『正義の味方だ。サラリーマン!』
「君〜ぃ。もう若くないんだから白いシャツの下に絵のついた下着なんか着ちゃぁいけないの位わかるだろぉ。困るねぇ。だから奥さんに逃げられるんだよ、ぇえ」
 禿げた課長が私の顔を見るなり苛めてきた。
「はっ。申し訳ありません課長。ちょっとこれから、○△に行かなくちゃならないんで、お叱りは帰ってきてからという事で…」
 私は頭を下げると見積もりをカバンに入れ、エレベーターに飛び乗った。はぁーっ。やっぱりこれじゃぁ目立つよなぁ。私は胸に浮かぶ大きなSのマークを見て、昨夜の事を思い出していた。

「あーなったは、地球の為に戦えまーすかー? 正義のたーめに自分を犠牲に出来まーすかー? キィーッ!」
 新橋の汽車の前で私を呼び止めたのは、どこかの宗教勧誘かとも思える、イントネーションのおかしな、擬音を発する私と同じ40位のおっさんだった。
「ショッカーめ。私がやっつけてやる。へ〜んし〜ん。トォーッ」
 酔っていた私は仮面ライダーになると、ショッカーに向かってライダーキックをお見舞いしてやった。…つもりだったが、彼はさっと身を躱し私は地面とキッスをしていた。
「むふぅ。なかなかやるなぁ…」
 私は口に付いたガムとタバコの吸殻をとってゆっくり立ち上がると、醒めはじめた酔いがいとおしく、彼を無視して帰ることにした。
「ちょっとおマッチ下さーい。あーなたは正義の味方になりたくないですねぇ」
「それを言うなら、『なりたくないのですか?』でしょ。日本語覚えなさい。じゃ。そいうことで、さいなら」
「言葉なんかなんでもいいのでーす。言いたい事が伝わる事がだーいじんですからね」
 鼻白んだ私に正論を言ったその男は、白いシャツを手渡した。
「なにこれ? 金なんか無いよ」
「何を言っとーるのですか? こーれはちょーぢんシャツです。これを着ればあなったはちょーぢんでーす。どぞよろしく」
 唖然としてシャツを手にした私を置いて、彼はさっさと別の男に声を掛けていた。…まっ、いっか。

 朝のシャワーを終えると、雨が続いて洗濯していなかったツケを思い出し、昨日のシャツが目について着てしまった。
 貰ったシャツは結構着心地が良かった。しかし気がつくと胸には赤く大きく『S』のマークが描いてある。
 着る時に気付かなかったというのもオカシナ話だが、着る時にはあんな目立つマークは無かった。着る前に広げて前後を確認したんだから絶対だ。やっぱり着る前はこんなマークは無かった。絶対に無かった。無かった。なかった。無かったぞーっ。
 と、無かったを何回いっても、着てしまってから脱げない事に気付くというのは悲しい。
 仕方なくYシャツは着たが、やはりマークは目だった。

 チンという音と共に空いたドアが私を現実に戻し、携帯で約束の確認をする。着替える時間は取れそうもない。約束の時間が迫っていた。仕方がないから、このまま行ってしまおう。
 約束の時間3分前に受付けでバッチを貰った私は、バーゲン品のブラの山から他社の製品を見つけ出し、手触りを味わって商品部の部長の所へと向かった。部長は応接室で真っ赤な口紅を描きながら待っていた。

「貴方ひょっとしたら…。あっ、そうか。鈴木さんってばケントって名前だったわねぇ」
 彼女は、大きな胸に変形した『W』の文字が浮かぶTシャツを着ていた。
「あれっ!? 大城部長。それ、私のとおんなじ奴ですか?」
 私はじっと彼女の大きなお腹…、いや胸を見つめた。
「こらっ。そんなに見つめちゃダメよ。恥ずかしいじゃないの」
 私はちょっと華やいだ彼女の声を聞きながらも、彼女と目が合わせられなかった。私が独身になったという情報をどこからか仕入れた独身の彼女は、最近私に絡んでくる。…しかし、このシャツは伸縮性がいいらしい。
「や、やっぱりそれって、脱げないんですか?」
「……」
「えっ?」
 彼女はため息をつくと、私に説明してくれた。
 このシャツを着ると今まで眠っていた能力が開花し、超人になること。そしてこの事は絶対に秘密であること。って説明を受けてしまったが、今、秘密って…。まぁ。いいか。

 彼女の言葉を借りれば、それを着てくるくる廻るとワンダーウーマンに変身するという。彼女の変身した姿を思い浮かべた私は、込上げて来る胃液をなんとか落ち着かせ、ワンダーウーマンの、あのエッチなコスチュームを頭から追い出した。
 そしてどうやら私はあのスーパーマンになるのではないかという。しかし高所恐怖症の私は空は飛びたくないし、あんなタイツ姿にもなりたくはない。

 ビールのグラスをテーブルに置くと、胸のマークに目がいった。本当に私はスーパーマンなんだろうか? 確かに大城部長の名前も安奈というあの年代にはちょっと無い名前だから、ワンダーウーマンの名前であるダイアナ・プリンスとは、似ていなくもない。
 だが私の名前もケントではあるが、鈴木という苗字ではいくらなんでもクラークにはならないだろう。
 正義感が人一倍強いわけではないし、体力だって学生時代に何もしていなかった私は、はっきりいってケンカに弱い。殴られるのはイヤだし、殴るのも恐い。こんな私が超人なんかになって一体何が出来るんだろう。

「キャー」
 その時、隣の席で女性の叫び声が聞こえると、私にどっと寄りかかってきたものがあった。
「た、助けて下さい」
 叫びをあげた女性は、私の背中にしがみつくと体の向きを罵声の発する方へ椅子ごと向かせてくれた。
「おじさん。いい格好するこたぁないんだから、ケガしないようにあっち行ってな」
 三人組らしい男達の一人が、私に向かって猫なで声で話し掛けてきた。
「は、はい」
 私はもちろん席を外そうとしたが、背中の女性がしっかりと私のシャツを掴んで離そうとしないので、動けなかった。
「なんじゃあ! やろうってのかオイ」
 そんなつもりは毛頭ないが、彼女が背中から声を出した。
「当たり前でしょ。あんた達みたいなクズは、この人にやっつけられるわよ」
 何をバカなことをこの女は言ってるんだ。私はしっかり青くなったはずだ。酔いがすっかり醒めてしまっている。
 どうにか移動しようとした私は、力任せに立ちあがるとシャツのボタンが取れて、『S』のマークが表れた。
「オ、オイ。見ろよ。スーパーマンだぜ」
 笑いをこらえた声が、私の胸を見て仲間に呼びかけた。
「おぉーっ。こりゃぁ恐ぇや。ハッハッハッハ…」
「いやぁー、このおっさん。笑わせてくれるぜ。…おい早くどっかいっちまえよ」
 蹴飛ばされて飛んできた椅子が私の手に当たった時、私は変わっていた。近くには電話ボックスなんか無いのに…。

「どうーか、許して下さい」
 私は、土下座していた。
 額どころか、鼻も唇も一身に床に擦りつけていた。
 三人組の男達も私の背中に隠れようとした女性も、唖然としていたが、一番驚いたのは私だった。何故こんな事をしているんだろう。
 この世に生を受けてから、こんな事はしたことがない。

 拍子抜けした男達は、すっかり気勢をそがれて帰っていった。もちろん女性も男達がいなくなると、そそくさと帰った。
 私はスーパーマンじゃなくて、土下座男になってしまったのだろうか。

 あれから相変らずシャツは脱げないが、汗をかいても汚れないし綺麗だった。
 変わった事といえば、課長に誉められる様になった事と、仕事が何故か楽しくて楽しくて仕方がない様になった事だろうか。