今日のらくがき

07/01(日)映画三昧
 久しぶりの落書きだ。昨日今日と2日間は映画ばかりを見ていた。土曜日には前評判の高いというか、コマーシャルが多かった「A.I.」を見てきた。初日のせいもあって混んでいたが、これは面白くなかった。中にはラストで泣いている人もいたけれど、私には感動できない。AI(愛にひっかけてもいるんだろうが)テーマである愛が子供が母親に対する愛情を受けたいと願うという話しだからだろう。男と女の愛情ではなく、子供が母親に求める愛情だという点が感動を受けなかった要因かも知れない。だって始めは子供としての愛情を受けているんだからね。それに未来の街のイメージもなんだかありふれた感じがして、SFXやCGがもったいないという感じだ。途中に出てくる相棒のロボットはマネキン人形みたいな質感でこれはちょっと気にいってしまったけれど、やっぱり全体的に見ると、今時SF小説の世界では古くなってしまった人工知能(AI)という手段を全面に押し出した映画なんて時代錯誤もはなはだしく、子供向けに歪曲した話しなんか面白くない。これならこの間見てきた、「メトロポリス」の方がずっと映画としては良く出来ていた。映画化権を持っていた今は亡きキューブリックの案だというのも原因かも知れない。映画のパンフレットにはスピルバーグの談話で、「私の集大成となる作品を全力を傾けて製作しました」とあるが、キューブリックであったなら、やはりもっと違った作品になっていたであろう事を考えると、キューブリックの「A.I.」が見たかった。なんといってもスピルバーグは子供の観客を意識し過ぎて中途半端な構成にしてしまっている感がある。大体映画の始めで、ロボットに対し、服を脱げというシーンがあるが、上着を取って、ブラウスのボタンを外し始めたときには、スピルバーグもやるなぁと思っていたら、それで終わり、ブラウスのボタンを外すのが、何で脱ぐ事になるんだろう?あれなら、上着だけで十分なはずだ。ロボットが命令に絶対服従なのを表現したければ、本当におっぱいぐらい見せなくっちゃ、あのシーンは生きてこないはずだ。そういう意味ではやっぱりキューブリックの観客に対する媚びのない作品を見たかった。映画館を出て残念な気持ちが渦巻いて、他の映画でも見ようと思ったのは仕方がない事だと思う。でも結局はビデオを2本ばかり借りて帰った。「グリーン・デスティニー」と「ダンサー・イン・ザ・ダーク」結構評判の映画だったから見たけど、こっちの方がよっぽどエンターテインメントしていた。「グリーン…」のワイアーアクションの素晴らしさ、まるで夢の中でこんな風に動けたらいいなと思うような華麗な動きと恋愛劇、感動物だ。それから「ダンサー…」の方は暗い映画だったが、これは必見だ。ミュージカルの好きな主人公は障害者で盲目になってしまう。その子も遺伝子の関係で盲目になってしまうのを防ごうと手術をする金を貯めるのだが、なんとその金を隣の人に盗まれてしまい、返して貰いにいくが盗んだ犯人は死んでしまい、主人公は刑務所へ、そして死刑になるという。なんとも遣り切れない話しである。ミュージカルの変な所(突然人が歌ったり踊ったりするシーン)は、この映画の中の、主人公達も変だよねと言うシーンがあるが、この歌ったり踊ったりのシーンは、普通?のミュージカルと比べると静かで、激しい動きもない。しかも主人公の想像の中という設定になっている。彼女はミュージカルの発表会のために練習もしていて、「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアの役を割り当てられている。途中で目が見えなくなってしまうし、牢屋にも入れられてしまうが、彼女の子供の手術の為に死刑になるという母親の愛情に、涙が出てしまった。あぁ、久しぶりに泣いた映画だった。それにしても金が稼げる映画というのは何故に、こんなにも面白くないのだろう。何故こんなに人気になるんだろう。不思議だ。

06/10(日)ばかやろーっ!
 今日テレビを見ていて思わず出てしまった言葉。日本対フランス。コンフィデレーションカップ決勝。もちろんサッカーです。ここまで来れたという事については、日本サッカーが随分上達した結果だと思う。だがパスミスやもっと動けよと思う気持ちがこういう言葉を出させてしまった。やっぱりフランスの動きは違う。世界一だけあった。それに比べ日本の動きを見ているとやっぱり今までのサッカーと変わらないなぁという気持ちが強く出てしまった。今回の失点は確かに少なかった。その為今までディフェンスの弱さが言われて来て、ディフェンスが良くなったようだという話しをテレビでしていたが、果たしてそれだけだろうか?私は今回のフランスの動きと日本の動きを見ていて、やはり日本の低レベルな動きが気になってしまった。帰ってしまった中田のパスミス(ここに走り込んでいるはずだから、走るはずのところへパスする)というのを見ても解る通り、ボールを持たない選手の動きや止まった相手へのパスが日本は目立つ。テレビで見るからそんな事が言えるといえば、勿論そうだが、彼らはプロである。パスのカバーや見方選手へのパスなんかは練習出来るんだから、もっと巧くなって欲しい。それに相手ボールの時の日本のバックスの動きのなんと単調なことか、オフサイドトラップばかりを狙って、相手のミスを利用する形式ばかりのような気さえする。もちろんオフサイドトラップは高度な技?だし、相手選手をよく見なければ成功はしないが、オフサイドを誘うなんていうのは私は邪道だと思っている。フランスの様に、もっと相手を良く見た動きを是非取り入れて欲しい。まるで小学生のサッカーの様にボールに群がっているじゃないですか。敵のいない所に動いて、もっと相手を掻き回して欲しい。サッカーがプロになって随分経つが、これは始めから余り変わっていない。こういうのって今の高校サッカーの方が巧い掻き回し方をしている位のものだ。来年のワールドカップもこのままじゃ上位に食い込めないかも知れないんじゃないかとさえ思う。今回ここまで来れたのはフロックだと思って頑張って欲しい。

06/02(土)メトロポリス
 今日久しぶりに映画館へ行って映画を見た。「メトロポリス」手塚治虫原作の映画である。テレビでも少しはCMをやったし、映画好きの人は観にいったかもしれないが、はっきりいって面白くなかった。ラストはちょっと感動的でいい年をして泣きそうになってしまったが、たぶん興行的には失敗だろう。玄人受けをする映画ではあったが、はっきりいって駄作だ。手塚アニメらしい作品になっているし、映像のCGとの合成も完璧で、色づかいも抑えていてまるでセピアカラーの哀愁漂う雰囲気で、なんか大正ロマンが漂っているようでさえあるし、ロボットのティマは可愛いし、音楽もすごく良かった。ストーリーだって一応のラインは超えていると思う。でもそれだけだ。たぶん10年位前なら大絶賛の作品だと思う。監督がりんたろうだったし、脚本は大友克洋だし、期待をし過ぎたせいかも知れない。何がいけなかったのかと思っても良く判らない。ヒゲおやじとケンイチ君とがロボット刑事と町を歩くシーンなんか、めちゃくちゃ凝っていて凄いの一言なんだけど、かと思えば雪が降っている場面で飛ぶヘリコプターのシーンでは、雪が風の影響を全然受けていないという手の抜き様も目だった。街中を飛ぶ飛行船や、部屋の窓一面に泳ぎ回る巨大な魚の映像、進んだ文明だという一面で見せる機械じかけの代表的な歯車の多用、建物が爆発する瞬間に爆発音の変わりに流れる音楽(これはタイトルは忘れたが何だったかの映画のパクリだ)昔の人が夢見た未来都市をそのままの形で表現し、それは昔の人の思い描く未来だからという説明のような音楽は、やはり現代には合っていないように思える。手塚さんが今生きていたら、はたしてこの作品を映画化しただろうかと考えると、ちょっと違うよといいそうな気もした。50年以上前の作品はやっぱり古いよ。この映画が失敗だと思うのは、そういう理由からかも知れない。この映画に1800円は高かった(久しぶりの映画の値段にびっくりした)でもまぁ、パチンコで損をするよりはいいか。パンフレットに載っていた可愛いティマの絵でも載せてしまおう。


05/27(日)昨日は運動会
 昨日は子供の運動会だった。知的障害者である彼は養護学校に通っており、しかも実は施設に入所した事もあって、今までの養護学校とは違う学校である。今までの学校は幼稚園から高校まで一環した教育(国立大学の付属でした)で生徒だけでなくPTAとは言わないが親達とも親交があって、学校全部が家族みたいな感じで運動会も結構盛り上がっていた。だが今回は市立の養護学校という事もあり、途中入学が多いせいもあるのだろう。今までの学校全部が家族という感じは少なく(これは途中入学だけの人の感覚かも知れない)ちょっと盛り上がりには欠けたかな?という運動会だった。
 もちろんどんな子でも、見ている人達は一生懸命声を張り上げて応援しているが、小中合同だけという事があるからかも知れない(今までは、幼稚園から高校まで全て合同だった)これは高校は義務教育ではないので合同ではない、という事らしい。養護学校というのは結局知的障害者が相手だから、自分の名前を書けない人もいるし、集中力がなくて一つの事をいつまでも出来ない人もいる。集団活動が苦手な人は運動会なんていう行事は苦痛かもしれない。だがそういう人達が社会に出るにも、結局は高卒でないとダメだという社会の非常識度が高校を作らせ、高校を卒業したという証のために、養護学校の高校があるというのが、現実のようだ。少し悲しい現実ではあるが、少しでも社会に適用できるような人になる努力をする期間が長くなるのは、その人にとって良い事なのだろうと思うしかない。
 まぁ、そんな事で昨日の運動会は疲れたし、久しぶりの太陽の下での活動?で、日に焼けた腕が痛い。しかしただ一種目の親だけの参加演目(綱引き)にはびっくりした。小学校から参加している親達は、みな軍手(ゴム付き)をしているのだ。気合が違う。私も来年は軍手を持って参加しよう。

05/22(火)HTML
 ホームページを作成するのに使用するHTMLなんだけど、勉強していない私は良く判らない。というのも会社ではまだそっちの方にはあまりタッチしていない所為もあるんだけど、勉強を始め様と思っている。ただ、今の契約サーバーがCGIを使用できないというのもあって、このHPも貰ったIBMのホームページビルダーで作成しているのが実情である。思い立ったのは必要性からだが、頼まれて管理している別件のHPをもう少し凝ったものにしたいという思いがあるからだ。そのHPを勉強のための道具にして色々なことをやってみようと思っている。壁紙作成や、アニメGIFの作成はもうやったが、あれはどちらかというと、力仕事である。もう少し頭を使って、一から作成するというのも楽しそうである。その合間に小説でも書ければ言うことはない。(なんか趣味に走ってるなぁ)

05/19(土)マンガ
 最近またサボって、このコーナーを続けていないが、まぁ気が向いた時にだけ書く事にしましょう。で、今日は漫画の話し。もうすぐ公開になる「メトロポリス」は面白そうだ。是非見たい映画である。手塚治虫原作で大友さんが脚本、監督がりんたろうとくれば、面白くないはずがない。予告編を見ていても絵も綺麗だし、主人公のロボットも可愛い。最近映画というと子供の影響かアニメばかりだが、今回の「ドラえもん」と「くれよんしんちゃん」は見れなかった。今まで毎回見ていたのにちょっと残念。(この年になってもマンガから抜けきれていない)流石に少年マンガ雑誌を買う事も無くなった(青年マンガ雑誌も大人向け?マンガ雑誌も読んでません)その所為で最近のマンガがどうなっているのかの動向が掴めなくなっている。だいたいテレビで見ているマンガというと、ちびまるこちゃんとかサザエさんこちカメの3連続の日曜の番組位であるから、最近のマンガとは言えないかも知れない。そういえば、こちカメの作者(秋元治)はデビュー当時は山止たつひこという名前であったが(山上たつひこのアシスタントだったのだ)始めの2週間位は山上たつひこが作風も絵の雰囲気も変えたのかと思ってしまった思いでがある。そういえばケーブルテレビでやっているマンガも結構見ているなぁ。「マスターキートン」とか「らんま1/2」とか…。乱馬といえば、高橋留美子は凄い作家だなぁと思う。結構昔から活躍しているが息が長い。売れっ子だ。彼女の作品が少女マンガ向けではないからかも知れない。立派なSF作家であると思うが、それ以上に漫画が書けるという利点を生かしているのが羨ましい。彼女の作品の登場人物は恋愛でのドタバタなんていうのが多いが、やっぱり女性だからだろうか。私には不得手な分野だ。久しぶりなんで全然まとまってない。今日はこのへんで。

05/11(金)カウンター
 今まで使っていた無料カウンターが機能しなくなってしまったので、思いきって変えてしまった。カウントは途中からだけど、まぁいいや大体あんなもんでしょう。最近頼まれて作ったHPのカウンターも機能していない。なんか可愛いのも探してやっぱりカウンターを設置しようと思う。なんせケーブルテレビのインターネットだからCGIが使えない。何時つないでも、いくらつないでも一定料金(といっても、凄く安い)で早いから使っているから、そういうちょっとした不便さはこの際大目にみてあげよう。もっともCGIを勝手に使わせないのには、勿論理由がある。下手な事を書かれたらシステムダウンは当たり前だから、更新する度にチェックが必要になり結局は更新が遅くなってしまう。そういうリスクを回避する事とその検査をする人員を削減する為には必要な処理であろう。なんて事をいっていても、やっぱり使いたいんだけどね。無料カウンターだけどデザインもいくつかあるようだし、気が向いたらそのうち又変更するかも知れない。

05/08(火)祝・一周年
 何と、HPを開設して一年が経過してしまった。よくもったものである。これを気にHPを一時閉鎖しようと思ったりもしたし、最近HPの更新が面倒でイヤになってきているのは確かだ。まぁそんなに見ている人もいるわけじゃないから、どうでもいいんだけど、勝手に開いて勝手な事を書いているんだから、一種のストレス解消ではあるし、まぁもうちょっと続けてみようかとも思う。Qさんとこの感想だけでも結構な人が来てくれるから、それだけでも少しはいいのかも知れない。考えてみると、キリ番小説なんぞといって、丁度の番号を踏んだ人には小説を書きますなんて事もやった記憶があるが、下手な私には無理なようであった。そういえばまだ書いてない人がいたっけ、ごめんなさい、そのうち登場させます。で、さっきカウンターを見たら、「3794」これは結構凄い数の様な気がする。もちろん一年でもっとカウントを伸ばす人だっているし、私が勤めている会社のHPの一日の10分の1位のカウントだから、たいした数じゃないとも言えるけど、リピーターというか、殆ど同じ様なメンバーだとは思うけど、結構来てくれてるんだと思うと、もう少し続けてみようと思ってしまう。そういえば三月さんは隠し部屋を見つけてくれたみたいだけど、あれってみんな知ってるんだろうなぁ。それとも他には誰も気付いていないんだろうか?ちょっと気になる。CGIが使えないケーブルテレビの回線を使ってる所為もあって、凝ったHPなんか作れないし、あんまり凝りたくもないけど、文章だけのHPというのはやっぱり寂しい気がするんで、もうちょっと何とかしようかなぁ、なんて思ったりもしています。まぁとにかくよく一年間も続けたものだと、自分に感心しています。

04/25(水)ホームページ更新
 何故か、HPの更新をしたくない。面倒になってきた。これはやっぱり私の性格だ。長続きしないんだから仕方が無い。と胸を張ってはいけないんだけど、面倒臭い。春だなぁと思う(何の関連もないけど)やたらと昼間は眠いし(今日は居眠りしちゃったぞ)仕事にも身が入らない(なんて事を書いてて会社の人が見たらどうしよう)頼まれていたHPの作成は一応済んで、更新を定期的にすればOKとなったので、一安心している。しかもHP作成で謝礼も貰ってしまったから頑張ってしまいました。なんでも昨年度の予算が余っていて、使い切らないと今年の予算が取り難いらしい。(いくらボランディア活動とはいえ、ある程度は国から補助して貰っているのです)HPを作成するという事で、作成料という名目で、予算をなんとか使いきったようだ。しかし壁紙を作ったり、GIFアニメーションを作ったりと結構時間が掛かった。可愛いとか流石プロなどと誉められてしまったが、やっぱり誉められれば嬉しいので、今日も少し手直しをしてしまった。なんと乗せられ易い性格だろう。

04/15(土)ハイペリオン

 今日「ハイペリオンの没落」を読み終わった。スゴイ小説だ。古典SF素材のオンパレードであり、色んな所の良いところを凝縮している。SF手法だけでなく、物語もラブストーリーあり活劇あり、人間の心の成長(当然葛藤もかかれている)までもがストーリーとして展開されていく、第一部の「ハイペリオン」では登場人物も少なく、物語を一人一人が語っていき、疑問だけが残る話だったが、今回の第2部ではその疑問が心地よく解決していく。日本で2作ともにしかも連続で「星雲賞」を受賞したのも頷ける。「SFが読みたい!2001年版」が選ぶ90年代ベストSF第1位は当たり前であろう。今回は、AI(今ではちょっと陳腐な気さえするが)との禅問答まで入っていて、物語の登場人物も第1部からぐっと広がり、第1部の登場人物達は全員死んでしまうのかとさえ思えた読み始めとは打って変わって、殆どの人達がラストで乾杯するという意外性も残しているし、段々若返っていき、生後何時間というような状態になってしまう女性さえもが、あっと驚く人物だったというどんでん返しには、嬉しくて感動さえするほど話にのめり込んでしまっている。この第2部の解説にもあったが、訳者の力もあるのだろう。何がそんなに面白いのかといわれると説明が出来ないが、解説をちょっと引用しよう。
 たしかにSFオタクの目からすれば、魂をゆさぶるような燃えるガジェット、燃える設定の山ではある。しかしそれがこれだけ過剰に詰め込まれてしまうと、コテコテというか古色蒼然というか、およそ野心的な現代SFらしくない。娯楽だけをめざすミリタリー系スペースオペラや、ディヴィッド・プリンの「知性化戦争」に代表されるような楽しい宇宙SF活劇ならいざ知らず、シリアスな現代SFでこういう舞台設定を採用することは無謀に近い。ふつうの読者からまともに相手にしてもらえる可能性が限りなく低くなるからだ。コードウェイナー・スミスの<<人間補完機構>>シリーズやサミュエル・ディレイニーの「エンパイア・スター」のような例外はいくつかあるものの、それらは寓話的な語りや強烈な作家性、メタフィクション的な構成によって、「ただのSF」であることを回避しているものが大部分を占める。しかしダン・シモンズは、そういう姑息な手段を使わない。偏執狂的な情熱で過去のB級SF群を大量にとりこみ、圧倒的な技術力でそれを消化し、A級の文学作品に変貌させる。愚直と言ってもいいほどの正攻法。しかも驚くべきことに、表面上は「異様に密度の濃いただのSF」として読むことができるのである。(中略)そのかわりシモンズは、自分が読んできた過去のSF作品を集大成する容れ物としてジョン・キーツの物語詩「ハイペリオン」を選び出し、細心の注意をもって完璧な設計図を描き、それに基づいて天下無敵のSF大伽藍を建築した。だれにも真似のできない独創的で新しいSFを書くという野心をきれいさっぱり捨てることで、結果的にだれにも真似のできない独創的で新しいSFが誕生したわけだ。
 とこんな感じです。とにかく面白い。是非これは読んで欲しい作品です。
 で、私はジョン・キーツの「ハイペリオン」は勿論?読んではいないが、この解説での色々な話をごった煮にする際の注意事項が気になった。奇想天外な話が大好きな私は、そういう話をよく書いたりしているが、そういう話を無理に考える必要はないんだという事だ。今までの話のごった煮でいいじゃないか、容れ物さえしっかりしていてプロットと書きこみがちゃんとしていれば、面白い作品になるんだ。という勝手な解釈だけど、そういう考え方もいいなぁ。なんて思ってしまいました。

04/09(月)ホームページ

 やっと自分のホームページの整理をしようと思っていた矢先に、ホームページの作成を頼まれてしまった。ボランティアの募集用も兼ねた障害者を持つ親の会のホームページである。家でも参加しているグループではあるし、女房は理事にまでなっているから仕方がない。出来るだけ可愛くなんていう注文には参ってしまうが、趣味の様相を呈してはいるが中々楽しく作成している。出来あがったら紹介します。この前の土曜日に、以前から考えていた隠し部屋に桜の写真を載せようと思っていたんだけど、出張から帰ってきたら流石にもう葉桜になってしまっていて、とても掲載は出来ない。その桜は家から自転車で10分位掛かるんだけど、1本だけ立派に立っている桜で、幹の直径も80cm位はある大きな桜の木なんです。以前その木の隣にある会社に派遣で行っていたことがあって、あまりの見事さに感激していました。是非みんなには見てもらいたいから、来年こそは写真を取ってHPに載せ様と画策しています。子供も今年やっと中学生という年齢になってしまったけど、未だに字も読めないという境遇は変わっていませんが、彼は彼なりに頑張っていますから、暖かく見守っていくしかないと思っています。彼は施設に入ってしまっていますから、家に戻ってくるのは月2回程なんですが、結局春休みは私の仕事の都合で一度も会えずじまいでした。親としては悲しいですが、彼はあまり気にしていないようなので、少しはほっとしています。まぁ、入学式には出席出来たから良しとしましょう。

04/05(木)出張

 やっと帰ってきました。今回の出張は長かった。途中で一度家に帰る予定でいたのが、仕事上のトラブルが発生し、結局その対応で帰ってこれませんでした。こういう出張で一番困るのが、宿の手配と着替え(勿論金の問題もある)宿はビジネスホテルなので、電話一発で空いていればOKですが、今回は事前の調査では予約が一杯で心配でしたが、偶然キャンセルがあって空いていて助かりました。今回は始めてインターネットで予約したホテルでした。というのも調べるとインターネット予約の方が、通常予約よりも一割安いんです。いくらかでも安くしないと日当もあまり出ない会社ですから、出張貧乏になってしまうのでちょっと心配でしたが、ホテル側では、通常予約であるのに一割引きで受けつけてくれました。(やったネ)今回のホテルは3年前に出来たばかりというだけあって綺麗でしたし、ベッドやお風呂も大きくて快適でした。ウォシュレット付きのトイレまで完備(笑)
 着替えの量はそんなに持って行けないので、ワイシャツは当然毎日換えますから、ホテルでクリーニングに出します。でも困るのが下着です。といっても出張慣れしている私は、出張時にはいつも持っていっている洗剤(粉)で間に合わせてしまいます。お風呂に入る時に下着も洗ってしまいます。ハンカチなどは充分に絞れば翌朝には乾いていますが、下着はちょっと難しいんですよね。乾燥機も部屋にありませんから、私は必殺技を使って乾かします。今回はその技を書きましょう。といっても随分前に出張慣れしている人に聞いた方法です。
1.洗濯が終わった下着を十分絞って、水分を取ります。
2.バスタオルに下着を綺麗に並べて、ロールパンのごとく端から巻いていきます。
3.バスタオルを充分に捻って、下着についている水分をバスタオルに吸収させます。
これで、下着をその変にかけておけば、翌朝にはしっかり乾いています。でもこの方法だと、自分の身体を拭くタオルが無くなってしまうので、出来ればバスタオルが2枚は欲しいですね。昔は洗濯物を干すロープなんかも持っていったんですが、最近はそうでも無くなりました。イスの背中にかけておいたりしています。ホテルによっては、風呂場にロープが付いているところもありますが、洗濯ロープは梱包用の紐でも構いませんので、ちょっと長めに持っていって、ドアや絵画の掛かっている釘?などを見つけてロープ(紐)を架けて干すのもいいでしょう。是非お験しあれ。

03/01(木)要介護5

 今朝のニュースで、ギンさんが亡くなったというニュースをやっていた。108歳という年齢で老衰だから大往生なのだろう。タイトルは、ニュースに出ていたギンさんの介護のレベルだが、5は一番高い。会話は出来るし食事も一人で出来る。寝たきりではない。などの状況から考えれば、介護5のレベルはいくらなんでも高すぎる。完全に国民のアイドル的存在である事と年齢からきた設定だろう。これが果して良い事なのかどうかは判らないが、正しい設定だとはどうしても思えない。本人が希望したとは思えないから、廻りの人が勝手にやった事だと思われるが、こういう高レベルに設定された有名人などがいるから、余計に介護や障害レベル判定の不適切さが問われてしまうような気がする。世の中にはどう見てもレベル設定が低すぎる障害者などが多いのを見ると、ちょっと残念だ。ちなみに要支援と要介護とのレベルを下記に記すが、これによって月辺りの保険金額の上限が決まってくる。
 要支援  日常生活は自力でできるが、家事や身の回りのことに一部支援が必要
      支給限度額 月額 61,500円
 要介護1 歩行がふらつくなど、日常の動作が不安定で生活の一部に介助が必要
      支給限度額 月額 165,800円
 要介護2 歩行が自力で行えないことが多いなど日常の動作が低下し、介助が増える
      支給限度額 月額 194,800円
 要介護3 歩行が自力でできず、排せつの後始末や入浴に常時介助が必要
      支給限度額 月額 267,500円
 要介護4 日常生活能力が相当低下し、生活全般に全面的介護が必要。尿意もなくなる場合が多い
      支給限度額 月額 306,00円
 要介護5 日常生活能力が極度に低下し、生活全般に全面的介護が必要。意思の伝達もできない場合が多い。
      支給限度額 月額 358,300円
 要介護5等は358,300円だから、下手をすると若手のサラリーマンの月収より多かったりする。勿論これは国が負担する訳でその金は国民が支払っているのだが、この金はどこに流れていくかというと、殆どが介護をしている企業へと流れる。例えば病院への送り迎えが片道5000円+実費なんて具合に決まっているから、結構高い金額が企業に支払われるわけだ。これだからこそ、介護関係の企業は増えてきているのだが、介護に携わる方達の程度(能力といってもいい)は充分に上げて欲しいと思ってしまう。仕事でやっている人達は、完全に仕事と割り切っているだろうし、ここまでしかやらなくていいという会社の規定があるから、語弊があるかも知れないが「楽」であるように感じる。難しい介護はうちの会社では出来ませんといって、断れるからだ。
 その点、ボランティアさんの様に仕事ではなく介護を必要とする人達への思いから行動されている人に会うと、ありがとうございますという言葉しか出てこない。こういう人達を増やす努力や援助を国はどう考えているのだろうか?あぁ、久しぶりに堅い話になってしまった。

02/27(火)久しぶりの投稿

 2ヶ月ぶりにQ書房に作品を投稿した。1000字と3000字の両方である。おっとそういえば挿し絵バトルにも参加してしまったんだった(笑)ちょっと恥ずかしい。絵の方は完璧に参加してみたいという思いしかないし、ちょっと参加人数が少ないからという気持ちからの参加だから、元ネタの小説を投稿して下さった一之江さんには申し訳ないような絵だ。(ごめんなさいねと今から謝ってしまおう)せっかく水彩画を書くソフトが手に入ったのに、結局使わなかった。というよりは難し過ぎて使いこなせなかった。次回は頑張ろう(ってまた参加するのかよ。おい)
 ところで小説だけれども、久しぶりという事もあってか中々書けなかった。3000字の方はそうでもなかったんだけど、1000字の方はSFのつもりで書き始めたのが2000字を超えてしまって、随分削ってしまったから、始めの話とはガラっと変わってしまった。まぁそれはそれでいいんだけど、やっぱり1000字は短くて難しい。今までいろんな事をやろうと思ってきたし、推理小説にもチャレンジなんて無謀なこともやったけど、どちらかというと話の奇抜さや思いもかけない展開を狙っている私としては、1000字での展開には無理があるようだ。しかもどちらかというとお笑い系に近くなってきている最近の作品とは、今回はまた違った雰囲気になってしまった。まぁ、投稿してしまった後でいい訳をいっても仕方がないんだけど、果たしてどんな評価が得られるか、感想が楽しみだ。皆さん感想よろしくね。

02/14(水)「赤い疑惑」と「ラストコンサート」

 本当に久しぶりの落書きです。
前からの続きならば、本当は「SFのお」を書かなければいけないんですが、SFシリーズは別のところでやろうと決めたので、ここでは無しにします。今日はバレンタインデーという事で、私の悲しいバレンタインの思い出でもとは思いましたが、態々恥ずかしい思い出を披露することもないので、テレビの話題を少し。
 ケーブルテレビに加入している我が家では、女房殿の要請で、昨日が最終回だった山口百恵主演の「赤い疑惑」というのを見ておりました。25年程前のテレビドラマですから、覚えている人も少ないとは思いますが、これでもかこれでもかという百恵ちゃんの可哀想な境遇が毎週ファンを釘付けにしていたであろう様子が伺えました。で、今日は私がやはり25年程前に見た映画「ラストコンサート」というのを、CSN1という、やはりケーブルテレビで、やっておりました。流石にこれは帰りの遅い私はちょっとだけ(ラスト近くだけ)見たんですが、懐かしい音楽が流れてきて、そういえば感動物だったなぁ。なんて当時を思い浮かべておりました。(なんと映画を見てそのレコードを買ったのはこれが初めてという気にいった曲がテーマソング?だったのですよ。今でもその曲は覚えています)で、この二つの作品なんですが、どちらも主演女優は白血病におかされていて最期には死んでしまいます。「赤い…」は主人公の父親が医者というのもあり、手術が沢山行われますが、脊髄移植とか脳腫瘍の切除・放射線治療による腫瘍のなんたらかんたら…。はっきりいって、これはドラマの世界の話ですよねぇ。現実問題としてそういう手術を一度でもするとなったら、家一軒手放す位の金が掛かります。これだけ手術を頻繁にやれる程金持ちの人はそうざらにはいないでしょう。そういう意味ではこのドラマでの安易な手術はちょっと閉口して見ておりました。まぁこれも当時は見ておりませんでしたが、その頃見ていた場合でもそんなに気にはならなかった事なんでしょう。
 映画の「ラストコンサート」の方が知名度が少ないと思うんですが、壁にぶち当たって悩んでいる中年のピアニストを、白血病の少女が元気付け、コンサートを開かせるという様な話だったと思いましたが(ラスト近くしか見てないんで覚えていない)コンサートの晴れ舞台の幕の裏から聞いている主人公が途中で息を引き取ってしまうという、なんとも悲しい話でした。
 天使の様に可憐で美しい少女が死んでしまうという安易な設定を悪いとは思いませんし、泣かせる為のシュチエーションとして選ぶというのは、セオリーなんでしょう。でも話を紡ぎ出すという行為の中ではどうなんだろうか?という事が気になってしまいました。愛する人が死んでしまうという、そういう当たり前の事を淡々と切々と書くという事を苦手とする私としては、どうやって悲しい気持ちを表すんだろうか?愛する者を失うという悲しさを読んだ人に理解してもらうのに、死という事以外にも表現する事が出来るんじゃないだろうか?
 臍曲がりな私は、どうしても正面切って悲しいんだなんて事は書きたくないんですよね。笑いの中に悲しさを表現するのもいいだろうし、怒りを持って悲しさを表現するのだって構わない。色んな方法を試して見たいなぁ、なんて思うのでした。(まとまっていないけど今日はお終い)