「あの惨劇忘れまじ」 4.13根津山小さな追悼会
周りはどこを向いても火の海で、どこへ逃げたらよいのかわかりません。空を見上げると、銀色のB29が何機も翼を広げて悪魔のように旋回しています(石井淳氏体験記より)――。4月13日、豊島区立南池袋公園内北側(南池袋2-21-1)の「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」の前で城北大空襲の犠牲者を慰霊し、後世に戦争を語り継ぐための「4.13根津山小さな追悼会」が行われた。高野区長はじめ長橋桂一都議ら百数十人が参加、初代代表の矢島勝昭氏、前島いくこ氏らの姿もあった。主催は4・13根津山小さな追悼会実行委員会(小田光野氏)、後援・豊島区、豊島区町会連合会。
実行委員会の小田代表の「4月13日は思い出すのもつらい日でありました。豊島区をはじめ、日本が復興したのは、多くの方の犠牲があったからにほかなりません。永久平和を望みながら、この記憶が風化しないようこの会を続けていきたい」とのあいさつのあと、黙とう、有志による読経、豊島朗読の会「ききみみずく」による体験記の朗読、斉唱「花」、献花など執り行われ、犠牲者の冥福と世界平和を願った。
昭和20年、東京大空襲からまもない4月13日深夜から14日未明にかけて、B29の大編隊が豊島・荒川・王子・足立・滝野川・本郷など広範な地域を襲った。この城北大空襲における豊島区の被害は、死者778名、焼失家屋34,000戸、被災者161,661名(当時の豊島区人口の約7割)にも及び、区内の面積の約7割が焦土と化した。この空襲により亡くなった犠牲者の多くが、当時「根津山」と呼ばれたこの周辺に、供養されることもなく埋葬されたと言われる。
城北大空襲被災50周年にあたる平成7年、犠牲者の魂を慰めるとともに、もう二度と町を戦禍に晒したくないという平和への祈りをこめて、地元住民有志により追悼会実行委員会が立ち上げられ、初めての追悼会が執り行われた。これをきっかけに、同会が区にはたらきかけ、同年8月、「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」が豊島区立南池袋公園内に建立された。
以来、毎年空襲のあった4月13日当日に、この碑の前で「4.13根津山小さな追悼会」が開催されてきた。平成21年9月から会場となる南池袋公園が地下変電所工事および公園整備のため閉鎖されたため、会の開催が危ぶまれたが、空襲の記憶を風化させないためにも追悼会を途切れさせてはならないと、公園南側にあった碑を北側に移設。通常は立ち入り禁止区域だが、この日は開放し、追悼会を行った。
»» BACK
|