巣鴨・真性寺「江戸六地蔵」修復完成
3百年の歴史ズッシリ
開眼法要でお披露目
かねてから修復のため不在が続いていた巣鴨・真性寺(住職・鳥居愼誉氏)の江戸六地蔵尊は5月26日に修復作業を終えて一年八ヶ月ぶりに修復先の京都から真性寺に戻り、6月2日午前に修復完成の開眼法要が檀家の方々はじめ近隣の町会、商店会など約2百人が出席して執り行われた。高野豊島区長の姿もあった。
法要は鳥居住職が導師をつとめ、近隣の組寺院の住職らの読経ですすみ、地蔵尊修復を担当した(株)京都科学と、石の台座を担当した石峰石材に感謝状が贈られた。
鳥居住職は「296年前に真性寺境内に奉安されて以来、永い歳月多くの人々と縁を結ばれ親しまれてきた地蔵菩薩尊像が、見事に修復されて還着されました。今後3百年、5百年、1千年も無事に過ごされることとの思いです。修復期間中はご参詣の方々には大変なご迷惑をおかけいたしましたが、今後ますます皆さまに親しまれることを願っております」とあいさつ。
真性寺の地蔵菩薩尊は正徳4年(1714)、深川の地蔵坊正元が江戸の街道出入り口に建立した六体の地蔵尊、いわゆる江戸六地蔵尊のひとつで、造立年代順第4番目、巡拝順第3番目。東京都指定有形文化財に指定されている。毎年6月24日には、江戸六地蔵の供養のため境内で百万遍大念珠廻わしが行われている。ちなみに江戸六地蔵のほかの五体は、東海道・品川寺、奥州街道・東禅寺、甲州街道・太宗寺、水戸街道・霊巌寺、千葉街道・永代寺(現存せず)。
真性寺は真言宗豊山派。開基(寺の始まり)は不明だが、聖武天皇勅願、行基菩薩が開いたものと伝えられている。「地誌御調書上」(1826)によれば、元和元年(1615)に中興開基(一度衰運にあったものを再建)がおこなわれたのが記録として残っており、江戸初期には諸堂が整備され、主要街道であった「中仙道」が門前にあったことから、諸国への往来でにぎわった。享保15年(1730)以降8代将軍吉宗、9代将軍家重の代には狩りのための御小休に使われ、御成門が建立されていた。明治9年には近隣の火災により、昭和20年には東京大空襲により2度の諸堂全焼があった。現在の諸堂は昭和37年以降に再建された。全焼の際に本尊の薬師如来像と六地蔵像は焼失を免れている。境内には「志ら露も古保連ぬ萩のう禰里哉」という芭蕉の句碑がある。
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