雑司が谷の杜から 東京再発見への誘い

『日和下駄(ひよりげた)』に魅せられて

雁木坂

東京を舞台とした小説、随筆を数多く残した永井荷風(1879~1959)。その作品群のうち、大正初期の東京の隅々を明確なテーマに沿ってつぶさに記録、批評したしたものとして知られるのが、大正4年刊行の『日和下駄』です。
今なお多くの読者に愛される作品ゆえ、ここから東京散策の「手法」を学んだ方も多いのではないでしょうか。
街の片隅で雨ざらしとなっている小さな地蔵に目を向け、寺院の山門を額縁にして門前の街並みを絵画のように眺め、路地の奥に生活者の生々しい息吹を感じ、水の流れを見ればその源を辿る。
「東京にはまだこんな場所が残っていたのか」という類の驚きは、この『日和下駄』的街歩きの産物として、単調な散策にも花を添えてくれます。

「荷風随筆集」をポケットに

不忍池 弁天堂

荷風の作品集をポケットに忍ばせて街を歩く、そんなスタイルをここ数年続けています。おかげで、岩波文庫「荷風随筆集(上)」は、すっかり弱りきった有様ですが・・・。
『日和下駄』の他、東京をテーマとした随筆16編が収録されたこの文庫本を繰り返し読んでいるうち、私はあることに気が付きました。それは、小石川、深川、荒川放水路、玉の井、そして市川へと、発表年代順に並ぶそれぞれの作品舞台が、都心を背に次第に東へと向かい、戦後の作品でついに江戸川を越えて市川に到達しているという事実です。
これは、荷風自身が無秩序で表面的な近代化を遂げる東京都心に失望し、そこに集う文壇のしがらみや軍国主義にも嫌気がさし、それらに背を向け、その周縁部に慰藉の地を求めた生活スタイルと重なり合っていきます。
作品をトレースしながら、荷風の視線が捉えた東京を探る散策は、荷風ファンにとってはとても贅沢な時間といえるでしょう。

江戸川を越えて

八幡商店街

市川という土地に、荷風の作品を通じてはじめて足を踏み入れたのは、2008年の春でした。江戸川から分岐する真間川に沿って、国府台、真間、菅野、須和田、宮久保、そして京成西船(旧葛飾)から終焉の地、八幡へ。
戦後、不本意なかたちで市川での生活をスタートした荷風でしたが、次第に生活にもゆとりが現れ、東京には失われた近郊農村の風景に、荷風は次第に溶け込んでいきました。
戦後の随筆で最も評価の高い『葛飾土産』は、そんな時期の作品で、当時の風景、人々の暮らしといった描写が、鮮やかな色彩を帯びて読者の脳裏に焼き付けられていきます。そして荷風は根っからの散策者らしく、真間川の流れの先を追い求めていくのです。