2018年6月

第3214号 2018年6月13日号


ウイロード"アート改修"
 植田志保氏の描画で明るくきれいに


 1000万のたましいを呼び覚ます「色のすること」――。こわい、きたない、しかしどこか懐かしいような池袋の西と東を結ぶウイロード(正式名称・雑司が谷隧道)は、よくもわるくも池袋の象徴的存在として扱われてきた。

 そのウイロードの改修計画が6月8日の高野区長の定例記者会見で発表された。またその日午後7時から豊島区役所としまセンタースクウエアでウイロード改修事業説明会が開催された。ウイロードが東のハレザ池袋と西の池袋西口公園を結ぶ、東西まちづくりの架け橋としての期待が込められている。

 改修のコンセプトは「明るい きれい 女性に安心 快適性」。LED照明を連続的に配置、内装は明色を基本、天井パネルを設置し漏水を防止、防犯カメラを設置、歩きやすく滑りづらい床面材を使用、自転車の降車を促す車止めやサインなど設置など整備される。総事業費は約2億8千万円の見込み。

 今回の改修の目玉は、天井と壁面の内装描画を女性アーチストの美術作家、植田志保氏が手掛けること。  植田氏は1985年兵庫生まれ。「色のすること」と冠した抽象的表現を色に置き換え、平面のみにとらわれない表現を発表している。また対話を通じ、個人の記憶や意識に潜む「色」を顕在化させる対話描画をライフワークとして行っている。

 植田氏の今回の構想では、「豊島区の歴史と文化を色に映し出すアート空間を制作し、ウイロードの躯体が5つで構成されていることから五行説になぞらえ、それぞれ異なった世界からなる物語として描く」という。

 制作時期は来年3月から9月で、「東アジア文化都市2019豊島」の開催期間中に公開制作される。作業は植田氏ひとりで行われ、天井部分については駅前公園内に作業室が設けられる。

 ウイロードの歴史は池袋駅の開設や線路敷設よりも古い。明治初期から中期にかけて当時の日本陸軍が作成した「迅速測図」を見ると、現在の池袋駅付近を1本の道が南北に走っている。ます。「雑司ヶ谷道」と呼ばれるこの道は、北は中山道の板橋宿(現在の板橋区板橋)へ、南は雑司が谷の鬼子母神を経て高田村(豊島区高田)や戸塚村(新宿区西早稲田)付近へと通じていた。

 1885(明治18)年にJR山手線の原形となる日本鉄道品川線が開業し、1903(明治36)年には池袋駅が開業。大正期、雑司ヶ谷道は跨線橋で、その後、ガードで線路をくぐる現在の形になったようだ。

 雑司ヶ谷道と呼ばれていたことの名残なのか、「ウイ・ロード」の正式名称は「雑司が谷隧道」とされている。


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