モーニング娘。は現実そのものだ。
オレにとって、現実とは暴力そのものだ。
そしてオレはもうずっと、倦怠と諦観から抜け出せずにいる。
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世の中滅入るようなことばっかりでいやになりますね。
電車の中でアホ面ぶらさげてヘラヘラしてるガキを
見かけるたびに、ご自慢のウルフカット(メッシュ入り)を
チョン切ってやりたい衝動に駆られるくらい
煮詰まってるわけですよ、オレは。
そんなルサンチマン(ぼくのかんがえたちょう人)を
抱えつつも、目の前には片付けなければならない仕事の山。
好きだ嫌いだ、向いてるだの向いてねえだの悠長なこと言って
許される身分でもなく、ただただ机に向かう毎日です。
そうやって来る日も来る日もモニタを見つめてるうちに
鬱積してくるものも当然あるわけです。
すっかり農場で働くニガー気分。だけど僕にはピアノがない。
悲しみをブルーズに昇華できるような詩才にも乏しいのです。
だがしかし。この倦怠が骨の随まで沁み通ろうとも、
欲望直結思考の人間(しかも本人は自覚してないから
余計にタチが悪い)に心底ウンザリさせられる毎日だとしても。
卑に堕してしまったら、それこそが本当の終わりなんじゃないか、
とオレは思うわけです。
そこでまあ、モーニング娘。の存在が、名も無い花を
踏みつけられない男でありたい、という気持ちを
持ち続けるための、最後の防波堤になってるんじゃないか。
自分の身に照らし合わせるとそう思えるんですよ。
……話が飛躍しすぎてますか。なぜそこで娘。が出てくるか
わからない? このへんの話は突き詰めると長くなりそうなのでまた今度。
いま書かなきゃいけないのはそんなことじゃないんですよ!
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自分自身が交換可能なパーツに過ぎないってことはわかってるし、
それについて今さら不平を言うほど青臭くもない。
「まあ、そういうもんだよなぁ」と思いつつ、
交換されては大変なのでなんとか壊れないように心がけてます。
現実は理不尽で、納得できるわかりやすい理由なんて
与えてはくれない。そして時に、力づくで大切なものを奪い去っていく。
そんな現実の前で、個人の思いなんてものはまったく何の
価値もない。そしてオレは気がついたら「まあ、そんなもんだ」と
思うようになってしまった。抜け出せない倦怠と諦観に
深く落ち込んでしまったままだ。
でも、なっちは違うだろう。
組織が個人に優越する、それが避けようもないことは嫌ってほど
わかってるよ。抵抗する気も失せるくらい叩き込まれたから。
でも、だからこそ、彼女たちが同じような現実に支配されるのが
ひどく耐え難いんだ。「晴れてモーニング娘。を卒業する」? 冗談言うな。
あんたら散々「安倍はモーニング娘。のマザーシップ」って言ってきたじゃないか。
そんななっちが取替え可能な存在であっていいわけがないじゃないか。
個人は組織の駒に過ぎないということ、モーニング娘。でさえ、
現実の枠組からは逃れようがないということ。
1年前、オレはその事実を思い知らされた。
だけれども、何もできなかった。できるとも思わなかった。
ただ、大切な人が遠くへ行ってしまうのを呆然と眺めていただけだ。
今回の件について、他の人がどう考えているのかはオレには
わからない。ただ、自分の感じていることがどうも一般的じゃ
ないことだけは薄々気づいてる。みんな、モーニング娘。との
関わり方がオレなんかよりずっと大人なんだろう。
でも、自分にとっての最後の避難所のような場所を、
これ以上現実の論理に荒らされるのはごめんだ。
腹を括った上で足掻くことしかできないんであれば、
精一杯足掻いてみようと、オレは自分に言い聞かせることにした。
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この冗長な文章を最後まで読んでくださったあなたに大きな感謝を。
そしてもしあなたが、現状に違和感を感じ、自分の意見を自由に述べる場を
持っていないのならば、どうかこの場を利用していただければと思います。