔読んでしまっていたので、映画化されるからと又欲をだした出版社に乗って、やっぱり買ってしまった。さすがに帰りは疲れて寝てしまったので、2作品しか読んでいませんが、嫌いになった作家ではあったけど、面白かった。(単純な男だなぁと自分をけなす)2・3日前から日本ビクターのクイズ(例によって、懸賞サイトの問題)をインターネットで答えを調べようと頑張っているんだけど、超難問とあるだけあって難しい。どうしても途中の問題が解けなくて先に進めない。ちなみに解らない問題は「元日本ビクターの副社長で、ミスターVHSと呼ばれた人の名前は?」というのなんだけど、「高野鎮雄」さんかと思ったら違うらしい。彼が元副社長かどうかは解らないんだけど、調べていたらどうやら凄い人らしい。以前国営放送(すごい表現)で彼の話をやっていたらしいが、当時のSONYとやりあって、結局世界の統一規格をVHSにしてしまった立役者なのだ。しかも彼らは当時窓際と言われた部署に所属していたらしい。私はその番組を見ていなかったんだけど、調べていったら段々凄い人だと判ってきた。私も頑張らなくっちゃね。
06/20(火) 投稿作品
今回のQ書房の1000字は、久しぶりに悩んだ。久しぶりに悩むというのも変だが、ムカツクぐらいの善人(俊という名前)なんてどうやって書いたらいいのか判らなかったからだろう。「心の善良な人。行いの正しい者」辞書にはそう出ているが、人から反感をかう位だから、すっごーい人をイメージしてしまう。間違ったことは絶対にやらないし、何でも率先してこなす。みんな(殆どの人)から愛される完璧な人間。ちょっといい男だったら文句はない。でも結局はあんな風に書いてしまいました(あんな風というのを知りたくても、発表を待って下さい)
以前、一之江さんの所のテーマに乗って遊んだ事もあるけれど、テーマが決まっていたり、登場人物の性格が決まっていたりするのは、書くという作業に関しては楽しいんだけど、その性格が自分の持っている意識の中と違う人だったりすると、全然書けなくなってしまう。これは自分のものになっていないからでしょう。500字の挿し話(これもQ書房)は、絵を見てイメージを膨らませるから色んなイメージが湧いてくるときもあるし、全然湧かないときもあるから、それはそれで又楽しいんだけど、こういうイメージが湧かないときというのは、書くという作業をしていると、悲しい。何事も経験だとは思うけど、経験できないことは他人には解らない様に想像(創造)するしかない。そういう意味ではSFは安易な方法かもしれないなぁ。まさか、ムカツクぐらいの善人の俊さんが、なんて書くわけいはいかないもんなぁ。まぁ、済んでしまったことは諦めよう。もう投稿しちゃったもんね。
しかし、今日も暑いけど、納涼怪談ばなしという案は面白いなぁ。誰か一緒にやらないかなぁ。(まだ懲りてないぞ、このじじいは)でも、やっぱり書きたい話を書くのが一番の様な気はするから、参加したい(遊びたい)人だけの方が、いいだろう。
Qさん、第16回はみんなで「怖い話」をやりましょうか。(完璧にQさん宛てのメッセージ:読まれなくってもいいもんねぇ)
06/18(日) 翻訳家
今までケーブルテレビで、「カムイの剣」を見ていました。懐かしい。原作を読んだのは随分昔なんで、宝捜しの話だった記憶と、面白かったという記憶だけはあったけれど、内容をすっかり忘れていて、新鮮な気持ちで見れて、楽しかった。昨日見た「梟の城」とは格段の差だ(まだ云ってる)矢野徹さんの原作の良さを活かし、角川映画(スタッフの力か?)は良い作品を作ってくれたものだ。
ところで、カムイというと、白土三平の「カムイ伝」「忍風カムイ外伝」が思い出される。カムイ伝の方は四部作の第一部しか読んでないけど(まだ二部を書いてる途中だと思った)20冊を超えている大作だけあって、本人が生きてるうちに完結しないんじゃないかと心配ではある。(ひょっとしたら赤目プロが続けて書いていくのかなぁ)外伝の方はテレビでやっていた頃に見て、忍風霞切り?とかいうワザを練習したような気もする。そういえば、子供の頃見た映画の「ワタリ」で使っている武器の斧を木で作って背中にしょって、山を飛びまわって遊んでいましたねぇ。とにかく忍者物は、今の子供達の仮面ライダークウガや、タイムレンジャーなどの様な感じだったんだと思います。って忍者の話じゃなくて、今日は矢野さん原作の映画を見たんで、翻訳についてちょっと。
福島正美・矢野徹・野田昌宏。この三人は、知る人ぞ知るというか今思いつくのはこの位なんですが、日本にSFを紹介していた先駆者でしょう。もちろん彼らも作品を書いています(今日みた映画の原作者も矢野さん)どちらかというと、ジュナイブル的な小説だった様な気もしますが、SFってこんなに面白いんだよというSFの面白さを広めていった功労者でしょう。翻訳の仕事っていうのは、大変だと思いますが、外国語がダメな私にとっては、外国の作品に接する機会を作ってくれるありがたい人達です。行間に込められた味わいを、日本語に訳すというのは、大変だと思いますし、SFなんて特に知らない事が多くて難しいんじゃないのかと思ってしまいます。そういえば、SFではないけれど昔読んだ本に、子供の頃の思い出が出てくるシーンがあるんですが、その中でまた回想シーンが出てくるという話を読んでいた時に、翻訳者の注で作家が年齢を間違えている。なんて間違った指摘をしている本がありました。バッカヤロウ、間違ってるのはお前だよ。って突っ込みたくなりましたが、訳すだけじゃなくて、ちゃんと理解していないからでしょう。
外国映画を見ていても翻訳をする人の苦労がわかります。アービングの「ガープの世界」の中のシーンで、年齢を聞く個所があって、30歳だと答えると、30ねと確認するんですが、中年ねという字幕だったのが印象的でした。当時30に近かった私は、30は中年かぁと、ちょっと寂しかった思い出があります。
06/16(金) 日本の映画
昨日は結局ビデオを見ていて寝てしまったので、今日「梟の城」を見た。小説の映画化というものの問題点が顕著に表れた映画であった。残念でならない。なんであのビデオが、あんなにずーっと貸出中だったんだろう。全然面白くなかった。映画館にいかなくて正解。TUTAYAの宣伝では素晴らしいSFXなんて云ってたから、ある程度のCGも期待してしまったのがいけなかったんだろう。SFXの多用は避けストーリー重視らしい作品ではあったが、2時間ちょっとの映画なのに、原作の持ち味が出ていない。久しぶりの時代劇で忍者映画なんだから、今の技術であれば、もう少しましな作品になったと思うんだけど、残念だ。
今回は技術をあまり使っていなかったけど、逆に技術を使い過ぎた為に作品として面白くなくなってしまったものもある。思い出すのが(残念なのが)「かぐや」という市川昆監督のかぐや姫を題材にした映画だった。せっかく途中まで面白かったのに、ラストでは宇宙船が出てきてしまって、勘弁してよーっ、だったもんなぁ。これは何も日本だけじゃなくて、「キャットピープル」っていう映画もそうだった。当時変身シーンが花盛りで、これも女性が黒豹に変身するシーンがあったんだけど、変身シーンがないほうが、ずっと映画としての完成度が高かった気がする。
梟の城は、もちろん話を知っていて(小説を読んでいて)映画を見てるんだから、別の作品として見なくちゃダメなのは判ってるんだけど、本を読んでないと登場人物の関係やストーリーが判りづらい。評判が良かったから余計に悔しい。なんでこんな映画が評判良かったんだよ!マスコミ操作の所為なの?それとも見た人が素晴らしい映画だと本当に思ったんだろうか?篠田監督の時代物の作品では「沈黙」(遠藤周作原作)なんかは好きなんだけど、司馬さん原作の死後第1作としては、拍子抜けの感じが拭えない。
若手の映画監督がどんどん出てきている中で、大御所と呼ばれる人達が結構有名な人を沢山使って映画を作ってはいるんだけど、主人公でさえ、あんなでかい忍者がいていいのかって叫び出したくなってしまいましたよ。やっぱり日本で受ける映画は、子供と動物を使った映画だけなんだろうか?
「踊る大捜査線」は面白かったけど、日本映画はやっぱり沈滞気味である。(スペトラ見てないけど面白いのかなぁ)子供向け映画が多い雨宮慶太さん(特撮監督でありイラストレータでもある)は大好きだけど、ああいう人は日本じゃ受けないんだろうか?「ゼイラム」や「未来忍者」「ハカイダー」なんか良かったんだけどなぁ。彼の作品は映画館上映のものは、仮面ライダーなんかの完璧に子供向けだから、著名度が低いのかも知れない。日本映画界よ、がんばれ!
06/15(木) ユーモア推理小説
推理小説で好きなのは謎解きです。TVのコロンボの様に始めに犯罪を犯すシーンがあって、コロンボがとぼけた風を装って犯人を探すというパターンも好きですし、掌編小説で推理物ならば、コロンボのこの形がいいのかなどとも思っていますが、最近はやはり人間を描いたりする社会派物じゃないけど、心理物やサスペンス劇場向けの話(こういう云い方をすると、まるで水戸黄門みたいだけど、悪い意味で言っているわけではありません)が多いですねぇ。でも私は最近のそういう系統よりは、どちらかというとお笑い系の話が好きです。以前取り上げた、西村京太郎の名探偵シリーズや、赤川次郎の三毛猫シリーズ(最近読んでないなぁ)忘れてならない天藤真の「大誘拐」(これは傑作だぁ。TV化も映画化もされたから、知らなけりゃもぐりかも)清水義範のやっとかめ探偵団シリーズ。まぁこんな感じで、謎解きで勝負できないなら、どちらかというとユーモアに溢れる「おぉーっ、これは面白い」と楽しめる物が大好きです。(但し、天藤氏の大誘拐はコンゲームです。謎解きが主ではありませんので、謎解きで勝負できないわけではありません。念のため)そういえば、コンゲームも面白いなぁ。
もう10年以上前の映画ですが、西村氏の名探偵シリーズの様な、「名探偵登場」という物があったんですが、これも傑作でした(私はビデオで見ました)これも有名な探偵達が出てきて、自分勝手な推理を披露するという、推理小説への賛歌みたいな作品でした。一昨年位に出た同名の小説はまったく違う話で、面白くはなかったですが(買って損したぞぃ)この映画は結構好評だったらしく、続名探偵登場なんてのもありましたから、見た人もいるかもしれません(続の方はあまり面白くない)まぁそんな感じでユーモアのある話が好きです。
そういえば、泥棒や詐欺師が主人公のコンゲームも、ユーモアの一種なのでしょうか?これも好きですねぇ。それは又の機会にしましょう。今日はやっと借りられた「梟の城」のビデオをこれから見ますんで…。(1000字まだ何も思いつかないけどどうしようかなぁ)
06/13(火)深夜 読んでから見るか、見てから読むか
以前、書いた記憶がありますが、私は映画が大好きです。しかし結婚してから殆ど映画館での鑑賞?はありません。結婚する前は、土曜日に3本立て、日曜にはロードショーというパターンでした。それで映画は一人で見るものだと思っていますから、誰かを誘うなんてこともありませんでした。雑誌の「ロードショー」とか「スクリーン」なんかを買っていた時期もあります。さすがに「キネマ旬報」なんていうマニアックなところまではいきませんでしたが、ぴあは季刊誌の頃に発見し、隔月・月間・隔週・週間となる頃まで買い続けていましたねぇ。さすがに週間になると全部見るなんていう事は出来ませんでしたが、映画を見に行く前に150円で買って、200円の割引を受けていました。(今はどうなんだろう?)
映画を見るのに一人というのは、もちろん他の人に気を遣わずに自分の世界に入り込めるからです。小学校の頃は、ガメラとかゴジラとかの怪獣映画を良くみましたが、一度友人と「天地創造」なんていうスペクタクル映画も見ましたねぇ。(めちゃくちゃ古いなぁ)もちろん、最近やった「スターウォーズ」も1作目から見ています。私の映画は殆どジャンルを問わないんですが、極力避けていたものは、恋愛物と戦争物です。その所為もあるのか、スターウォーズよりは、同じ時期に公開した「未知との遭遇」の方がすきでした。しかも完璧版じゃない方が好きです。完璧版では、SFXの多用さが目立ち過ぎ、途中の良かったと思ったシーンがカットされていたからです。あの頃は角川春樹が映画界にも乗り出してきて、見てから読むか?読んでからみるか?どっちが先だったかわすれましたけど、そんなコピーで、本と映画の2本立ての戦略を進めていました。当時の角川文庫に挟まっているしおりで、映画は200円引きというおまけまでありました。
最近は、映画化を前提にした本(例えば、マイケル・ムアコック)もありますし、赤川次郎の「探偵物語」を読んだ時に、これは薬師丸ひろ子にぴったりの役だと思ったら、彼女をイメージして書いたなんていうオチまでありましたから、映画と小説というのも切り離せないものかも知れません。ただ推理小説しかも謎解き物については、映画の方は結末を替えたりする位の乱暴なことをしたりしていて、原作のイメージと違った物になっているものもあります。一昨年位に映画化された「レ・ミゼラブル」なんか、大事なシーンは無くなっているし、結末まで違うのには、ビデオを見て驚きました。あれじゃぁヒットしないよ。そういえばフランダースの犬の映画化では、日本向けには原作通りにネロは死んでしまうけど、アメリカじゃ死なないなんていうストーリーだと聞いたことがあります。なんかアメリカ人(といっても映画を娯楽として愛する人達)のエゴみたいなのを感じて、ちょっとイヤな気分になりますが、商業主義のために映画の結末が変わるなんていうのは、多いらしいですよね。まぁ、だからこそ、ルーカスは、自分で会社を起こしてしまったんでしょうし、スピルバーグはパっとしなくなったんでしょう。
最近のSF映画は昔の小説(壮大すぎて映画化が出来なかった)を映画化するという現象が起きていますし、リメイクばやりです。昔々のSFのジャック・フィニーの「盗まれた町」なんか白黒の映画がありましたが、やはりリメイクされていて(もっともビデオで見てますが)凄い迫力で怖かった記憶があります。(これは原作に近かった)
こういう映画化される小説というのは、勿論映画と小説の違いはありますから、作家と監督という立場の違いだけでなく、表現方法でテーマさえ変わる場合もあります。どちらも各々別の作品ですから、それはいいんですが、始めに小説を読むと映画を見てがっかりしたり、映画を見てから小説を読むとがっかりしたり、(どちらもがっかりばかりという訳じゃないですが)それは、別のものなんだから仕方がないと思えるんで構いません。ただノベライズといわれる、映画を見てからその話を小説にするという(殆どは、映画をみないで原案から書く場合が多いようです)物に関しては、小説を読んでから、映画を見た方が楽しめるようです。いままでの経験からいうと、「スターウォーズ・エピソードT・ファントムメナス」「バックトゥザフューチャーTUV」「ゲーム」などは、そうでした。
06/10(土) 今日はお絵描き
6/10が二つありますけど、前のは実は昨日の深夜のものです。昨日は書き始めたのは9日だったんですが、書き終わったのが、10日だったんで、10日にしてしまいました。今日はちょっと暇になったんで、また書き出したという事です。
で今日は、午前中は子供は第2土曜クラブというボランティア(通称ボラさん)の人を含めた課外活動とでもいうべき集まりに参加して暇だったんですが(結局ずーっと寝ていた)、午後からはパソコンで、お絵描きという一日でした。このお絵描きは、大体題材が決まっていて、絵本のキャラクターを描けばOKという事になっています。「桃太郎」「さるかに合戦」「西遊記」などが主流です(何故か、サルが共通しているなぁ)まぁ、たまには、ナイトメア・ビフォア・クリスマスの、ジャックだとか、ジャイアントピーチのムカデさんだとかも描かされますが、今までは、紙やダンボールに描いていたんですが、パソコンで印刷出来ると子供が気づいてから、私はパソコンで絵を書く事になってしまいました。絵が出来ると、彼は切りとって人形の変わりにして遊ぶんですが、もちろん本当の人形(ぬいぐるみなど)を使う場合もあります。そういう時には、衣装作りをさせられてしまいます。しかも以前は紙で作っていたんですが、最近は布地を使う様な事さえあります。(女房は裁縫が得意でないという事で、これは私の担当。なんで俺が人形の着る物を作るんじゃぁー。でも昔は趣味でバッグを作ったりしていたけど、最近しなくなったなぁ)
で今日はパソコンで、ぬり絵用の絵を作っておりました。(こんなことは始めてじゃぁ!)パソコンで絵を書くといっても、今までは絵本の絵や、インターネットにある絵をそのまま印刷したりでOKだったんですが、今日は時間もあったからと張りきって、ぬり絵用の絵に挑戦。もちろんそんなソフトはありませんから、ペイントブラシ(windows標準のアクセサリー)で、しこしこと一生懸命。フーッ疲れた。で完成したのが下の絵です。これは以前東京12チャンネルで放映されていた「モンキーマジック」というCG多用の結構面白いアニメだったんですが、天竺へいく場面(八戒も、沙悟浄も出てこない)で終わってしまいました。うーん残念。調べたらこのHPがあったんで、その絵をパクって下絵にし、色を抜いて輪郭を少し変え、輪っかを被せて、如意棒を持たせ完成。ここに勝手に載せるのって違法なんだろうか?元の絵からは大分違ってるからいいと思うんだけど、ダメなら誰か教えて下さい。この絵の元はA4サイズなんで、コピーすれば、ぬりえ用の絵にはなります。私の許可は必要ありませんが、どうなっても知りません。
06/10(土) 最近読んでいる本
この間、雨女さんに薦められた「キリンヤガ」を読んでしまいました。確かに沢山の賞を取っているだけあって、面白かったです。でも私の好みとは少し違うかなぁという感じかなという思いもしているような無いような(いったいどっちじゃ!)このキリンヤガは、元々短編として書かれた物を連作物として書きつがれ、それを纏めているという点が、私にこの本を買わせなかった理由なんですが、長いひとつの話を一冊で読みたいという思いをやはり充分に満足させてくれはしませんでした。連作物といえば、またSFの話になりますが、ドイツの小説で、作家が何人もで共同執筆している話があります。知る人ぞ知る「ペリーローダン」シリーズですが、本国のドイツでは確かまだ続いていると思いましたが、世界各国で訳されているんですが、アメリカは何年も前に訳を止めてしまい、日本では何とか2・3ヶ月に1冊くらいの割合で、出版されていると思いました。書き始められたのが、まだ月に人間が第一歩を踏み出す前ですから、30年以上前になります。当時はソ連の方がロケット技術は進歩しておりましたが、この本では主人公をアメリカ人にして、月への第一歩もアメリカ人にさせています。話はそこから始まるスペオペ(スペースオペラ)ですが、私は既に何年も前に挫折してしまいました。確か1冊に2話乗っていて、始めから買い捲っていましたし、纏め買いもしておりましたから、何冊か同じ本を買ってしまった事もありますが、さすがに80冊位で止めてしまいました。確か訳している人は一人だけですから、ずーーーーーっとこの事だけを、やっているのかも知れません(大変だろうなぁ)
で、今回は今読んでいる本なんですが、お薦め本には入れていませんが、結構前から読んでいた推理小説(カウチポテト用の小説?)です。ダイアン・デヴィッドソンの「クッキングママは名探偵」から始まるシリーズものです。4冊目の本が中々なくて、色んな所を探したんですが見つからず、本屋に入るたびに探しては、その後の話はあるのになぁと、残念がっておりましたが、つい先日見つけて、今は6冊目を読んでいます。(やっぱりこういうシリーズ物は、続けて読みたい)主人公はクッキングママというくらいですから、女性ですが、アメリカらしく(今では日本もそうかな?)思った事はすぐ口に出すけれど、ちょっと自分勝手な、でも憎めない女性です。シリーズの途中で、結婚しますが、彼女の職業が最近日本でもはやり出している、ケータリングという商売です。彼女のストレス発散は、料理というだけあって、料理の話が随分出てきますし、日本の食文化と違いますから、朝からケーキを食べたりするシーンさえあります(もっとも、昔の同僚に、朝からケーキを食べてる男もいましたけどね)
始めの頃は、彼女の性格というか、子供を一人抱えて自分で商売をして、やっと何とか生活しているという事もあったのかも知れませんが、文句ばかりいうちょっと鼻につく女性でしたが、最近はなんだか好きになってきてしまいました。(そういえば、嫌いな女性っていなくなったなぁ。なんでもいいって訳じゃないんですけど、誰でも可愛く感じちゃうんですよね。病気かなぁ?)化粧なんか殆どしない、バリバリ働く女性が主人公だからなのかも、知れません。何でも一生懸命やっている女性っていうのは、男性と同じで魅力があるもんです。
06/06(火) 書くと言う事について(目的)
今日は久しぶりの落書きなんですが、(そうでも無いか?)最近感じる、小説を書くという事について、少し書きます。Q書房の感想を書き終わると大体いつもそう思うんですが、自分の作品はやっぱり小説として人に見せる物じゃないという事です。はっきりいって私には文才が無いという事は自覚しておりますし、自己紹介でも書いたように、私は日頃のストレス発散のために書いています。でも書くという行為から、少しは書く事に慣れればという思いはありますし、人の目に触れてひょっとしたら面白いなんぞと言われれば、有頂天になってしまいます。私はあまり疑わない性分ですから、それが例え言葉のアヤであっても信じてしまいます。
そのうち私は子供のことを書こうかとも思っています。小説としてではなく、記録としてです。私の子供は障害者で、今は小学6年生ですが、2・3歳程度の知能しかない知的障害者です。最近掲載した小説(無題)も事実の記録です。だからかも知れませんが、私は明るい話が好きですし、小説に毒が本当に必要とは思っていません。自分で書く話が子供に聞かせる寝物語になればとさえ思っています。ひょっとしたら私は児童向けの話を書きたいのかも知れませんが、まだ私にはわかりません。ただ書きつづける事で、自分が書いていきたい事が見つかるのかも知れないとは思っています。
小説家になりたくて、流行のインターネットで投稿をしながら勉強している人もいるとは思いますが、私の様に小説家になりたいわけじゃないけど、ただ書いてみたいという思いから書いている人もいると思います。目的もなしにやるのは、確かに意味がないのかも知れませんが、今の段階では、書きたい時に書きたい事を書いて、間違って面白い作品が出来たら嬉しいというだけでも、私はいいと思っています。趣味のひとつなんですからね。となるとやっぱり私の様にストレス発散にあたるかも知れませんね。
06/03(金) 元気が出る作家(平井和正)
彼が幻魔大戦を書き出す前に、一度休筆宣言をしたことがあります。言霊が書かせてくれる小説ですから、彼の自由にはならないんでしょうが、もう人間ダメ小説は書かないと宣言しました。それまでの小説は結構好きなんですが、かのエイトマンの原型(もちろん原作者は平井さんです)とも云える『サイボーグブルース』や、ビデオ化もされている『ウルフガイ』こういう話を今後書かないなんて、一体どうしちゃったんだろう。もう平井さんは作家を辞めるのか、と当時は思いました。最近『アダルトウルフガイ』シリーズがハルキ文庫から出ているんで、読んだ人もいるとは思いますが、絶対に面白いと私は思います。以前に確か文庫化されたときに、ファンの人達で、小説の後ろにつく推薦文みたいなのを公募して、載せたなんて事があるくらい、ファンが大勢いました。もちろん今でもファンの人は多いと思います。
でも最近というか、『幻魔大戦』(これは、シリーズがすごーく沢山あって、石の森章太郎のマンガから、江戸時代での新幻魔大戦、そして小説版の幻魔大戦<これは映画化されましたね>、真幻魔大戦、少女が主人公になっているものまで、やたら多いですし、長いです)を書き出した頃から、小説の中の人の様に、宗教がかってきてしまった感じで、ちょっと離れてしまいました。でも、彼のこの幻魔大戦(最近再版された)だけは、鬱の状態で読むと何故か元気が出てきました。やったろうじゃないかって気になります。どちらかというと超能力物で読んでいたはずなのが、精神的に高位な存在へなろうとしている話になっていたこの本は、言霊が降りてきて、書かせているだけあって(凄い早さで書くらしい)その影響が読者にも伝わっているのかも知れません。私にも言霊が降りてきて、すごい小説でも書かせて貰えたら嬉しいんですけどねぇ。
Q書房の1000字の感想も書かなきゃいけないんで(そんなことはないんですが)、日記は感想が終わるまで、休憩にします。