『ALUCARD』 |
この話を創作だと思う人もいるだろう。私だって自分で体験していなければ信じられない。 もし運良く彼に会えたら伝えて欲しい。又会って話をしたがっていたと…。 それは私が高校生の時だった。 買ったばかりのバイクで一人で遠出をした時だった。少しの緊張と期待で私は舞い上がっていたのかも知れない。山道だったが少しオーバースピードで突っ込んだ下りカーブで、思いもかけず人が前を横切り、慌てた私はバイクから放り出された。バイクだけはガードレールで止まったが、私は谷底へ落下した。 本当なら即死だったのだろうが、気がつくとまるで死神の様な老人が私を見下ろしていた。カーブでバイクの前を横切った老人だった。私はその時、恨みも何もそんな感情はわかなかった。痛みも無かった。きっとショック状態で、身体が痛みを取ってくれていたのだろうが、その老人の瞳の色の深さも手伝っていたのかも知れない。 「いきたいか?」 老人が何を言っているのか、理解出来なかった。 「このままでは死んでしまうよ」 そうか、私は死ぬのか…。その時はなんとなくそれもいいのかも知れないと思った。 「この事故は私にも責任があるから聞くけれど、生きていたいか?」 まるで死にゆくものへの気休めの様に老人は再び聞いてきた。 妙な形に曲がった足から突き出た白い色が恐怖を呼び起こし、生への執着は痛みと共に突然現れた。嫌な事だってあるけど、やっぱり色んな事がしてみたい。まだ死ぬには早い。私は痛みを堪え老人に言った。 「死にたくない。救急車を呼ん…」 言葉は込み上げてきた吐瀉物で、途中で消えた。血ではないようだが、気持ちが悪い。腹には途中引っ掛けたらしい枝が突き出て、小さな花が血に染まっていた。 老人は急に立ち上がると、ポケットからナイフを取り出し自分の手首に傷を付け、私の口元へ持ってきた。 「死にたくなければ飲め」 流れ落ちる思いのほか大量の血は、否応無く私の口中へ落ち、私はそれを飲み込んだ。甘いそれは私の乾きを呼び覚まし、私は老人の手首に口を当て彼の血を貪っていた。 老人は私の腹に刺さっていた枝を抜き取ったが、不思議に血は噴出さなかったし、曲がっていた足がむずむずしたと思ったら私の脚は元通りの形になっていた。 ズボンは裂け血がこびりついていたが、白い骨は見えなかった。 老人の傷も深かったはずなのに既に血は止まっていた。私が手首を離すと、老人は30代位の鼻筋の通った日本人離れした男に変わっていた。 手を握っていたから間違いない。しかし、こんな馬鹿な事はあり得ない。考えたくもなかった。これじゃ、これじゃまるで…。 「驚いたろうが、このことは忘れてくれ」 若くなった男は、また死ねなくなった等とブツブツ言いながら、崖を登りだした。 私はというと唖然としながらも、衣服以外は大怪我の痕跡もなくバイクを押しながら近くのスタンドへと向かった。 名前も聞かなかった。後でそんなことを思ったが、もうあの男はいない。 それから私はあんなに憧れていたバイクをあっさり止めた。 あれ以来怪我らしい怪我や病気にはならなかったが、5年後に久しぶりにひいた風邪に『効果が切れた』そう思った。まるで死にそうだった老人の言葉や若返った男の顔が鮮明に浮かんだ。 よし探し出してやる。その時から私は仕事の傍ら、彼を探し始めた。あまり売れはしなかったが旅行ガイド作家の肩書きは、好都合だった。 私はもう50になろうかという年齢だが、まだ30代にしか見られなかった。あの所為かも知れない。そして私はまだ彼の居所を探していた。 それは本当に偶然で、私がたばこを買いに家を出、近くのコンビニでビールでも買おうと立ち寄った時だった。 彼を見つけた。 見た途端に解った。そして彼も気が付いたようだ。しかしこんなに近くにいたなんて…。 私は早速彼に面会を求めた。私が記事を書きたいというと、予想に反してOKが貰えた。私は狂喜した。 指定された場所は、都内のとあるマンションだったが、2LDKという広さの割には荷物が少なく、テレビさえ無かった。 私は録音しても良いかと尋ねながらテレコを出したが、それはあっさりと断られた。仕方なくメモ帳を広げたがそれも駄目だという。 ここは記憶力に頼るしかない。 彼はワインを私に勧めながら、ゆったりと椅子に腰掛け暫く私を見ていた。 何から話したら良いか考えているようだったが、彼は話始めた。 「世間でいうバンパイア。ドラキュラは、生きたまま埋葬された人が生還した時に、死んでいるはずだという死というものへの恐怖から来とる。勿論血を吸ったり吸われたりという事で、伝染するなどというのは、単なる創作じゃよ。十字架が怖いとか紫外線にあたると死ぬなどという事は無論戯言だしね。ブラド候が小説のドラキュラのモデルだと言われてとるが、そういう言伝えは昔からあったんじゃよ。でも本来バンパイアちゅうのは、わしら種族の様な者が殆どなんじゃ。宗教上の理由なんかで誤解され、怪物みたいになっとるがね」 老人はワインで口を潤したので、口を開くのを待った。 「わしら一族は人を助けるという事を極力避けて来ましてなぁ。あんたも経験済みだから解るじゃろぅが、わしらの血を与えた人間は怪我や病気が直ぐ治ってしまう。しかもそれを与えたわしらは、人間としての最盛期の健康体に戻るという体質なんじゃ。死ねない身体なんですよ。こんなわしでも既に500歳は超えとる。死にたくて戦争にも行ったが、頭と身体が離れない限りわしぁ死ねん。人が死ぬのを羨ましく思ったもんじゃ。だからわしは結婚もしなかったし、子供も作らなかった。こんな人生を今の世の中で子供達に受け継ぎたくはない。人魚の血を飲むと長生き出来るというのを聞いた事がありますじゃろ? わしら一族もあれと同じです。もっとも彼らは見つかり難いがね」 彼は微笑むと口を閉ざしてしまったので、私は質問を始めた。 「あの時助けてくれたのは、何故ですか?」 「あぁ。君には悪いとは思うけれど、あれは間違いだった。あの時はつい情が出てしまってねぇ。あのまま放っておけばわしも死ねたろうに、本当に残念です」 「先ほど一族と言われましたが、あなた方はどこから来たんですか?」 「それはわしにも判りませんなぁ。日本じゃわしが最後の生き残りだとは思いますがね」 「ということは外国ではまだあなたの仲間がいるという事ですか?」 「何人かは残っとるだろうが、わしには判りません」 私は夜が明けるまで彼の話を聞いた。彼の話が本当なら歴史は随分違っている。 「あなたの力を、世間の為に役立てようとは思われないのですか?」 老人は私の最後の質問に、あきれたような顔をした。 「あんたぁまだ若い。その年になっても世間が見えていないようじゃ。わしの様な人間。と一応いっとくが、そういう人間がこの世で受け入れられると、本気で思っとるのかね」 今の世の中を考えると、私には反論出来なかった。しかし死に瀕した人間は何人もいる。そういう人達を助ける事は出来るし、研究すれば、人間はいつまでも長生き出来るじゃないか。そう思った時、この目の前の老人が研究材料として切り刻まれるのかと思うと、それはどうしても間違っていると思えてくるのだった。 彼の半生を纏め上げた私は、マンションへ行って見た。しかしそこに彼の痕跡はなかった。 |