2020年6月

第3299号 2020年6月10日号


足立勲氏、語る
 ◆故郷の地元紙インタビュー◆
  生い立ちから思いまで


 長年にわたり豊島区の街づくりをリードし、区内政財界に大きな影響力を発揮し続けている豊島区商店街連合会会長、そして豊島ケーブルネットワーク会長(豊島テレビ)の足立勲氏が、このほど出身地(岐阜県)の中日新聞の「ふるさとよ~先達からのメッセージ~」で、インタビューに応じ、生い立ちやふるさとへの思いなど語った。取材にあたった記者は「今年八十八歳になるんだよね」とパワフルに笑う先達の姿に、感激。「自分も六十年後、こういうひとでありたい」と取材後記をよせていた。内容は次の通り。

  ◇◇◇◇◇

 父は大工の棟梁、母は日本髪を結う仕事をしており、三人きょうだいの男ひとりの末っ子として生まれました。家の目の前の津保川が遊び場。学校から川を泳いで下って家に帰るような元気の良い子どもで、堤防の桜の木や、川向うに見える「御林山」の風景を今でも鮮明に思い出します。

 隣の家のよく知る先輩が通っていた縁で、岐阜工業高校の機械科に入学。同じ中学から進んだ同級生は一人だけでした。卒業後は父の跡を継いで大工になろうと考え、しばらく家を手伝っていましたが、どうにも性に合わなかった。

 二十代前半のころ「田舎にいてもどうにもならない」と感じ、会計士になろうと一念発起。母に握ってもらったおにぎり二個を手に東海道線に乗り、東京へと飛び出しました。

 大学生が多く住む、杉並区のアパートを借りて生活。まずは中央大経理研究所などに通い、経理の知識を学びました。その後商売で身を立てようと思うようになり、ミシン販売会社の営業やベッド用のスプリング製作工場の経理などいろいろな仕事をしました。友人に誘われ、「これから伸びる分野かもしれない」と感じてたどり着いたのが不動産営業の仕事です。

 高度経済成長が始まる時期に、宅建の資格を取って独立。マイホーム取得のブームに乗り、都内や千葉県の建売を主に手がけました。池袋東口のビルに事務所を構え、顧客との信頼関係の構築を第一に働きました。バブルの頃は飛ぶように土地が売れましたが、「長続きしなさそうだ」と感じ、崩壊寸前に不動産開発の仕事をたたみました。

 その後は不動産業で付き合いのあった大家から、池袋サンシャイン通りの雑居ビルにある飲食店の経営を任されました。当時の池袋は「ダサい」「汚い」「怖い」の三拍子そろったイメージ。場所がサンシャイン通りの一等地だったこともあり、イメージ向上のため商店街の早朝清掃を一人で始めることにしました。

 放置自転車の片づけやごみ箱の掃除は大変。周りの商店主は、最初は傍観していたものの徐々に協力してくれるようになりました。

 その頃に東京都青梅市に引越し、農業をスタート。飲食店で出す食事や、清掃参加者向けの朝食に自宅の畑の野菜を出しました。

 朝食を楽しみにする人も増え、街が少しずつきれいになっていきました。

 経営していた店の前の通りには、花壇を作って花を植えました。四月には花の鉢を配る「フラワーフェスティバル」企画。物品、飲食販売も合わせて行い、今では多くの人が訪れる恒例行事になりました。商店街振興に貢献したとして先日、小池百合子都知事から賞も贈られ、ありがたいことです。

 東京にいても、古里の状況は気になります。関市のためにできることはないかと刃物の物産展を豊島区で開いたり、豊島区発祥のソメイヨシノを関市に贈ったりして、交流を深めてきました。豊島区も関市も、協力しながら発展していってほしいです。

 岐阜工業高校の同窓会の役員をしており、卒業生と会う機会があります。岐阜の人と会って感じるのは、頭がよくて技術を持っているのに、あまりPRをしないところ。一人で上京した私は、周りに支えられてここまでやってこれた。思いを口にし、協力者を見つけて物事にチャレンジしてもらえばと思います。


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