2013年4月

第2986号 2013年4月17日号


「あの惨劇忘れない」
 4・13根津山小さな追悼会


 池袋は一面焼け野原、護国寺の屋根まで見えました。池袋に来てみたら一面焼け野原、途中焼死体がたくさんあり、防火用水にも半身黒焦げの人がいました(斉藤愛子さん体験記より)――。あのB-29爆撃機から投下された6角形の焼夷弾をはっきりと記憶している区民はまだ大勢いる。4月13日、豊島区立南池袋公園内北側(南池袋2-21-1)の「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」の前で城北大空襲の犠牲者を慰霊し、後世に戦争を語り継ぐための「4・13根津山小さな追悼会」が行われた。18回目。この日は高野区長、村上区議会議長ら百数十人が参加した。主催は4・13根津山小さな追悼会実行委員会(小田光野氏)、後援・豊島区、豊島区町会連合会。

 実行委員会の小田代表は「毎年歳を重ねて体は動かなくなるけど、皆さまと互いに手を取り合って末永くこの追悼会を盛り上げてゆきたい。豊かな日本のためにもこの惨劇を忘れてはならないのです。力をあわせて尽くしてゆきましょう」とのあいさつのあと、黙とう、有志による鎮魂の言葉、豊島朗読の会「ききみみずく」による体験記の朗読、斉唱「花」、献花など執り行われ、犠牲者の冥福と世界平和を願った。

城北大空襲とは 区内7割が焦土に

 昭和20年、東京大空襲からまもない4月13日深夜から14日未明にかけて、B-29の大編隊が豊島・荒川・王子・足立・滝野川・本郷など広範な地域を襲った。この城北大空襲における豊島区の被害は、死者778名、焼失家屋34,000戸、被災者161,661名(当時の豊島区人口の約7割)にも及び、区内の面積の約7割が焦土と化した。この空襲により亡くなった犠牲者の多くが、当時「根津山」と呼ばれたこの周辺に、供養されることもなく埋葬されたと言われる。

 城北大空襲被災50周年にあたる平成7年、犠牲者の魂を慰めるとともに、もう二度と町を戦禍に晒したくないという平和への祈りをこめて、地元住民有志により追悼会実行委員会が立ち上げられ、初めての追悼会が執り行われた。これをきっかけに、同会が区にはたらきかけ、同年8月、「豊島区空襲犠牲者哀悼の碑」が豊島区立南池袋公園内に建立された。

 以来、毎年空襲のあった4月13日当日に、この碑の前で「4・13根津山小さな追悼会」が開催されてきた。平成21年9月から会場となる南池袋公園が地下変電所工事および公園整備のため閉鎖されたため、会の開催が危ぶまれたが、空襲の記憶を風化させないためにも追悼会を途切れさせてはならないと、公園南側にあった碑を北側に移設。通常は立ち入り禁止区域だが、この日は開放し、追悼会を行った。


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