インタビュー:クリスティアン・ガンシュ氏(DGGプロデューサー) 庄司紗矢香について

訊き手:木下健一
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コンテンツ:
▼「敢えて危険を冒すという冒険心を持っている若手というのがきわめて珍しい」
▼「アーティストを育てるということに関して確固たる方針を持っているという点が我々DGの非常に重要な強みなんだな」
▼「ドヴォルジャークが本当に素晴らしかった!特に最終楽章」
▼「どうしたら彼らが自分たちの考えを最も満足行く形で実現することができるか。そこのところのお手伝いをするのが私たちプロデューサーというわけです」

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 ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルとのパガニーニに続き、庄司紗矢香のDG専属第二弾となるルーヴル宮オーディトリアムでのライヴ録音のプロデューサーを務めるのがクリスティアン・ガンシュ氏だ。セルジュー・チェリビダーケ音楽監督時代のミュンヒェン・フィルで長年ヴァイオリンを弾いていた、紗矢香さんにとっていわば先輩ということになる。前回のクリストファー・オールダー氏に続き、ギル・シャハム、ミシャ・マイスキなどの録音をプロデュースしているDGの「ミスター弦楽器」氏が今回の録音の面倒を見ることひとつにも、今回のリサイタル盤録音にかけるDGの意気込みが感じられる。さすがに自らヴァイオリンの専門家だけあり、ガンシュ氏の仕事ぶりも徹底したもの。ライヴ録音中も、DGが録音機材を持ち込んだ楽屋の一室では、広げた楽譜を目を皿のようにして追うガンシュ氏のきわめて専門的、そして技術的なコメントが飛び交う。九月十二日の演奏会後には、紗矢香さんを中心に伴奏のピアニスト、イタマル・ゴーランとガンシュ氏が楽屋に籠もりきりになり徹底した議論が真夜中過ぎまで続いた。
 翌十三日昼に行われた紗矢香さんのリサイタルの直前、録音の準備の余年のないガンシュ氏からお話をうかがった。
(木下健一)




▼「敢えて危険を冒すという冒険心を持っている若手というのがきわめて珍しい」

──今回の紗矢香さんの録音はどのように企画が立ち、ガンシュさんが担当されることになったのでしょう?。この前に出たメータ指揮のパガニーニの協奏曲はクリストファー・オールダーさんが担当されていましたよね。それとも、あれは日本DGの制作でしたっけ?…。

クリスティアン・ガンシュ(以下「C・G」と略)──いえ、あれも私たちDGインターナショナルの制作になるものなんですが、紗矢香さんの録音の面倒を見るという仕事が私に廻ってくるというのは、ある意味で当然なので、私自身ヴァイオリニストということで、DGでもギル・シャハムやミシャ・マイスキなど弦楽器奏者の制作は私が担当することが多いのです。それに私は日本DGの篠原良さんをよく知っているので、篠原さんがこの話を本社に持ちかけてきた時、現在、紗矢香さんほどの才能を持ったヴァイオリニストはそう簡単に見つかるわけでなし、二つ返事でOKを出したというわけなんです。

──今度は、DGのプロデューサーとしてではなく、ヴァイオリニストとしてのガンシュさんへの質問なんですが、同じ楽器を弾かれる方として、紗矢香さんについてどうお考えでしょう?。

CG──ああ!これは素晴らしい。本当に素晴らしいアーティストだ!。現在私自身の知っている若手ヴァイオリニストの中でも飛び抜けた才能があるという以上に、彼女ほどの歌心、そして?特に重要なことですが?敢えて危険を冒すという冒険心を持っている若手というのがきわめて珍しい。

▼「アーティストを育てるということに関して確固たる方針を持っているという点が我々DGの非常に重要な強みなんだな」

──現在紗矢香さんは十八歳ですね。あまり若くしてアーティストを売り出してしまうというのは、ある意味で危険なことではありませんか?。つまり、あまりに早く注目を浴びることになると、それだけ、今おっしゃった冒険心、危険を冒すということがやり難くなるんじゃないかな?…。毎回模範的演奏を要求されるという意味で…。

CG──そうなんだよね。時として若いアーティストたちは、お金や名声から悪影響を被る傾向がある。それに、この世界では、彼らの才能を利用して金儲けのことばっかり考えている奴らも多いから。彼らの芸術的将来のことなんかこれっぽっちも考えずに…ね。だから、私たちプロデューサーというのは、彼らをそういった悪影響から守るという重要な任務もあるんだよ。

──そう、そこで僕が素晴らしいと思うのは今回のディスクのプログラムなんですよ。パガニーニや「カルメン」、サラサーテなんかを集めたアンコール集なんかを作るのだったら、ディスクも売れるだろうし、そう難しいことはないでしょうが、今回のプログラムなんか、さすがに本格的ですね。ブラームスがあるし、 シマノフスキのソナタまで入ってる…。

CG──そうそう、そうなんだよ。紗矢香さんのような若いアーティストにとって、すごく大切なことなんだよ。本格的な作品で彼女が何を出来るか証明する必要がある。その点、紗矢香さんがDGと専属契約を結んだということは、彼女にとってのチャンスでもあるし、非常に貴重なことなんだ。私は他にも多数のレコード会社と仕事をしてきましたが、長期的な展望に立ってアーティストを育てるという確固とした方針を持っているのはDGがピカ一だよ。その中でも、特に私はそういう点を大切にしたいと心掛けているんです。

──そうですね。ポリーニなんかにしても、ギュンター・ブレーストさんがソニーに移ろうとも、DGに忠誠をつくしている。

CG──DGというのは、確かに時として保守的に過ぎるところもあるんですが、ただ単にディスクを一枚成功させるというだけじゃなく、アーティストを育てるということに関して確固たる方針を持っているという点が我々DGの非常に重要な強みなんだな。お金の話はその後に来る。お金が儲かるのは将来でもいいということだね。何よりもまづ、長期的な展望に立ったアーティストの育成を優先するということ。

▼「ドヴォルジャークが本当に素晴らしかった!特に最終楽章」

──僕は紗矢香さんの演奏をナマで聴いたのは昨日が初めてだったんですが、この子はなにか、普通の天才少女とは違うものを持ってますね。それは何なんだろう?と考えているところなんですが、勿論ラヴェルはちょっと違いますが、一種中欧的な渋い音が出せることかな?…。ただ、昨日のブラームスなんかを聴くと、 自分が今感じているものを率直にそのまま出している感じがする。昔、ヨーゼフ・スークとイェルク・デームスの演奏でこの曲にえらく感心したことがあるんですが、要するに、老年になって?…といったってまだ五十代末で、老境というのには早いのですが…?、枯れたブラームスが若い頃を振り返って郷愁に駆られているような演奏が感動的だったのですが、紗矢香さんの演奏はその正反対なんですよ。

CG──そうそう、まさにその通りだね。

──若き日への回想といった郷愁の世界だったのが、紗矢香さんの場合は、もう直接にブラームスの抒情に反応してますね。あたかもブラームスを二十か三十歳くらい若返らせちゃった感じなんですね。そこが素晴らしいと思った。

CG──うん、ただね、昨日演奏会後に大議論になったんですが、私自身としては、昨日の演奏にはまだ問題があると思った。貴方もこれから同じ曲をもう一度お聴きになるわけですが、目に見えて違いが出ると思いますよ。だから、一度の演奏だけで、そういうもんだと思わないで欲しいんだね。

──うーん。僕は昨日の演奏は非常にユニークで面白かったですが、どういう点を議論されたのですか?…。演奏会後真夜中までお仕事をされていたとか…。

CG──昨晩紗矢香さんもそう言ってたのですが、曲に対する考えというか、特に曲全体の構成とか展開をもう少し詰める必要があると思った。まあ、もう一度聴いてご覧なさい。目に見えて良くなってるから。

──それから、もう一つ。彼女は以前イタリアで勉強していたし、パガニーニ・コンクールなんかに優勝しているわけで、僕としては、音も結構派手で高音域の綺麗なイタリア系のヴァイオリンを想像していたんですが、必ずしもそうとは限らないんですね。確かにこれは、このホールの乾いた音響のせいということもあり、スタジオで聴くと、ちょっと違った音が聴こえるんですが、どうでしょう、ドヴォルジャークなんかかなり良かったし、彼女の音楽性はスラヴ系とか中欧系の音楽に合っていると思いませんか?…。プロデューサーとしてのガンシュさんのお考えとしては、紗矢香さんの今後のレパートリーをどういった方向に導いていきたいと思いますか?…。

CG──そう…スラヴねえ…(声をひそめて)、ドヴォルジャークが本当に素晴らしかった!特に最終楽章。紗矢香さんの産み出したあの瞑想的に雰囲気。これは特筆に値するな。そう、スラヴねえ…、うんうん。確かに、あすこで彼女が表現したものは、必ずしもドヴォルジャーク的とは言えないかも知れないのですが、多分、東洋的なものとの絶妙な混淆というか…。

──そういう意味で、ジョルジュ・エネスコなんかも良いかな?、とふと思ったんですが、スラヴ的なものが何処かで東洋的なものと通底している。フランス的な要素もあるし…。今回はシマノフスキもあったし、中欧的なレパートリーがすごくいいんじゃないかと思いましたが…。

CG──うん、技術的なレベルでも楽想の面でもドヴォルジャークは素晴らしかった。今これから、 これにどうやって。冷たいスタジオで作ったものとは違うライヴの雰囲気を加えていこうかと考えているところなんです。

──その点で、このルーヴル宮オーディトリアムを選ばれたのには、何か特別な理由があったのですか?…。会場の音はお録りになっていないようですが…。

CG──いや、ここを選んだのは私じゃないよ。日本側なんで、メータとの協奏曲の後は、もう少しオリジナルなリサイタル盤をということで、そのプラス・アルファとして、ルーヴル宮殿という素晴らしい場所が選ばれた。ただ、このオーディトリアムの音響はあまり良くないな。そこで、私たちの録音のレベルでのノウハウが重要になってくる。貴方がスタジオ内で聴いた音は、まだきわめて硬い音で、ディスクはあのままの音で出すわけではないのです。

▼「どうしたら彼らが自分たちの考えを最も満足行く形で実現することができるか。そこのところのお手伝いをするのが私たちプロデューサーというわけです」

──最後に、さきほど、紗矢香さんの今度のディスクのプログラムの話が出た時、その背後にガンシュさんという優れたプロデューサーの存在が感じられるという話をしたんですが、例えば今回の紗矢香さんの録音の場合など、プロデューサーの役割というのはどういったところにあるのでしょう?。

CG──私にとって、プロデューサーの役割というのは、ごく単純な一点に尽きると思いますよ。要するにアーティストのお手伝いをすることです。つまり、私たちプロデューサーはプラットフォームを書くというか、その基盤の上に立ってアーティストたちが音楽に全神経を集中できるようにする、それ以外の余計なことに煩わされないような枠組みを作るということですね。紗矢香さんは見事なテクニックを持っている。天才的ですらある。ピアニストのゴーランさんも同様で、その点にはまったく問題がない。ただ、その技術の上に立って、さらにそれが音楽となる、まさにそこのところでお手伝いしようというのが私たちの仕事なんです。彼ら二人が、自分たちの音楽を十分に開花させるために、彼らを守る環境を作るということですね。

──アーティストたちが自らの音楽、自分のやりたいことを実現するための手助けをするということですね。

CG──まったくその通りです。プロデューサーといっても、色々な仕事のスタイルを持っている人がいて、「それは良くない。イントネーションが間違っている」とか非常に技術に煩い人もいるんですが、私にとってそういった技術的な問題は基礎の基礎なので、基礎というものは基礎でしかないわけですよね。私が興味を持つのは、あくまで音楽創造の次元なのです。これまで私は、ブーレーズとアンサンブル・アンテルコンタンポラン、小澤征爾、ジェイムズ・レヴァインとも結構仕事をしたし、チェリビダーケ・エディーションも私がやったわけなんですが、これらのアーティストたちは、いづれも独自の音楽哲学というものを持っている。彼ら各々の音楽に対する考えを最も忠実にディスクに反映させるのはどうしたらいいか、ということをしょっちゅう考えているんですね。紗矢香さんとイタマールさんがいったい何をやりたいのかを洞察した上で、どうしたら彼らが自分たちの考えを最も満足行く形で実現することができるか。そこのところのお手伝いをするのが私たちプロデューサーというわけです。


(2001年9月13日、パリ・ルーヴル宮オーディトリアムのDG仮設録音スタジオにて)
取材協力:Junko WATANABE (DGG)

インタビュー:庄司紗矢香

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