2015年12月

第3103号 2015年12月09日号


あらためてトキワ荘紹介
 椎名町駅ギャラリーで写真展


 「トキワ荘写真展」の展示が西武池袋線椎名町駅自由通路の「椎名町駅ギャラリー」で行われている。

 同駅名の「椎名町」は、現在の豊島区南長崎地域の旧町名。この町は昭和20年代から30年代にかけて、手塚治虫をはじめとするマンガ家が集い、青春時代を過ごした伝説のアパート・トキワ荘があったことで知られている。

 「椎名町駅ギャラリー」は地域の文化や伝統工芸を紹介するために平成23年の椎名町駅舎の改修工事に伴って整備された。これまで豊島区ゆかりのマンガ家としてトキワ荘に入居したマンガ家をシリーズで紹介してきたが、今回は、同じく南長崎にある「トキワ荘通りお休み処」が開館2周年を迎え来場者が3万人を突破したことを受け、あらためてトキワ荘そのものについて紹介することになった。

 トキワ荘は1952年12月6日に棟上げされた木造モルタル二階建てのアパートだ。椎名町五丁目2253番地(現在の南長崎3丁目)に建てられた。全22部屋で、間取りは入り口が半間の板敷き、押し入れつきの四畳半。炊事場とトイレは共同、風呂なしと、当時としてはごく普通のアパートだった。ここに雑誌『漫画少年』の編集者・加藤宏泰の勧めにより、1953年に手塚治虫が入居。その1年後に加藤の紹介で寺田ヒロオが入居する。その後も部屋が空くたびに『漫画少年』の投稿欄で優秀な成績を修めていたマンガ家の卵たちが移り住み、徐々にマンガ家が増えていった。そしてそのほとんどが大成したことから、トキワ荘は「マンガ家の梁山泊」と呼ばれるようになる。1982年に老朽化のため取り壊されたが、跡地にはモニュメントが建てられ、当時の面影を伝えている。

 今回は、トキワ荘の当時の写真が展示されている点が見どころだ。共同炊事場の写真にはやかんやバケツなどが映り、当時の生活の様子が伝わってくる。この炊事場の流しは石ノ森章太郎や赤塚不二夫が風呂替わりにしていたことでも有名だ。ほかにも下駄箱や内階段、窓からの風景などの写真があり、マンガ家達の若き日の暮らしを垣間見ることができる。


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