インタビュー:庄司紗矢香(全文)

訊き手:木下健一
============
コンテンツ:
▼「13歳頃、このままじゃダメだな、と何故か、自分でこう、ふっと思って、それから、これからは技術を磨くことに専念しようと決心したんです」
▼「折角ライヴで演るんだから、スタジオ録音ではできない何か特徴を持ったブラームスを作ろう」
▼「音楽に対し、本当に深く考えられるようになったということはブロン先生のお陰だと思ってます」
▼「如何にしてヴァイオリンという楽器を忘れて音楽に没入できるか?…」
▼「現代の曲、そして日本の曲はすごく興味があります」
▼「強いて言えばベートーヴェン!」
▼「カフカを読んでいると、何故か頭の中でシマノフスキが鳴ってくるんです」
▼「音楽家にとって、本当に室内楽というのは必要不可欠なものではないかと思います」
▼「音楽という耳だけのものでなく、聴覚的なものだけでなく、視覚的なものとか…、さらに一般的に芸術の色々なジャンルを併せてイメージを作りたい…」
============


 ──ひょっとしたら、今回はあまりお時間がとれないんじゃないかと思って、質問を四点くらいにまとめてきたんです。最初にそれを要約しちゃいますから、あとはご自由に、気の向いたところからお喋りになって結構ですよ。

 その前に、今回が紗矢香さんのパリ・デビューということもあって、僕は初めてナマをお聴かせいただいたんですが、なにせ、あまりよく知らないから、インターネットでいろいろ資料を探したんですよ。Googleで検索してみたら、なんと800点以上も出てきちゃった。ということは少なくともその数倍はあるということだよね(笑)。それこそ、音楽とは何の関係もないものから、国分寺市のミニコミ誌まで出てきて、あら!、この人僕の実家のすぐ近くに住んでる人だ(笑)とか…。あまりあり過ぎて困っちゃったんですが、おまけにインターネットのサーチ・エンジンというのは、必ずしもこっちの関心のあるものが最初にリストアップされてくるわけではないんで…。その中で偶然「庄司紗矢香掲示板」というのを見つけたんです。覗いてみると、これが結構充実してるんだよね。皆さん活発に投稿してるし、紗矢香さんの演奏をヴィエニャフスキ・コンクール以前から追っかけている人なんかもいる。こりゃすごいなと思って、今度パリで紗矢香さんのインタビューをやるから、紗矢香さんにお訊ねしたい質問があったら、投稿してください、と質問を公募したんです。実は、日本のユニヴァーサルのサイトを覗いてみたらブーレーズへの質問を公募してるんだね。その真似(笑)…。そしたら、結構沢山来ちゃって、私信メールで質問を送ってくる人もいたり、…というわけで、今回は、ある意味で「庄司紗矢香掲示板」の参加者の皆さんと共同して質問事項を作ったという感じなんです。

 四点に要約してみました。第一に、今ケルンでお就きになっておられるザハール・ブロン先生について。ブロン先生にお就きになってから、紗矢香さんの演奏が大きく変わったと指摘する方が多いのですね。その辺りから。第二には、どこかでジネット・ヌヴーを尊敬しているとおっしゃっていますが、ディスクで過去の大家たちをよくお聴きになるかどうか、それからついでに他の演奏家たちをよくお聴きになるかどうか。第三には楽器の件ですね。以前使っていらしたピエトロ・グヮルネリを最近ストラディヴァリ「ヨアヒム」にお代えになったとか。この二つの楽器の、それぞれの美点とか違いとか、それが演奏にどのように反映されるか、とか。最後の第四の点はレパートリーについて。今後どのような方向に進んでいきたいか、といった点ですね。

 要約します。第一にザハール・ブロン先生について。第二に過去の演奏家で影響を受けた人。それから他人の演奏をお聴きになるかどうか。第三に楽器について…、


庄司紗矢香──…ご免なさい。ご質問の中で楽器のことについては、ちょっと問題があるもんで、ちょっと今は触れたくないんです。ちょうど話し合ってるところなもんで…。


  ▼「13歳頃、このままじゃダメだな、と何故か、自分でこう、ふっと思って、それから、これからは技術を磨くことに専念しようと決心したんです」

──OK。じゃあ楽器については次回に廻しましょう。…第四に今後のレパートリーについて。以上四点です。それではまづ、ザハール・ブロン先生についてですが、どういうきっかけでブロン先生にお就きになったのでしょう?…。

紗矢香──初めてお会いしたのは日本だったんです。日本にいらした時、以前に就いていた原田先生のご紹介で、一回レッスンを受けてみない?ということで。その後ヴィエニャフスキ・コンクールの時にちょうどお見えになっていたんです。この時の演奏を気に入ってくださって、終わってから、習いにきたら、ということになったんです。

──ヴィエニャフスキ・コンクールは97年でしたっけ?…。それではもう随分前からご存知だったんですね。

紗矢香──そうです。その前一度だけ日本でレッスンを受けていました。

──ブロン先生にお就きになってから、どういう点を学ばれた、というかどういう点が変わったと思われます?…。「留学以前に比べ、歌い方に深みが増したというか、情熱的になられた気がする」という印象を持っている方が多いのですが、ご自分でそういう感じあります?…。

紗矢香──あの、実をいうと、もともと私は、昔は技術的なことよりも音楽のことばっかり考えているようなタイプだったんです。それが、13歳くらいの頃かな?…、ハッと目覚めて、やっぱりこのままじゃダメだなと思って…。ウチに音楽家は誰もいなかったもので、そういうことを注意してくれる人っていないわけですよね。

──うんうん、実は、上の質問を寄せてくれた方というのは「ピエトロ・グヮルネリ」さん(笑)とおっしゃる方なんですが、彼氏なんか紗矢香さんの以前の演奏を全然認めてないんだよね。「折り目正しい演奏だけど、さらさらしていて、彼女自身が音楽に感動しているとはとても思えないものでした。きちんと弾くからコンクールに出れば成績は良いけれど、聴き手にそれ以上の感動をあたえてくれるものではなかった。(…)ところがパガニーニ・コンクールでの演奏を聴いて目を疑いました。これが庄司紗矢香?以前とはまるで別人のようで、強烈で力強い歌いかた、縦横無尽だけれどきっちりとコントロールが利いており、その堂々とした確信に満ちた演奏がはっきりいって信じられませんでした」とおっしゃってるんです。

紗矢香──(笑)その方はいつ頃から聴いてくださっていたのかしら?…。

──「97年、ヴィエニャフスキ国際コンクールジュニア部門で優勝した少し前のこと」だそうです。

紗矢香──はあ、そうでしょうね…。私の9歳頃の演奏をお聴きになると、また印象が一変すると思うんですが、…というわけで、13歳頃、このままじゃダメだな、と何故か、自分でこう、ふっと思って、それから、これからは技術を磨くことに専念しようと決心したんです。ちょっと何年かかるか判らないけれどやってみよう、ということだったんですが…。だから、それがきっかけになってブロン先生のところに行ったということもあるんです。それで、元に戻れたな、と本当に実感できるようになったのが、パガニーニ・コンクールの少し後くらいからなんです。やっぱり、この時期というのは是非とも必要だったと思いますよ。つまり、私の場合、他の方と違って、ヴァイオリンを始めたばかりの頃は、遊んでばかりいて(笑)しっかり練習しなかった方なんで、つまり他の方と違って、やらされなかったわけだから…。自分でやるしかなくて、今のうち17歳頃までにはベーシックな技術だけはしっかり身に着けておかないと取り返しがつかないぞ、ということがあったんです。

──そうね、音楽一家だったら、技術面だけは無理矢理やらされていたでしょうけどね。それにしても随分計画的ですねえ。

紗矢香──ええ、とにかく、自分でふっと思いこんじゃったわけなんです。それで、今ようやく音楽の方に戻れたという感じはあります。

▼「折角ライヴで演るんだから、スタジオ録音ではできない何か特徴を持ったブラームスを作ろう」

──今度立て続けに二度聴いて、僕もそういう感じを強く持ちました。これはよくある天才少女、天才少年のクチじゃないな!…と(笑)。それにしても、昨日と今日とで、随分違いましたねえ。

紗矢香──ええ、だいぶ違いました。

──座った場所が違っていたんで、ホールのせいかな?とも思ったんですが、どうもそうでもないらしい。

紗矢香──エヘヘ(笑)…。勿論、お客さんの反応も違ってましたし…。

──ブラームスなんか、えらい違いだったな。昨日の演奏は、ご自分ではあまりお好きじゃない?…。

紗矢香──(小声で)ここだけの話ですが、私は昨日の方がいいなあと思った。

──そうでしょう!実はさっき、クリスティアン(ガンシュ氏、プロデューサー)のインタビューをやった時、議論になったんです。僕は、昨日の演奏は、紗矢香さんに関する限り、今まであまり聴いたことのないようなユニークな演奏だし、すごく気に入ったと言ったら、彼の方ではイマイチだったと言うんだね。今日はガラッと変わるから、まあ聴いてみろ、と言うんです。つまりね、昨 日の演奏に僕が感心した最も大きな点というのは、紗矢香さんが、この曲を前にして感じていることが、そのまま正直に、ナマの形で出ているんです。
 この二番のソナタというのは、ブラームスという、そろそろ老境に入るようなオジサンが若い頃を懐古して、昔は若くてよかったなあ、とやってるわけよ。だからすごく郷愁的なんだよね。ところが、紗矢香さんの昨日の演奏を聴くと、必ずしもそうではないなと思い始めた。つまり、紗矢香さんがブラームスの抒情にすごく直接的というかモロに反応しているわけ。ブラームスが20か30くらいは若返っちゃった感じで、すごくいいなあと思った。まだあの巨大なあご髭を生やしてないブラームスというか、あの抒情にそのまま反応されているところ、紗矢香さんがご自分の感覚にとことん忠実というか、率直に反応されているところに感心したんです。

紗矢香──それは、ライヴとスタジオ録音との違いということも大きいと思いますよ。スタジオ録音の場合は、やっぱり、なによりもまづブラームスとは何か?…ということが先に立っちゃうじゃないですか。そうじゃなくて、ライヴの場合は、その場で感ずることのインパクトの方が強い。

──お客さんの反応もあるし…、

紗矢香──そう、お客さんとのコミュニケーションがあるし…。

──あのルーヴル宮オーディトリアムというのは、あまり弾き易いホールじゃないでしょ。かなり乾いた音響だし。まあ、ああいった乾いた響きというのはフランスのファンの好みであることも確かなんですが…。

紗矢香──少なくとも、レコード録音には向かない音だって言ってましたね。それで、ブラームス に話を戻すと、実は私たちの方でもかなり大きな議論になったんです。

──ゴーランと?、それともガンシュさんと?…

紗矢香──ゴーランはゴーランでブラームスに対する理想がある。もちろん私にもある。ゴーランの考えているブラームスというのは、多少オールドな、何と言ったらいいか…、すごく落ち着いた…。

──…うんうん、それはよく判りますよ。彼はあまりキレイキレイなブラームスは作りたくないんだ。すこしゴツゴツした、鄙びた感じのブラームス。それはよく判ります。

紗矢香──それで、私たちの共通したところでは、折角ライヴで演るんだから、スタジオ録音ではできない何か特徴を持ったブラームスを作ろうということでした。それで、あと10年経ったら、また全然違ったブラームスができるかも知れないし…。

──うん、それは強く感じましたよ。現に今、紗矢香さんはブラームスをこういう風に感じておられるというのが非常によく出ていた。

紗矢香──それで、ゴーランさんと意見が一致した点というのは、18歳や19歳の演奏家が50歳の人の演奏を真似していったいいいんだろうか?という疑念なんですね。

──そうなんです。さっき、老境に入りかけたブラームスが若い頃を振り返って…という話をしたのは、昔ヨーゼフ・スークとイェルク・デームスでこの曲を聴いた時、そのことをすごく感じたんですよ。もう枯れきったブラームスが若き日を回想している…。

紗矢香──それは、さっきおっしゃたのとまったく同じ意味で、スークさんもご自分の年齢に相応しい、ご自身が感じておられる通りのブラームスをお弾きになったんだと思います。

──そうそう、彼は当時六十代も後半に差し掛かるくらいだったかな?…。紗矢香さんみたいな十八歳の女の子が、あんな老成したような演奏をしたら、かえって気持ち悪いやね(爆笑)。

紗矢香──(笑)。

──ただ、その点ゴーランの方には、ブラームスというのはこうでなきゃならないという固定観念みたいのがあるよね。どうしても重ったるくしちゃうというか…。その点、紗矢香さんの方が自由というか、この音楽に対するご自分の感じ方を信じているというか…、そういう点を、特に昨晩の演奏で強く感じました。

紗矢香──実は、イタマルとは今度が初めての共演だったんです。

──そうだったんですか。それに、ゴーランは、あのホールに結構出ていて音響やお客さんの反応をよく知ってるんだよね。彼については、昨晩はかなり自分だけで勝手に突っ走るなあという感じがしたんですが、今日は大分良くなってた。昨日は、特にブラームスからシマノフスキに移った時、紗矢香さんの音がガラッと変わったのに、ゴーランの方は相変わらずブラームス節をやってるなあ、という感じがしたのですが、今日はちょっと違いましたねえ。

紗矢香──特に昨日のシマノフスキはそうでしたね。ここだけの話ですが、実は彼、シマノフスキは初めてだったんです。それで昨日は相当ナーヴァスになっていたんです。それで余計一生懸命になっちゃったんですね。今日は大分落ち着いて、良かったですよね。

▼「音楽に対し、本当に深く考えられるようになったということはブロン先生のお陰だと思ってます」

──というわけで、随分長々とブラームスの話になっちゃったですが(笑)、突然ブロン先生に話を戻すと、ブロン先生から学ばれた一番大きなことは何でしょう?…。

紗矢香──うーん…。

──つまりね、僕の言いたいのは…、ブロンさんという先生は、マクシム・ヴェンゲーロフとヴァディム・レーピンという現代を代表するようなヴァイオリニスト二人を育てているわけなんですが、これほど対称的なヴァイオリニストもまたとない。

紗矢香──確かに、それはそうですねえ。

──これほど違う、両極端と言ったら言い過ぎになるかも知れませんが、この二人が同じ先生の下から出てくるというのはすごいことだなあ、と思うんですよ。

紗矢香──ブロン先生が最も大切にされていることが、如何にして生徒の個性を伸ばすかという点 じゃないかと思います。だから最終的には全部生徒にかかってきちゃうんですけれど、ブロン先生のおっしゃることをそのまま忠実にやっちゃう人と、それを噛み砕いて、自分の意思とぶつけ合って、自分の音楽を作っていける人とあるわけで、どこまで自分の意志を強く持てるかということが、特にブロン先生のところでは重要なことになってくるのです。
 ただ、ブロン先生からは、本当に沢山のことを学びました。技術的なことは勿論のこと、プレージングから、曲に対する考えまで、つまり、これまで色々な演奏家が弾いてきた作品なんかでも、果たしてこれまでのやり方が本当に作曲家の意図に適ったものだったんだろうかと考え直してみることとか…。

──つまり、技術は勿論のこと、それまで紗矢香さんが決心して磨いてきた技術そのものを乗り超えるきっかけを掴んだということですね。

紗矢香──その通りです。音楽に対し、本当に深く考えられるようになったということはブロン先生のお陰だと思ってます。

▼「如何にしてヴァイオリンという楽器を忘れて音楽に没入できるか?…」

──今のお話とも関連するのですが、紗矢香さんは他人の演奏というのはよくお聴きになる方?…。今の人たちに限らず、ディスクで昔の大家の演奏を聴くとか?…、わりとする方ですか?…。

紗矢香──…どうでしょうねえ?…。

──つまり、他人の演奏は絶対に聴くなと教える先生もいるとか…。

紗矢香──へーぇ、そうですか?

──…らしいですよ。逆に、ピアニストの内田光子さんなかは、すごくよく聴いてる。一度『レコ芸』で内田さんと濱田滋郎先生が対談をやってるんだけれど、これがまた、圧巻というか…。あんなによく聴いてる人っていないんじゃないかという感じ。

紗矢香──いえ、私は、本当に他のアーティストの演奏を聴くことは非常に大切なことだと思っています。同じヴァイオリニストだけじゃなくて、他の楽器の奏者とか、オーケストラや室内楽なんかでも、行ける時は、なるたけ行くようにしてます。

──やっぱり、CDを聴くよりも、実際に演奏会場に足を運んで聴くという方が多いですか?

紗矢香──いえ、私の場合、色々な人をナマで聴けるチャンスというのはそうしょちゅうあるわけではないんで、レコードで聴くことも多いですよ。

──…というのも、色々なアーティストに話を聞くと、レコードよりも、やっぱりナマを聴いて、それをレッスンみたいに考えているという人が結構多いんですね。

紗矢香──とにかく、レコードというのは何回聴いても同じ演奏ですし、いったいその人が、そのレコードでどれだけ言いたいことが言えているのかということも本当は判らないわけなんですが、もちろん両方から学ぶべきことがあるわけですね。

──紗矢香さんが、この人はという風に見本になさったというか、大きな影響を受けたと感じられる人がいますか?

紗矢香──それは、現代の人ということですか?…

──とは限らず。昔の人でもいいんですが…。ヌヴーとか、昔の人って、よくお聴きになります?…

紗矢香──やっぱり、すごく感じるのは、昔の時代の人っていうのは、本当にこう、自分自身で感じている音楽をそのまま弾いているなあという感じですよね。現代のものとはまったく違う世界ですよね。

──つまりね。今の人たちというのは、あまりにお互いを聴きすぎるんじゃないかな?…という感じがちょっとするんですよ。だから、皆同じようになっちゃう。

紗矢香──ああ、確かにそういったところってありますよね。

──これは、僕が歳をとって感受性が鈍くなってきたからかも知れないんですが(笑)、昔聴いたヘンリク・シェリングにしても、アルチュール・グリュミオー、ミルシテイン、メニューインにしても、我が道を行くってな風で、皆すごい個性を持っていたよう思うんですね。

紗矢香──うーん。他人のレコードや演奏会を聴くということから学ぶことも多いのですが、それで自分の演奏が動かされるようではいけないわけなんで、とにかくそれから学ぶことというのは全然別のことですよね。その人の雰囲気とか、音楽に対する姿勢とか…、もっと違うこと。

──でも、そういう風に言う人って珍しくない?(笑)。つまりね、僕なんかが専門の演奏家や、作曲家でもいいんだけど、一緒に演奏会に行くでしょう。そうすると、全然違うところに感心したりしてるわけ。ちっとも面白くない演奏会でも、その人が自分のできないこと、思いもよらぬことをちょっとでもやってると、これはスゴイってことになる。プロの演奏家の耳ってのは、そういう技術的なところに動くものだと思ってましたが…(笑)。

紗矢香──(笑)うーん。私が今になって改めて強く感じているのは、如何にしてヴァイオリンという楽器を忘れて音楽に没入できるか?…ということなんです。音楽家として最も大切なことが、まさにそれなんじゃないかと…。

──究極的にはそこに行きますよね。

紗矢香──特に今の演奏家たちというのは、あまりにテクニック面とか、あるいは作曲家の意図に忠実であるといったことにこだわり過ぎるキライがありますよね。もちろんそれはそれで非常に大切なことなんですが、昔の人たちのやり方とどっかでつながりを付けなければと思ってるんです。

──今回二度聴いた限りでは、その点に関しては、かなり聴衆に紗矢香さんの意図が伝わっているという印象を持ちました。実は、パガニーニ・コンクール優勝者だし、もっとイタリア的というか、つまり技術でバリバリ押してきて、派手で、音も高音域が抜けるようにキレイで…という風に想像していたんですが、ちょっと違うんだね。まあ、プログラムのせいもあったと思うんですが、 スラヴか中欧系のわりと渋い音も出せる。さっき、クリスティアンのインタビューをやった時にも、あの子はスラヴ系のものがいいぞ、と言ったら、かなり賛成してもらえましたよ。ドヴォルジャークの、中でも第四曲目の「ラルゲット」が飛び抜けて素晴らしい、というところで彼と意見が一致したんです。

紗矢香──それは、すごく嬉しいです。それから、さっきおっしゃっていらしたことなんですが、もう一つ、今特によく考えているのは、如何に作曲家毎に曲を弾き分けるかという点ですね。

──そう、その点は、さっき出た昔の演奏家についての話とも繋がる。アルトゥール・ルービンシュタインがパリで最後にやったリサイタルというのを聴いているんですが、彼に弾かせると、それこそショパンだろうが、ベートーヴェンだろうが、それこそマヌエル・デ・ファーリャだろうが全部同じになっちゃうんだ(笑)…。

紗矢香──そう、個性が強すぎる。そこのところで私は現代の考え方を採り入れていきないなあと思うんですね。だから、さっきの楽器の話とも関連するんですが、今の私としては、楽器ではなく、演奏そのものによって各作曲家を弾き分けられたいいなあ…と。

──そうですね。例えば、古楽部門なんかではベートーヴェンの弾く時は古典期の楽器を使い、それ以前のバロックの場合は、また別の楽器を使ったり、ああいうことってできないかなあ?…

紗矢香──バッハにしても、今古楽器で弾く人が多いですけれど、現代楽器でも、ああいう音を出すことは可能なので…、

──そうですね。だって箱自体は違わないんだし。考えてみれば、弦と弓が変わっただけですからね。 その辺り、随分成果が出ていたよう思いますよ。ドヴォルジャークとブラームスで音が変わって、シマノフスキでまた変わる。ラヴェルの場合は、昨日も今日も席を移動しちゃったから正確には言えないんですが、この人は随分色々な音を出せるひとだなあ、という感じですね。

紗矢香──ええ、そういう意味でリサイタルというのはすごく面白くて、普段だと私、もうちょっと違う風にプログラムを組むんです。古典から入れて行くんですけれど、今回はレコード録音ということで、ロマン派に絞ったわけですね。一枚目のCDがパガニーニだったもので、それとは違うものを出してみようと思ったんです。

▼「現代の曲、そして日本の曲はすごく興味があります」

──さきほどもクリスティアンと、この選曲、なかなかのもんじゃない、なんて話をしたばかりなんですが、これから、レパートリーはどういう方向にもっていきたいと思います?…。それから、紗矢香さんのファンというのは、わりと現代物を期待している人が多いみたいですね。ショスタコーヴィチとかバルトークとか…。

紗矢香──もちろん二十世紀のものは沢山勉強しましたし、演奏会で採り上げるのは、ショスタコーヴィチは来年だったかな?…。多分、N響とデュトワさんで、未だ決まってはいないんですが、多分…。

──それで、僕の方でも調べてみたんですが、ルチアノ・ベリオと共演されてますよね。それで、ちょっと夢が膨らんでしまうんですが、ベリオさんに紗矢香さん用に編曲を頼むなんてことはでき ないですかねえ?…。パガニーニの《カンパネッラ》の変奏曲とか…。ベリオという作曲家は、そういった過去の作品をアレンジすることに大変興味を持っている人だし、彼には特定のアーティストのために作った一連の器楽曲がありますよね。それも、ただ単に作曲家が書斎に閉じこもって書いたのではなく、演奏家と協力して新しい技術を開発してみたり、奏者の特徴を作品に採り込んだり、奥さんだったソプラノのキャシー・バーバリアンからも声楽曲なんか、随分インスピレーションを受けているし、もし紗矢香さんの演奏を聴いて、ベリオが何か新しい曲を作るなんてことになったら、それは非常にエキサイティングだなあ。どうでしょう?…、ベリオのような超大家とは言わないけれど。演奏家の方で作曲家を突き動かして新しい作品を作ってもらうとか、曲を委嘱するとか、そういうことって、もっとあっていいように思うんですね。例えばロストロポーヴィチとかギドン・クレーメルとかは随分沢山の作曲家に新作を依頼してますよね。まあ、ヴァイオリンの場合は沢山あるからいいんですが、そうしていかないと、だんだんレパートリーが限られていってしまう…。

紗矢香──一つ、宍戸先生に作曲していただいたコンチェルトを99年に初演しているんですけれど、私も現代の曲、そして日本の曲はすごく興味があります。

──それから、紗矢香さんには作曲の才能があるぞと太鼓判を押してる人もいるんですが、作曲にはご興味があります?…。

紗矢香──(笑)そうですね、小さい頃にちょっと遊びでやってたんです。

──なんだ、それじゃ、全然根拠のないことでもないんじゃない。期待できそうですね。

紗矢香──うーん、でも今はねえ…、うーん(笑)。

▼「強いて言えばベートーヴェン!」

──それから、これからの予定なんですが、ベートーヴェンのコンチェルトを弾かれるとか?…。

紗矢香──いえ、それはもう終わったんです。7月7日だったんです。作曲家では誰が好きですかという質問をよく受けるんですが、本当はすごく難しい質問なんですよ。ただ、強いて言えばベートーヴェン。今回だけは例外なんですが、いつもはリサイタルに必ずベートーヴェンを入れてるんです。

──ああ、それで、今回も当初の予定ではベートーヴェンの一番が入っていたんだ。

紗矢香──??

──僕のところに送られてきた最初のプログラムではベートーヴェンの一番に、プロコフィエフとドヴォルジャークだったかな?…。

紗矢香──…ああ、そうでしたっけ!。ええ、ベートーヴェンとシマノフスキは、だいたいどのリサイタルにも入れているんです。

▼「カフカを読んでいると、何故か頭の中でシマノフスキが鳴ってくるんです」

──今回僕にとっても、実は一番大きな発見はシマノフスキだったんですけれども、シマノフスキのソナタというのは珍しいですね。僕も紗矢香さん以前には一度くらいしか聴いたことがないな。フランスでは、ようやく最近注目され始めた作曲家で、この頃随分聴かれるようになりましたが…。

紗矢香──私がシマノフスキに本当に興味を持つようになったのは二、三年前くらいかなあ…。何か、言葉で上手く言い表せないものを持っている。ちょっと不思議な音楽ですね。

──うん、僕なんかの場合、ちょっと掴みどころがないというか、なかなか解ったという気がしないというか、まあ、だからこそ何度も聴きたくなるところがあるのですね。

紗矢香──何か、カフカの小説とすごくよく似ている気がするんですよ。何か共通点がある。

──僕がシマノフスキに初めて関心を持ったのは、フランス国立管でレナード・スラットキンがショパンとルトスワフスキを並べて、その間にシマノフスキを入れるというプログラムを組んだんです。それ以前は、同じポーランドだといっても、ショパンとルトスワフスキなんて、何の関係もないと思っていたわけ。それが、その中間にシマノフスキを入れてみると、ああなるほど、ショパンとルトスワフスキもあながち無関係というわけではないんだな、どっかで繋がっているんだなと納得したことがあるんです。
 それともう一つ、まさにそのデュトワさんが一度《ロジェ王》というオペラを振ったんです。これが面白かった。つまり、シマノフスキという作曲家は、当時のヨーロッパの、それこそ様々な流派の交錯点みたいになってるんだね。ロシアからスクリャービンやショスタコーヴィチの流れが入っているかと思うと、フランスの印象派からも相当影響をうけているし、R・シュトラウスを叩き台にしていたり、シベリウスなんかも知っていたようだし…、そういった様々な流れの坩堝みたいになってる。だからこそ、僕なんかはとりとめないというような印象を受けるのだと思うんだけれど、逆から言えば、非常に面白い。ちょっと汲み尽くせないというか、奥の深いところがありますよね。

紗矢香──うん、奥が深い。いえ、私にとってはかなりぴったり世界が当てはまるところがあるんです。実際にはお互いに知っていたかどうかさえ解らないんですが、カフカを読んでいると、何故か頭の中でシマノフスキが鳴ってくるんです。何か、そういうことってありますよね。世界の全然違った場所で、場合によっては時代も全然違っていたかも知れないところで、何か共通のアイデアみたいなものが出てきてしまう…という。だから、私のポリシーとして、音楽だけじゃなくて、美術とか文学であるとか、自分の世界を広げていく必要があると思うんですね。

▼「音楽家にとって、本当に室内楽というのは必要不可欠なものではないかと思います」

──うんうん。紗矢香さんの演奏を聴いていて、そこいら辺り納得できるところがあります。ちょっと僕流に言い換えてみたいのですが、ピアニストのゴーランがわりと自分一人で突っ走っちゃうところがあるのに対し、紗矢香さんが共演者を実によく聴いているなあと感じた箇所が沢山ありました。さきほどのザハール・ブロン門下の二人にちょっと話を戻すと、ヴェンゲーロフというのはとことんソリスト型のヴィルトゥオーゾで、僕なんか最初ナマを聴いた時、舌を巻いちゃったものなんですが、一度モーツァルトのコンチェルトを弾いた時に、独りであまりにバリバリ突っ走っちゃうもんで、伴奏してた指揮者のマレク・ヤノフスキが、それこそ一生懸命モーツァルトの様式というのはこういうものなんだと伴奏で彼にレッスンしている具合なの…。それでその後、彼のインタビューをやった時、その点について訊ねてみたんですよ。そしたら、あの時はなるたけヴェンゲーロフのやりたいこととモーツァルトの様式との間に上手いこと橋渡しをしたいと思ったんだけれど、ああも様式を外されちゃうと共演が難しくなると言ってました(笑)。ところが、レーピンの場合は正反対で、レーピンはヴェンゲーロフほど強烈な個性というものはないかも知れないんですが、コンチェルトなんかでオケと共演している時なんかも、実によくオケを聴いているんだね。オケの独奏者なんかのソロに敏感に反応したりして、この人は随分室内楽を弾き込んできた人じゃないかと思った。共演者を実によく聴いてるんだね。紗矢香さんの演奏にもそういうことを強く感ずる箇所が結構あったな。カフカとシマノフスキとの話からは遠ざかりますが、僕流に言い換えると、この人は随分開かれた感性を持った人らしい、となるんですが…。

紗矢香──やっぱり、ヴァイオリンという楽器自体、ピアノとはちょっと違って、他の楽器と合わせることがほとんどですよね。だから、コンチェルトの場合でも、ヴァイオリンを弾いているというんじゃなくて、音楽をしているということを第一に考えるから、他のパートも私のパートも、同じ音楽を構成する一つの要素であるということをまづ考えるわけですよね。つまり、他のパートなくして、私だけで弾くことは不可能だから、絶対にお互いに向かってアンサンブルを作っていかないことには始まらないわけですよね。

──そうですね。でもそれが身に着いている人って珍しくない?…。わりとピアノならピアノ、ヴァイオリンならヴァイオリンに閉じこもっちゃう人って多いでしょ。だから、さっきもクリスティアンに言ったのですが、紗矢香さんは絶対に室内楽がでいいはづだから、ベートーヴェンなら、ソナタだけじゃなくて、例えば弦楽トリオとか…、

紗矢香──(笑)それはもう…

──…絶対にいいぞ、と言ったんです。絶対に室内楽がいいぞ…と。

紗矢香──実は、今年スイスのヴェルビエでベートーヴェンの《トリプル・コンチェルト》を弾いたんですが、その翌日、それこそさっきのレーピンと、プレトニョフ、イサーリス、ジェラール・コーセと私でタネイエフのクインテットというのを演ったんです。それは、本当に素晴らしい体験でした。

──ほら、やっぱりねえ(笑)

紗矢香──いえ(笑)、実はそれが私にとっての初めての本格的な室内楽へのデビューだったんです。もちろん、室内楽は好きでよくやってるんですが、本格的な公開演奏をするのは初めてだったんです。演奏家にとって、そして音楽家にとって、本当に室内楽というのは必要不可欠なものではないかと思います。つまり、アンサンブル無しで音楽というものはできないですよね。

──それに、何よりもまづ楽しいでしょう。

紗矢香──それはもう、すごく楽しい。

──昔バレンボイムが15年ばかりパリ管の音楽監督をしていたんですが、その頃彼は、もうしょっちゅう楽員たちと室内楽をしていたんです。それが、いつも指揮をしたり、ソロをやってる時に較べて嬉しそうなわけ。皆で和気藹々と楽しそうにやってるわけよ。楽員たちにしたって、いつもはあの台の上に乗っかってエバってる奴が…、

紗矢香──(笑)…

──自分たちと対等の器楽奏者に戻って一緒にやってるわけよ。だから、そっちも楽しそうで、そういうのって、聴衆にモロに伝わってくるでしょう。それから、チョン・ミュンフンね。あの人も室内楽でピアノを弾いてる時が一番好きだな。お互いに、ここをちょっとこう変えてみたら、相手はどう反応すかかな?…とか、聴いていてすごく面白いんだね。

紗矢香──そうそう。それから、室内楽をすることがまた、ベートーヴェンの場合なんか、コンチェルトを弾く時に非常にためになる。オーケストラと弾いているというか、オーケストラの中に入って弾いているという感じだから…。

──…うん、《トリプル・コンチェルト》は特にそうでしょう。

紗矢香──そう、でも《ヴァイオリン・コンチェルト》もそうですよ。

──それからブラームスの《ドッペル・コンチェルト》なんかも、やりようによってはかなり室内楽的にできますよね。一度、サヴァリッシュがパリ管で、パリ管の首席ヴァイオリンとチェロを独奏者にして振ったことがあったんですが、これはもう完全に室内楽でしたよ。そういえば、彼も室内楽をよくやってますね。

紗矢香──だから、そういう風に色々な音を聴きながら、それと一緒になって弾いている時ですよね、音楽をしていて本当に幸せだなあとという気持ちになれるのは…。だから、コンチェルトだからといって、独りだけで弾いているわけではない。特にベートーヴェンや、ブラームスもそうですけれど、特に古典のものは、オーケストラと一体になって弾けるという魅力があるんですね。

▼「音楽という耳だけのものでなく、聴覚的なものだけでなく、視覚的なものとか…、さらに一般的に芸術の色々なジャンルを併せてイメージを作りたい…」

──今回は、こうして、紗矢香さんのファンの皆様と一緒に質問を作ったこともありますので、最後にファンの皆様に対するメッセージかなんかがありましたら…、こういうところを聴いて欲しい、とかこういう風に聴いて欲しいとか…ですね。

紗矢香──…最近よく考えることなんですが、なんかこう、音楽聴いていると、あまりに細かいところが気になりすぎて、音楽そのもののメッセージを聴き取れなくなっちゃう時ってあるようなんですけど…、

──そう、それから聴く方にしても、やれ、ちょっと外したとか、自分の耳の良さを誇示したいのか、そういう細かい点ばっかりあげつらっている人っているじゃない(笑)。一体この人はコンサートに音楽を聴きに来ているのか、それとも演奏家のあら探しに来ているのか?…でな具合に。

紗矢香──うーん(笑)。そういうことって、もちろん気を付けなくてはならないことなんですけれども、それ以上に、私の頭の中だけでイメージが膨らんでいるものが、本当に果たして、皆に感じてもらってるんだろうか?…ということが、いつもはっきりしないんですけれど…。私の頭の中で膨らんでいる一つ一つのフレーズから成り立っている、音楽の全体の…、

──イメージ…

紗矢香──「映像」みたいなものが、聴き手の皆様の頭の中に浮かび上がってきたらいいな…と考えるんです。いつか、これはまた、夢の夢みたいなものなんですが、コンサートで、私がイメージしている絵を後ろで流しながらできたらいいな…とか。さらに、私の、何かもっと直接的に、視覚的にも…、音楽という耳だけのものでなく、聴覚的なものだけでなく、視覚的なものとか…、さらに一般的に芸術の色々なジャンルを併せてイメージを作りたいというか…。

──うーん、それはよくわかるところがあるなあ。どなたか協力者がいるといいですよね。

紗矢香──エヘヘ…。もっとずっとずっと先の話になるでしょうが…。

──でも、それって、かなり可能性あるんじゃない。でも、そんなこと言っちゃうと、オレにやらせろってのがわんさか出て来るぜ(笑)。

紗矢香──エヘヘ…(笑)。

──僕の友人のギタリストに宮川菊佳さんという人がいるんですが、彼がそういうことをやってるみたいよ。朗読と演奏を組み合わせたり…。彼に、パリじゃ、無声映画の上映とピアノの独奏と語りを組み合わせたのがあったぞ、とか報告したことがありますが…。

紗矢香──うーん、いいですねえ。音楽によっても違うと思うんですが…、

──色々なことが考えられるでしょう…。さっきのシマノフスキとカフカのお話の続きになりますね。


(2001年9月13日、庄司紗矢香のパリ滞在先レ・アール・ノヴォテル・ホテルのロビーにて)
取材協力:Junko WATANABE (DGG)

インタビュー:クリスティアン・ガンシュ氏(DGプロデューサー)庄司紗矢香ルーブル・リサイタルについて

庄司紗矢香掲示板へ

ホームページ