注)2000年8月の全国高等学校PTA連合会 第50回記念大会の記録です。私は当時、啓明学園に勤務していました。

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司会
 お待たせいたしました。
これよりパネルディスカッションを始めさせていただきます。初めに、本日コーディネーターをお願いする小山和智様をご紹介させていただきます。(拍手)

 小山和智様は昭和27年広島県にお生まれになり、昭和51年立教大学法学部卒業。IPA国際市民協会、海外子女教育振興財団勤務。ジャカルタ日本人学校事務長、クアラルンプール日本人学校国際交流ディレクターを歴任されました。現在啓明学園国際教育センターディレクターとして、国内の企業や学校で社員、教職員の異文化理解、国際交流の指導に当たっていらっしゃいます。それでは小山先生、よろしくお願いいたします。
四学区が一番地味なテーマ

小山
(コーディネーター)
 こんにちは。
 東京第4学区の会場に、こんなに多くの皆さんにお集まりいただいて、ありがとうございます。
 全国の方がいらしていますので、第4学区をご紹介させていただきますと、よく東京の標準学区というような言い方をされます。良くも悪くもいつも普通の学区だとよく言われます。それこそ悪名高い偏差値も普通と言われていて、東京都の偏差値というと第4学区の偏差値がそのまま出ていくというぐらい、当たり前の学区と言われているところです。

 この分科会のテーマも10の会場のうち最も、山口さんを除けばパネラーもみんな極めて地味な顔ぶれです。(笑)ただ無理をして形を整えようとすればするほど本音とか正直な言葉というのが隠れていってしまうという現実があり、あえてこういうオーソドックスと言いましょうか、地味な形の設定に踏み切られた第4学区のPTAの役員の皆さん方の努力と言いましょうか、決断にむしろ敬意を表したいと私は思っております。パネラーの皆さんもせっかくこういう場所ですから包み隠さず、正直なお話をしてもらえればなと思います。
 それでは限られた短い時間ではありますが、できるだけ多くの意見なり、あるいは感想なりを出していっていただければと思います。

 最初にパネラーの皆さんの自己紹介を兼ねながら、それぞれまず一言。特に山口さんは第4学区の父親代表という部分も兼ねていらっしゃいます。 というよりも全国の保護者の代表として、一人子供たちの矢面に立っていただくわけですが、責め立てられる前に本当のところを、言いたいことは先に言っておいてもらおうかなと思います。その間に若い4人のパネラーの人たちには、先ほどの北村先生の立派なご意見をベースに、ではなくて「違うんじゃない」というところを、一人ひとり自己紹介を兼ねながら、きれいにはああなるけれど、本当はこうだよというようなところを言っていただければと思います。いいですか、山口さんが話している間に準備するのですよ。
 では山口さん、よろしくお願いいたします。
☆ 
パネラーの自己紹介
子どもの頃に聞いた、父の戦争体験の話が、進路に影響
  

山口
(パネリスト)
 どうもこんにちは。父親代表、保護者代表というのは非常に人選を誤ったなという感じが......。この席に出て来て言うのもなんですが、私は子育てということはほとんどしていない状況で、そういう意味で言うとお父さん方もお仕事ばかりで、あまりやっていないという方も多いと思うので、そういう意味では少し同じようなところもあるかもしれません。楽屋で先ほどもずっと小1時間ぐらいでしょうか、一緒にいたのですが、隣の林さんにかなりいろいろと意見をうかがいまして、半分感化されているような状況で、果たして保護者代表となれるかどうか心配なのですが......。

 僕はいま非常に元気で仕事をしているのですが、子供のころは非常に病弱で、いつも病院に行っているような、私が元気な子供だったら家が1軒建ったと言われるぐらい病弱な子供でした。ただ子供のころはそんなことは感じなかったのですが、親になって子供が病気をしたときに病院へ行くわけですが、その時やはりすごく心配です。その時に初めて「ああ、自分の両親は毎日こんな思いをしていたんだな」と思うときに、親のありがたみがわかったのです。それでも子供のころは全然わからなかったのです。どうしても子供というのは親の気持ちがわからないと思うのです。親になって初めてわかるのだけれど、それを「親にならないと、おまえおれの気持ちはわからないだろう」といま子供に言ってもわからないからしょうがないことなのです。
 ただぼくの親父というのは、ぼくが高校3年のときに糖尿病で亡くなりました。お父さん方、気を付けてくださいね。油断していると糖尿病に......。うちの親父は酒も飲まないし、そんなに美食でもないのだけれど、糖尿病で亡くなってしまったのです。

 そんな親父で、ちょうどぼくが進路を決めるときに亡くなったのですが、ぼくが進路を決めるに当たって戦争体験があった親父が、戦争があるために自分の夢がかなえられなかったという話を、子供のころからずっと聞いていました。それで自分は当時落語家になりたかったのですが、落語家になりたいと思ったときに一度の人生だし、いま戦争のない平和な時代なのだから、やりたいことができるのだったら、やりたいことをやっていこうとぼくは思ったのです。
 だからぼくの進路に非常に影響を与えたのは、子供のころから聞いた親父の戦争体験です。だから親父とは進路について話す間もなく亡くなってしまったのですが、非常にぼくの進路には影響を与えた話だったのです。
 だから自分の子供のころの話とか、自慢話ではなくて失敗談とか、子供のころ思っていたことなどを、もっと子供にいろいろと話ししてやるべきだろうなと最近つくづく思うのです。でもそれは結構照れくさいのですよね。何か昔の話をすると子供は結構「そんなのは今の話じゃないし―」などと先ほど林さんにも言われたのです。(笑)確かにそういうこともあるのですが、それでもいいから何かいろいろと子供に話をする時間、話を聞いてやる時間をつくれたらいいななどとお父さんは思っております。
小山
(コーディネーター)
 もういまから守りですか。
山口
(パネリスト)
 ええ、少し守りを固めておかないと、なかなか先手を打っていけないので。
小山
(コーディネーター)
 いや、先手と言いながら、もう守っていては駄目ではないですか。
山口
(パネリスト)
 そうです。私は専守防衛です。
小山
(コーディネーター)
 若干敵に塩を送っているような雰囲気がありますが......。
親と子、ズレがあるのは当然

小山
(コーディネーター)
 それでは林さんからそれぞれ。
いまの山口さんを攻撃するのではないですよ。北村先生のほうを攻撃する。間違えないように。

(パネリスト)
 打ち合わせ通りにばっちりです。
山口
(パネリスト)
 ばっちり。
小山
(コーディネーター)
 では紹介を兼ねて一言ずつ言ってから。


(パネリスト)
 今回またパネルディスカッションに参加させていただきます、林佳代子と申します。よろしくお願いします。(拍手)
 実は「また」と言うのは、パネルディスカッションはこれで2回目になりまして、前、東京都のPTAのパネルディスカッションのほうに、一度高校2年生のころに参加させていただいています。パネルディスカッションは2回目の参加になります。自分の自己紹介のところに私は高校名しか書いていなくて、「おまえはいま何ぞや」という突っ込みがきっと入ると思うのですが、高校を出て2年間浪人をしていまして、親泣かせな娘でございます。いまは近所の塾に通いながら、河合塾という予備校に通いつつ、大学に入れたらいいなと頑張っています。
 実は第1学区の城南高校に通っていたのですが、住んでいるのは生まれてこの方、東京の北区で、何かの縁で千代田区の今川中学校というところに越境というかたちで、中学は別のところに入りました。その縁で第1学区の都立城南高校に進学して、そこで出会った方に今回お話をいただいたのです。高校時代に生徒会とか吹奏楽部、あとは国立科学博物館などの友の会の会員などをやっていて、結構学校だけではできない、いろいろな経験を自分はしてきたのではないかなと自分は考えています。

 先ほどあった北村先生のお話なのですが、つっけんどんで北村先生にはとても申しわけないのですが、私は堅いのがめちゃくちゃ苦手で、入学式、卒業式はいつも寝ているのです。聞いてしまうと寝てしまうものですから、聞いていませんでした。(笑)
小山
(コーディネーター)
 こらっ。(笑)
山口
(パネリスト)
 どちらかというとしゃべっていないと寝てしまうタイプらしいのですよね。


(パネリスト)
 そうですね。一応言わなければいけないなと思って、北村先生のほうの最初に書いてあった何を言うかというようなところ、概念を見させていただいたのです。
 一番気になったというか、ここは言いたいなと思ったのが、親と子のズレがあるのではないかという感があると思うのですが、でも私は絶対にあると思う。それは別に親と子とは限らなくて、例えばすごく仲のいい友達であったり恋人であっても、それは他人なのだから自分の価値観とは全然違うものを持っていると思うのです。100%ズレがない人というのは絶対にいないと思います。でも友達はやはり同じ時代に過ごしているからそのズレが少なくて、親とのズレというのはすごくあると思うのではないかなと思いました。
外で可愛がられる子育てを
小山
(コーディネーター)
 ありがとうございました。李君。


(パネリスト)
 はじめまして。早稲田大学大学院に在籍しています李庸喜と申します。よろしくお願いします。(拍手)

 先ほど小山先生から地味な第4学区という話があったのですが、林さんの話を聞いていると「どこが地味なんだ」というか、変わり者じゃないかという......。(笑)きょうは3回目なのですが、やはりね。

(パネリスト)
 はい、もう変わり者で通っていますから。


(パネリスト)
 どうなるかという感じなのですが。(笑)パンフレットのほうに書いたのですが、うちの両親はここの大山駅から3駅目の上板橋というところで焼肉屋をやっています。そこのせがれという感じで、ぼくも特にいたって普通に地元の中学に行って、高校に行って、大学に行ってという感じで生活してきたのです。

 いきなり北村先生のお話になるのですが、伺って思ったというか、この会に参加してなんなのですが、本当に子供のことが可愛いのかな、と思ったのです。というのは可愛いければ普通、こういう先生の話というのは当たり前だと思うのです。というか自分が親の立場になったらこんなことを考えるのではないかなと浮かびます。ではなぜこの会でそういうことを言わなければいけないのかと、少し疑問に思うのです。
 たぶんここにいらっしゃる方の多くは可愛いがっていて、子供のために何かしてあげたいと思っている方が多いと思うのです。でも子供を可愛がるってなんなのか。
 とか言って、まだ全然親ではないので、いま言っておくとあとでダメージが来そうなのですが......。自分で可愛がることだけ考えて、子供から得ることばかり考えているのかなという気がするのです。それよりもむしろ外に行って可愛がられる子にするという、八方美人ではいけないのですが、そういったことを少し考えたほうがいいのではないかなと思うのです。
 あとはやはり聞いているだけではなくて、得たものを実際に行動していく。そういうものが必要ではないかなと、生意気にも思ってしまいました。そんなところでいいですか。
講演はやはり上から見た意見
小山
(コーディネーター)
 では関戸さん。

関戸
(パネリスト)
 いま文化服装学院という服飾の専門に通っています、関戸麻衣といいます。よろしくお願いします。(拍手)
 結構北村先生の話は上から見ているなという感じがして、同じ目線でということを言っていたけれども、実際にそういう同じ目線に立って見ているかというと、そうでもないような気がした。やはり上から見た意見でしかないような気がしたので、きょうは高校を卒業したばかりの子とか、若いみんながいるので、そういう声を実際に聞いて帰って、自分の子供などにも話して欲しいし、それで晩飯の一ネタができればいいなと思っています。(笑)よろしくお願いします。
うちは、父親と母親は絶対
小山
(コーディネーター)
 ありがとう。では今井君。(拍手)

今井
(パネリスト)
 こんにちは。このパネリストの中で唯一の社会人、今年25歳になります四捨五入してしまうともうすぐ30歳というかたちになってしまうのです。これは言い過ぎですが......。
 このお話をいただいて、ぼくが高校時代といったらもう7年ぐらい前で、思い起こすのにすごく必死になりました。小山先生のほうから「君が高校生のことがわからないと言ったら、ぼくたちの世代なんか、もう引導を渡されたようなもんだよ」ということで、非常に一所懸命思い出したのです。
 いろいろつい最近まで、うちの弟が高校2年生で、実家に帰って久しぶりにお話しする機会があって、いまはこんなものなのかなと。また自分の身近にも高校生がいますが、またいまこのような新しくご縁がありましたが、やはり人間関係というのは常に変化しながら、身の回りにあるというのを思い知らされました。
 そんなに肩ひじ張らずに、楽に考えたほうがいいのかなと思い、今回パネリストのほうを引き受けさせていただきました。
 また先ほどの講演のお話をおうかがいして、冒頭に親の立場が弱くなっているですとか、いろいろズレがあるというお話なのですが、本当に親の立場というのは弱くなっているのかな、というのがぼくは疑問なのです。子供のころ父親によくたたかれましたし、家族4人兄弟なのですが、ぼくは大学に、妹は短大に行きましたし、経済的にも苦しかった。ぼくは高校生のとき、3年間ずっとテニスをやっておりました。部活をずっとやっていたのでバイトもできずにお小遣いもなく、ずっと靴をすり減らしながらテニスのガットが切れながらやっていたのです。
 そんなときに、やはりお金がないですから経済力を持っているのは父親、母親でしたと、今も昔も思うのです。絶対に立場が弱くなった、また力がなくなったというのは非常に疑問に思われる。
 そういうふうに考えますと、先ほどのお話というのは少し被害妄想が入っているのかなとぼくは思ってしまうのです。(笑)そういった印象を受けました。そういった感じでまず......。
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小山和智プロフィール
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