青いキビ
                                             作 太郎丸

          梟の仕事配達人

 ぽつぽつと雨が窓を叩き出した時に、ドアが開いた。
 チャーリーが俺を訪ねて来る時は、何故かいつも雨の夜だった。雨になるの
は知ってはいたが、この雨も彼が帰る頃は、上がっているだろう。
 梟のチャーリーは相変わらず烏帽子を被っているが、妙に似合っているから
不思議だ。
 パソコンに向かっていた俺は、スリープキーを押し、大きく伸びをした。
「仕事だっちゃ」
 チャーリーが長椅子に捉まると、大きな羽根をちょっとばたつかせ、首と目
の運動をしてから、御愛用の古びたバッグから、写真を数枚テーブルの上に投
げ出した。
 俺は大して興味も無さそうに、なんだいそりゃと言って、テーブルに近づい
た。
「うちの工作員の、最後のラ、ラ、ラ、ラブレターだぎゃぁ、写っとるんは、
それだけなんだけどね」
 いろんな所の方言が入り混じり、ラブレターを噛んだチャーリーが見せてく
れた写真には、頭を垂れた粟の様な草が、夜空を背景に青く輝いていた。
 髪の毛を舐めた手で揃えながら、その名前を聞くと、キビだという。青いキ
ビというのは、始めて聞く。赤や黄色の食べ物ならば、納得できるが、青い食
べ物では虫も食わない気がした。
 チャーリーの仲間は、方向感覚がいいし、交通手段を気にもしない奴らばか
りだから、せっかくの写真も、撮影者本人に聞かなければ、何処で撮影された
か判らないらしく、日付と時刻だけが写し込まれている。
 写真はなんとか手にいれたらしいが、肝心の場所を聞く前に、犬達にやられ
たそうだ。
 チャーリーは話しを終えると、雨が上がった空へ羽ばたいていった。


          準備万端?

 俺は早速、仲間を召集した。もちろんリーダは俺、小鉄(アビシニアンの雑
種)渋めのベストが似合っている。はずだ。
 物知りだが、どこか抜けることのあるワトソン(アメショの雑種)が、始め
にやってきた。奴はいつもパイプと本を離さない。
 続いて巨漢のモーリス(オシキャットの雑種)。いつも何かを食べている。
気は弱いが、憎めない奴だ。仲間意識が一番強い。
 時間通りにやって来たのは、紅一点のマリエ(ペルシャの純血)。ゆったり
した服装だが、ナイスなボディは隠せない。
 元気のいい佐助(三毛の雑種)がいないのは仕方がない。3日前に自動車に
跳ねられ、今は入院中で絶対安静だ。今回は仕事から外れてもらうしかない。
 口から、スルメの足を出しながら、モーリスが、口火を切った。
「ねぇ、こんどの仕事って何なのぉ?」
 俺は、みんなに写真を回しながら、話しを始めた。

 昔話の桃太郎が、もちろん桃から生まれた訳ではないが、犬や雉、サル達と
一緒になって、鬼が島へ行った話しから、民話として今の形に変化したのは、
確からしい。
 おばあさんが、作ったとされるキビ団子も、実は鬼が島の鬼が落としていっ
た物で、それはどうも、ある種の筋肉増強剤に近い役割を持っていたという。
 弥生時代に渡来したキビは、五穀のひとつでもあり、全国に普及し今でこそ、
鳥のエサの様に言われているが、イネを栽培する環境にない、島や山間部では
キビの栽培も行われていた様だ。そのキビが、鬼が島では、地質の関係なのか、
何らかの影響で変異種が発生したようだ。
 食糧難で、村を襲った鬼が島の人達は、無け無しのキビで団子を作り、村を
襲うことになってしまったようだが、それはその当時では、当たり前に近い事
だった。
 生きるための戦いだったのだから。
 キビ団子の為にマッスルお化けになった人達は当然強かったが、団子を落と
したことで、その秘密を知られてしまい、結局は力自慢の悪ガキが、鬼が島へ、
そのキビを獲りに来ることになってしまったのだ。
 鬼が島が桃太郎達に襲われた時に、やっと逃げ出した者達のうちの何人かは、
京の方に逃げたらしいという話しだが、その後どうなったかまでは、はっきり
していない。
 まぁ、泥棒の上前を撥ねるだけの話しじゃぁ無かったのは事実のようだ。
 チャーリーから聞いた話ではあるが、鳥族の膨大な知識は、バカに出来ない。
 確かに彼らは、やっと最近になってその伝承の信憑性を確認している途中で
はあるが、今度の話しも、まずそんなにずれてはいないはずだ。

「ふーん、でぇ、鬼が島の人達はどうなったのぉ?」
 モーリスが尻尾をパタンパタンさせながら、聞いてきた。
「それがだな。キビの実が殆ど無くて抵抗出来ずに、桃太郎達に殆ど殺された
んだとさ」
「ふむ、成る程。犬族が絡むと、結末は見えてますな」
 ワトソンが、金色の左目を光らせて、したり顔でヒゲを揃えた。
「という事で、桃太郎といえば岡山だと思うんだが、場所が特定出来ない。調
べる為の資料としては、この写真しか無いという状況だ」
 俺は皆から戻ってきた写真を、再度提示した。
「あぁ、場所は特定できますですぞ」
 ワトソンが、なんだそんな事という風に、みんなを見回した。
「あらっ。ワトちゃん。そうなの?」
 マリエがワトソンを持ち上げる。
「当たり前ですぞ。簡単なことです。この写真の星を見れば明確です。家に戻
れば、一発で場所が判りますですぞ」
 俺は、ふんぞり返ったワトソンに訳を尋ねると、説明を始めた。
「まず、この写真の日付を見ると、8月ですから、夏です。しかも天の川さえ、
はっきり写っています」
「天の川なんか、田舎に行けば、見られるんじゃないのぉ?」
 黙っていられないモーリスが、口を挟んだ。
「まぁ、見られるかも知れませんですがね。でも、この一番光ってる星。琴座
のベガですぞ。そして天の川を挟んで見える、これがわし座のアルタイル。そ
して天の川の中の、このはくちょうのお尻にあたるデネブ。この3つの星を結
んで、夏の大三角と言うんです」
「それで?」
 星に詳しくない俺は、結論を聞きたかった。
「だからですな、3つの星と、日付に時間が判っていれば、場所が判る訳です」
「えぇ。何でわかるんだよぉ。俺にゃぁ判らない」
 モーリスは、ふんふんと鼻を鳴らして、お手上げ状態を伝えた。
「もうっ。星は動いてるんですぞ。勿論地球も動いてはいますがね。星座の形
なんか、昔っから比べたら、どんどん変わっているんです。だから、日時が固
定されるのならばですが、星が見える角度というか、三角の傾きですかな。そ
れとその星の関係、つまり夏の大三角の三角の角度なんですが、それさえはっ
きりすれば、どこからその三角形を見ているかが、判る訳です。家にある星座
のソフトで、緯度と経度が秒単位で、出て来ますぞ」
「えぇ。そんなソフトあるのか?」
 俺も大きな声を出してしまった。あぁ、勉強になるなぁ。持つべきものはや
っぱり仲間だ。
「じゃぁ、ワトソン早速調べてくれよ。岡山の方だとは思うんだけどね」
「えぇ、判りましたです」ワトソンはやっぱり、ヒゲを撫でた。
「ところで、桃太郎といったら、やっぱり、今回も犬のちょっかいが、あるの
かなぁ?」
 モーリスは不安そうに、尻尾で床を叩いている。きっと、あのお間抜けなブ
ルの顔でも浮かべているんだろう。
 細かい話しは、場所が特定されてからという事にして、俺達はいつもの様に
宴会を始めた。

 翌日、二日酔いらしく足をふらつかせ、ワトソンがやって来た。
 愛用のパイプを咥え、ポケットから出したメモを渡すと、挨拶だけして、ふ
らふらと家に帰っていった。確かに昨日は飲みすぎた。結構奴もお調子もんだ。
 メモには、緯度13×度××分××秒。経度3×度××分××秒と書かれて
いた。
 俺はパソコンで、地図を検索し、目的地を探し出した。鬼が島はやっぱり島
だった様だ。しかしその島を調べていくうちに、大変な事が判った。それは野
犬の多い、無人島だった。人間がいないとなると、やっかいだ。
 いくら自然に繁殖している雑草の如き草でも、犬が仕事の邪魔をするのは、
目に見えている。

 俺は、集まったみんなの顔を眺めて、鬼が島の現状を伝え、参加者を募った。
 途端にマリエが、口火を切った。
「小鉄。今までノーといった仲間がいた事ないでしょ。聞くだけ無駄よ。みん
な行くわ」
 俺は一通りみんなを眺め回した。モーリスは相変わらず尻ごみしている様だ
が、口には出さない。こいつらの誰かでも、連れていかないなんて事を言おう
ものなら、袋叩きにされそうだ。
「よし、それじゃいつも通りだが、現地に着いてから考えよう。なんとかなる
さ」
 俺達は各々に装備を揃え、いつもの様に今夜の長距離トラックに乗り込む事
を決めた。
「モーリス。悪いけどミー婆さんにトラックの件、頼んでおいてくれないか。
俺はちょっと行くところがあるんだ」
「いいけどぉ、いったいどこへ行くんだぃ?」
 モーリスのわき腹を掻いて、俺はニタリと笑った。
 俺はさっそく玩具屋で、様々なウォーターガンを大量に仕入れ、動物園へと
向かった。

 約束の時間よりも、みんなは早く来ていた。リーダーの俺が時間ギリギリの
最後だ。
「よし、時間だ。それじゃ出発しよう」
 文句を言われる前に、俺は早々とトラックに乗りこんだ。
 今回のトラックは、荷物が多くて窮屈だった。それに今回の俺は荷物が多い。
「何をそんなに持ってきたの?」
 マリエは興味深そうに、聞いてきた。
「まぁ、着いてからのお楽しみという事で…」
 俺は、余り自信のない武器の袋を枕に、みんなの好気の目を無視し、寝ろ!
寝ろ!と一人で、隅の方で丸くなった。
 はたして本当に通用するだろうか? まぁダメ元でやってみるしかないだろ
う。


          さあ、出発だ!

 今回は夢も見なかった。いつの間にか寝ていたようだ。大きく伸びをすると、
顔を洗い、身体の毛並みを揃える。
 みんなも同じく、伸びをしたり、毛並みを揃えたりしている。やっぱり猫族
は、身だしなみにはうるさい。モーリスはちゃっかり早めの朝食を摂っている。
奴の事だから、荷物は食糧だけだろう。
 ワトソンは何かの本を読んでいる。奴はどこへ行くにも手放さないパイプを、
気持ちよさそうにくゆらせていた。一体どのくらいの本を読んだのか、見当も
つかないが、まぁ、その所為で今回の場所も判った訳だから、無駄にはなって
いないようだ。
 マリエは、毛繕いに余念がない。毛足が光っているようだ。仲間達のアイド
ル的存在なのを、自覚しているからこその、ゆったりした毛繕いだが、眺めて
いるだけで、ちょっと変な気分になってくる。

 トラックが揺れ、俺達は自分達の荷物を手に、外へ飛び出した。やっと到着。
 まずは掟に従い、同属たちへの挨拶をするつもりだったが、降りた途端、犬
達に囲まれた。俺達の行動が気づかれているとは、思えないから、偶然だろう。
ここは犬が多いと下調べにもあった。
 それじゃ早速ためしてみるかと、俺はウォーターガンを取り出した。
「おい。犬っころども、泣きを見たくなかったら、道をあけな」俺は毒づいた。
 普通の犬なら慣れている。
「なんだと、このチビ。噛み殺してやってもいいんだぞ。まぁ、土下座して謝
っても遅いがな」
 リーダー格らしい茶色のシェパードっぽい奴が、攻撃の合図をしかかった。
「こいつが見えねぇのか?」
 俺がウォーターガンを振ると、笑いが起こった。
「水鉄砲にビビるとでも、思ってるのかよ」笑い声が聞こえてきた。
 俺はウォーターガンに圧力を加え、犬達に無造作に発射した。
「ひぇーっ。なんだこりゃ」
「わぁーっ、助けてくれーっ」
「く、臭い。恐いよーっ」
 犬共は、俺達を放って一目散に散らばった。
「効いたようだな」
 俺は安心して、唖然としているみんなに微笑んだ。
「一体どうしたの?」
 マリエは、俺のウォーターガンを手に取った。
「うわっ、何この匂い」
 俺は笑いながら、持ってきたウォーターガンを出すと、配り始めた。
「まぁ、好きなのを選んでくれ。効くかどうか心配だったんで、内緒にしてた
んだが、どうやら大丈夫の様なんで、渡しておくよ。結構重かったから、みん
な自分の分は自分で持ってくれ」

 俺は動物園のトラから貰った、おしっこの話をした。
「あぁ、そういえば犬は大型の猫科の動物が駄目なんですよね。それでトラの
オシッコですか。なるほど、うんこれは良い手ですな」
 ワトソンが、請合ったのもあり、さっきの犬達の姿を思い浮かべ、みんなは
喜んで、ウォーターガンを選び出した。
 モーリスは大型の奴を2丁と、小型のを1丁。ワトソンは中型と小型を1丁
づつ。マリエも小型のを3丁。俺は、大型のを1丁と、小型のを2丁。残った
奴は仕方が無いから、俺とモーリスで分けて担いだ。
「さぁ、それじゃ仲間の所に挨拶にいくか。どうやら、お迎えも来たようだし
な」
 俺は、建物の陰から覗いていたレディーを見ながら、長老の所への案内を依
頼した。
 女は興奮しているようだったが、どうやら荷物の方に興味があるらしい。ま
ぁ、あれだけの見物だから、興奮するのも当たり前かも知れない。

 桃太郎の話しは知っていても、やはり地元の奴らでも、鬼が島のキビの事は
知らない様だった。長老でさえ、昔話の範疇を超えていない。
 ただ、この辺りは犬が多く、ネコも殆どが家ネコで、外へは危なくて出て行
けないらしい。どうりで少ないはずだ。
 鬼が島への案内を頼むと、ノーとは言えない掟だからだろうが、いい顔はし
なかった。
 だが、トラのおしっこ入りの水鉄砲ひとつで、食糧と案内は引き受けてくれ
た。ウォーターガンとは呼べないシロモノだけど、まぁいいよね。
 彼らだって、びくびくしながら暮らしていきたくはないんだろう。

 タンゴという黒猫の片目が、案内してくれる事になった。話しを聞くと、さ
っきのシェパードっぽい奴に、やられたらしい。
 ちょっと悪ぶっているが、どうやら、タフな俺達がまぶしいようだ。いや、
目線の先を見ると、マリエばかり気にしているから、ひょっとしたら、気があ
るのかも知れない。まぁ、無理だとは思う。が、俺達を手玉に取っている彼女
だから、こればっかりは判らない。まったく女ってやつは面倒でいけない。と
は思いながらも、しっかり仲間としてやっているのは事実だし、お互いに認め
合ってもいる。
 まぁ、痛い思いをしたのは、俺だけじゃないし、この仲間もみんな同じ様な
もんだからな。
「舟は、用意させてますから、安心して下さい」
 もう既に、先発隊が連絡してくれているようだ。タンゴの話しを聞くと、連
絡はねずみにさせているという。犬に頭が上がらない猫と、猫に頭が上がらな
いねずみの図は、当たり前の様な気はする。しかし、あの水鉄砲で力の均衡が
崩れたら、どうなるかを考えると、ちょっと恐い気がした。そして中に入って
いるおしっこが切れたときも…。
 連絡はちゃんと伝わっていた様で、海岸には赤いスカーフを巻いたヒマラヤ
ンが待っていた。白い体に映えた赤にぞくっとした。何とも色っぽい。
「紹介します。私のフィアンセのワルツです」
 タンゴが照れながら紹介した。
 おぉっと、マリエに気があるのかと思ったが、婚約者がいたとは驚きだ。し
かも美人だ。
「ヒュー」
 モーリスが口笛を吹くと、マリエが軽く肘で小突いた。
「お待ちしておりました。水も食糧も既に積んであります。あいにく船足の速
いのが出払っているので、こんなボートになってしまったんですが…」
 さすがに海が近いだけのことはある。船着場に舫われたボートはモーター付
きだった。島に近づいたら、オールを使う事になりそうだが、それまでは楽が
出来そうだ。
 もうすぐ結婚式だというんで、残っていたウォーターガンの中から好きなの
を1丁プレゼントしてやると、タンゴとワルツは喜んで、帰っていった。
 さあ、それじゃ鬼が島へ出発だ。俺達はボートに乗り込むと、鬼が島へと向
かった。


          やって来ました鬼が島

「この地形ですと、あのタンカーの陰にボートをつけた方が、良いようですぞ」
 ワトソンのいうのも、もっともだ。遠くから島を眺めるながら、何度か島を
廻ってみると、西からばかり風が吹いてくる。東側には、座礁したタンカーの
残骸が、防波堤になって、波が穏やかだ。
 そこで上陸は、夕方になってからの東側の浜と決めた。闇夜に乗じて侵入す
るのが、セオリーだし、何といっても、座礁したタンカーの残骸の陰にボート
も隠せる。しかも浜までは50mくらいしかない。なるべく犬には合わない方
がいいに決まっているので、夕方になるまで近づかないで、暗くなってから、
タンカーの陰にボートを繋いだ。上陸に備え、見張りを交代しながら、俺達は
月が隠れるまで身体を休める事にした。

 闇夜に見える島影は、絵本で見る鬼が島とは勿論似ていない。綺麗なもんだ。
岩でごつごつしている訳ではないし、1周が5キロ位の海面から突き出した山
だった。
 問題は、どこに目的のキビがあるのかを探す必要があるという事だったが、
写真を見る限りでは、廻りの草の様子から平坦な場所だという事だけは判って
いた。だが、この島を見る限り平坦な場所といえば、頂上くらいしか見あたら
ない。
 今夜中に見つかるとは思えないが、島でぐずぐずしていて、朝にでもなれば、
いくら犬でも気づくだろう。
 まず先発隊として、俺とマリエの二人で上陸することにした。頂上へ至る道
や、辺りの様子を確認したかったからだ。
「ワトソン。パイプは吸うなよ。いくら曇ってきて月明かりがなくても、奴ら
の鼻は強力だからな」
「もちろんです。それより例のものは持ったんでしょうね」
 ワトソンが心配して聞いてきたんで、小型の奴を1丁見せ、撃つより逃げる
から大丈夫だと、俺は笑った。
 俺は犬達が来たら、ボートを沖へ出すように念を押すと、マリエと一緒にタ
ンカーの横腹に空いた穴を通って、海へ飛び込んだ。気持ちがいい。海水浴に
は持って来いの場所だ。これで犬がいなけりゃ、天国だろうに…。

 上陸すると身体についた水を振り払う前に、俺達は先へ進み、土の上を寝転
がった。きれい好きな俺達だが、少しでも匂いを消す必要があるからだ。特に
マリエは、白いから目立つ。犬に遭遇したら、とりあえず逃げることにし、俺
とマリエは、草むらを進んだ。
 青いキビの実を付けた草。食欲をそそらないその実をひとつぶでも見つけれ
ば、仕事は終わる。繁茂した草を、音を立てないように注意しながら掻き分け、
俺とマリエは奥へと進んだ。もちろん手には、ウォーターガンを持って、いつ
でも発射する準備は出来ている。だが、使うことはないだろう。
「ねぇ、今回は骨とか持ってきたの?」
 マリエが小声で聞いてきた。
「いや、相手は野犬だからな。骨なんかより俺達の方に集中するだろう。骨を
放っても、そいつに向かっていくような野犬はいないさ。意味がないと思って、
持って来ちゃいないよ」
「そうよね。犬に気づかれた時には、もう遣られてる可能性が高いのよね」
 彼女は、少し落ちこんでいるようだった。
「どうしたマリエ。元気がないじゃないか?」
「ちょっとね。ワルツ、幸せそうだったじゃない。妬いてるのかも知れないわ」
 マリエは俺を横目で見ると、身体を摺り寄せてきた。こりゃ参った。こんな
ところで事もあろうに、ラブラブモードになっちまうとは、俺も好きな方だが、
今はまずい。いつ犬に見つかるか判らないんだからな。とはいいつつも、俺も
マリエの誘惑には、逆らえなかった。これもネコの宿命だろうか。
 俺達は、結局愛しあっちまった。ラブラブモード全開で、マリエは大声で鳴
いちまった。だが、そんな事にさえ、俺達は気づかなかった。


          野犬との遭遇

「おぃおぃ。こんなところでお盛んですなぁ」
 突然の下卑た声に、俺達は我に返った。廻りは、野犬が囲んでいる。
「ここが俺達の縄張りと知ってるんだろうなぁ。いくらなんでも、知ってるよ
なぁー。お前達食べられに来たのか? えぇおい。」
 正面の、黒い大型の犬が、俺達を蔑んだ目で眺めていた。
 こいつがボスか。
 右側の耳が食いちぎられて、半分に欠けている。身体中キズだらけだ。太い
前足が地面を引っかいて、砂を巻き上げていた。
 ウォーターガンは、いつのまにか手放していた。どこにいったのか見当たら
ない。いや、近くの薄汚れた、元は白かったのかも知れないが、茶色っぽい犬
が、腰のベルトにさしていた。これはどうにかして、逃げるしかない。
 近くにいた犬が突っかけてきたのが、最初だった。何とか避けると、俺達は
ひとまず、身体を反転させ、一番犬の少ない、手薄なところに向かって走った。
だがそれは、罠だった。犬のいない方へいない方へと進むうち、正面の草がな
くなったと思ったら、地面もなくなっていた。慌てて止まった俺達の正面には、
大笑いしている犬達が、群れをなしていた。
「さぁ、小僧。観念しな。俺に大人しく食われるんだ」
 さっきの片耳が、低い声で唸った。
「ボス、こいつらの持ってたこの水鉄砲を使いましょうよ」
 ちょっと足りないようだ。俺達の武器を持った犬が、ヘラヘラ笑っていた。
「馬鹿野郎! そんなもん拾って何を言ってるんだ。ウーン。このマヌケが」
 片耳は俺達の武器を取り上げると、そいつに向かって引きがねを引いた。
「ウワーッ」撃たれた犬が、逃げ出すと、片耳も慌ててウォーターガンを手放
し、鼻をふさいだ。
 俺は急いで、ウォーターガンを拾い上げ、片耳にに向かって撃ちつづけた。
 片耳にかかったトラのおしっこは、やはり効果があった。片耳も飛んで逃げ
ていった。
 大丈夫。
 何とか助かったようだ。奴らは罵声を浴びせながら逃げ、遠巻きにしている。
ここは速やかに退却だ。
 俺とマリエは、犬の間をウォーターガンを撃つぞと見せかけながら、何とか
浜までたどり着き、海に飛び込んだ。
「ワトソーン。逃げろー」俺は、タンカーに向かって叫んだ。ウォーターガン
には、もうおしっこが入っていなかった。
 だが、奴らは、浜に揃って見ているだけで、追って来ようとはしなかった。
 タンカーに近づくと、エンジン音が聞こえてきた。俺の声が聞こえたらしい。
タンカーの横腹の穴を抜け、頭からボートに着地すると、みるまにボートは沖
へ向かってくれた。
「大丈夫でしたか?」
「だいじょうぶぅ?」
 心配した二人は声をかけてきたが、俺もマリエも、ゼーゼーいって声になら
なかった。島が見えなくなった頃、やっと落ちついて俺は答えた。
「いや、野犬に囲まれたんだ。まぁ例のもので何とかなったんだが、びっくり
しちまってなぁ。」
 俺はヒゲをピクピクさせて、言いつくろった。
「まぁ、ケガがなくて良かったですぞ。また明日があります」
 ワトソンはそういうと、毛繕いを始めた。
 そう。明日があるさ。
 俺達はボートで毛繕いをすると、思い思いの場所で丸くなった。気がつくと
マリエが俺の横で寝ていた。明日はもっと気をつけなくちゃいけねぇなぁ。俺
達は眠りについた。


          戦いの終わりには

 昼間は、沖で昼寝をし、夕方になてからタンカーに近づいていった。
 交代で見張りをして、暗くなるのを待ったが、犬のいる気配がない。だが今
夜は満月だ。しかも雲ひとつ見当たらない。
 昨日の事もあったが、今夜は全員で行くことにした。武器もあるし、皆で戦
えば、勝てるだろう。この武器は奴らにも効果はあった。昨日のようなことに
はならないはずだ。俺はちらっとマリエも見たが、彼女は知らん振りしている。
「あんまり泳ぎたくないなぁ」
 ワトソンの言葉は無視して、俺達は、浜まで静かに泳いだ。
 昨日の様に、泥だらけになった俺達は、静かに草を掻き分け、辺りに充分注
意しながら、頂上を目指した。
 しかし何処まで行っても、犬は現れない。何処かに隠れているとは思えない
程に、静かだった。
 満月が行く手を照らして、隠れて歩くのが難しい。一時間も登ったろうか、
高い丈の草むらを抜けると、突然視界が開け、頂上に出ていた。しかも何と目
の前には、青いキビが実を付けている。
「おらっ、ちょっと食べてみよっと。お腹が減っちゃったよ」
 モーリスの食欲は相変わらず凄まじい。止めるのも聞かずに、実をひとつま
み口に放りこんだ。
「むぐぅ。不味い」とは言いながら、結局飲みこんでしまった。
 俺もひとつまみ実を採ると、ベストに仕舞った。
「さぁ、仕事は終わった。引き上げるぞ。犬に見つからなかったのが不思議な
くらいだ」そう言って皆を促した時だった。
「見つからなかったとでも思ったのか? こんな所まで何しに来た!」
 昨日の片耳が大声で吠えると、突然に俺達の廻りは、野犬だらけになってし
まった。
 だが、奴らはキビには気付いていないようだ。
「えへぇ。ちこっと、道に迷っちまいましてねぇ。これから引き上げますから、
通してくれませんかねぇ」
 俺はニコニコ笑って、精一杯愛想を振りまくと、犬達は輪を作り、それがど
んどん小さくなってきた。
 奴らが、ほんのちょっとジャンプするだけで、俺達の運命もこの島で終わっ
てしまうかも知れない。
「おぉっと、動かない方がいいぜ。こいつが見えねえか」
 俺は精一杯、声を張り上げた。
「そうだぞぉ、トラのおしっこ食らわせるぞぉ」
 モーリスも震えながら、叫んだ。
「来ちゃ、だめですぞー。そうです。トラのおしっこは、犬がどうしても嫌い
なもののはずです。来てはいけないのです」
 ワトソンも、めちゃくちゃな事を言っていた。
「ヤダーッ。来ないでー。キャーッ」
 マリエにいたっては、何がなんだか判らない。
 こんな俺達だが、もちろん猫の中では強い。町の犬なら喧嘩でも負ける気は
しない。だが、この野犬達の強さが桁違いだということがわかるんだ。
 けれど、野犬達は俺達のウォーターガンを見ても、怯える様子が無かった。
よく見ると、犬達の腰には何かが、ぶら下がっていた。
「みんな! 着けろ!」
 片耳が片手を上げると、野犬達は腰から外した、防毒マスクを着け始めた。
「その武器は確かに凄いですよ。匂いを嗅ぐだけで、身体中が震えてきますか
らねぇ。だがな。匂いさえ嗅がなけりゃ、何でもねえのよ」
 奴らも、バカじゃなかったようだ。俺達が昼間、島を離れている間に準備し
ていたんだろう。マスクを仕入れるまでは、結局は俺達から離れていたようだ
が、手に入ったマスクを持って、勇んで俺達のところに来たらしい。あと少し
の差で俺達は、無事に帰ることが出来ていたのだ。
 ワトソンがたまらずに、引きがねを引いたが、下卑た笑いが聞こえただけだ
った。その笑いは、犬達の間に広がっていった。その笑い声の大きさに比例し
て、俺達は蒼くなっていった。
「それじゃぁ、覚悟はいいか? 骨も残らず食い尽くしてやるぜ」
 片耳が片手を上げた時だった。
「グルルル…」
 後ろから、地を這うような声が聞こえてきた。
 振り向くと、モーリスの様子が変だった。犬でもないのに、涎を垂らしてい
る。青かった目が、月の光で金色に光った。と見る間に、モーリスの服が内側
から弾け、身体が一挙に膨れ上がった。俺達ばかりか、犬達もびっくりだ。
 片耳も片手を上げたまま、戸惑っていた。
 モーリスは、元々中型の成犬くらいの大きさはあったが、今では大型のオー
トバイ位はある。モーリスは変身していた。
 筋肉増強剤は、本当だったようだが、これではまるで…。
 そう、トラだった。
 変身したモーリスは、地面を揺さぶるような声で一声吠えると、近くにいた
野犬に片手を振った。
 可哀想に、犬は首だけを宙に飛ばし、くず折れた。
 それを合図に、犬達は逃走を開始し、俺達の周りには、誰もいなくなった。

「モ、モーリス。大丈夫か?」
 俺が声をかけると、モーリスは大声で泣き出した。
「ウワーッ。こんなになっちゃたよーっ。犬まで殺しちゃった。わーん。どう
しよう」
 性格は、全然変わっていない様だ。多分キビの効果が切れれば、元に戻るだ
ろう。
 楽天家の俺達は、モーリスを先頭にボートを繋いだタンカーに戻った。
 モーリスをこのままにしては、帰れない。
 何とかキビの効き目を減らそうと、ボートにあった水と食糧を、出来るだけ
食べさせた。しばらくは様子を見るしかない。
「ちょっと、おトイレ」
 朝になって、モーリスが離れていき、しばらくすると元に戻って帰って来た。
「あぁーさっぱりした。でーっかい、うんこしちゃったぁ」
 ニコニコしたモーリスを見て、全員で肩を叩きあい笑った。
「どうやら、うんこと一緒に、効き目も切れたようですな」
 ワトソンは、そう言うとヒゲをいじりだした。
 マリエは、モーリスの毛繕いを手伝っている。この間のアレは何だったんだ。
これだから女は判らない。
「さぁ、それじゃ帰るか」
 俺は気を取り直すと、ボートのエンジンをかけた。


 梟のチャーリーから、仕事の手間賃を貰うと、俺達は等分に分け、今回参加
出来なかった佐助の見舞に行った。話しを聞いていた佐助は、今度仕事が来た
ら、死んでも参加するといって、息巻いていた。

 あれから、一月後の満月の夜。モーリスはまた変身した。その時には10分
程で、元に戻ったが、二月後の満月では何ともなかった様だ。
 あれ以来、モーリスは何でも食べるのは止めたと言っているが、いったい、
いつまで続くことやら。
 人が鬼になるというあのキビだが、ひょっとしたら、動物に変身する奴も、
いるのかも知れない。


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