October 10, 2003

そもそもそれはおめでたいことなの?



最後に圭ちゃんが挨拶をしました。ボクはやっぱり去年の9月23日と同じようにただただ号泣するだけで、心の底から素直に「圭ちゃん、卒業おめでとう」なんて言えませんでした(そもそもそれはおめでたいことなの?)。今までボクは事務所の方針なんかの愚痴をできるだけ言わないようにしてきました。なぜなら事務所の批判を書き連ねるよりも、その時その時の娘。を愛しく思ったり萌えていることの方がはるかに重要だと思っていたし、そんな状況さえも飲み込んで輝いている娘。たちのことを思うと、あたかも対岸の火事のようにしたり顔で愚痴ることはなんだかとても卑劣なことのように思えたし、娘。たちに対して情けないことのように思えたからです。でももちろんボクだって(や、きっと誰だって)あの事務所のやり口には呆れているし、納得がいかないことだらけなのは事実だったので、昨夜の飲み会では堰を切ったかのように事務所の悪口をまくし立ててしまいました。ボクらはまるで圭ちゃんの卒業を「なかったかのように」酒を飲んで、愚痴りまくったのです。いつも思うのだけれど、圭ちゃん本人はもちろん、別れの言葉を贈る娘。たちが号泣しなければならない形式の卒業なんてホントにもうたくさんだと思いました。もし圭ちゃんの卒業がおめでたいことならば、いったいどうして高橋がその場で泣き崩れなければならなかったのか。どうして加護ちゃんが泣きながら、ボクたちの心を引き裂くようなあまりに悲しい言葉を発したのか。どうして…(キリがないので以下略)。娘。たちが号泣する姿を見てボクも号泣したわけですが、あの涙はいったい、目の前でおこっている光景に感動して泣いたのでしょうか? ボクはそうじゃないと思う。ただただ悲しくて、理不尽で納得できなくて泣いたような気がします。ボクにはステージ上の儀式がひたすら残酷なものにしか見えなかった。そしてそれは、結局2001年の4月15日や2002年の9月23日と何ら変わることのないやりきれなさしか残さないものだったと思います。

ボクは未だに裕ちゃんやごっちんや圭ちゃんが卒業しなければならなかった理由なんてわからないし、タンポポの再編だって必要のなかったものだと思っているのです。事務所がまるで通過儀式のように「卒業」を必然と考えているとしたら、それは実に馬鹿馬鹿しい、実にくだらないことだなぁと思います。世の中には変化しなくてもよいこと(あるいは変化しない方がよいこと)が存在するし、同じ体制で新しいものを作り出したり、より一層高めていくことが大切だったりするものじゃないでしょうか?

そして裕ちゃんの時もそう感じたように、タンポポの時もそう感じたように、今回の圭ちゃんの卒業によってボクの中ではっきりと何かが終わりました。なんていうか、何かが完全に終わったような気がしました。それはすごく寂しいことです。だけれども、あんな切ない場面でさえも、圧倒的にステキで愛おしい娘。たちのことを、そして愛すべき圭ちゃんのことを、やっぱりボクはずっと見続けていこうと思いました。うん、そういうこと。

さいたまスーパーアリーナでの娘。コンサートを終えて(5月6日記す)

Posted by やすなお at October 10, 2003 12:42 AM