2009年9月

第2825号 2009年9月9日号


池袋の発展とともに
 池袋四面塔尊信仰
 地元奉賛会が法要


 古くから池袋の安泰と発展に厚い信仰を集める池袋東口駅前公園の一角にある池袋四面塔尊で9月2日午後1時半から地域の安全祈願をかねた法要が行われた。

 奉賛会の服部洋司会長はじめ池袋東口美観商店会の西武、ISP、パルコ、東京信用金庫、巣鴨信用金庫等関係者多数が集まり、雑司が谷・法明寺の近江正典住職のもと、厳かに法要が営まれた。法要後、近江住職から「長い箸」の話を引用した「我欲が先走る世の中だからこそ利他の気持ちで地域・社会に尽くすことが大切」との法話があり、一同気持ちを新たに散会した。

【池袋四面塔尊の由来】
今から約二百八十年前の享保の頃(徳川幕府八代将軍吉宗の頃)高田雑司ケ谷と板橋を結ぶ街道と礫川と東長崎を結ぶ街道付近(現在の西武線池袋駅東口)は、夕方になると追いはぎや辻斬が出没し、夜はその難を逃れる為、通行する人が途絶えた。享保六年の夏、一晩で一七名の辻斬残骸があり、この不祥事を憂いて、池袋村民有志六十四人が雑司ケ谷鬼子女神威光山法明寺第二十二世日相上人に供養をお願いし、享保六年九月、法華経のお題目を刻した石塔を建立して無縁仏の霊を供養した。正面にはお題目、右側面には北方板ばしみち、左側面には、南方高田雑司ケ谷道が記され、道標としても使われた。この塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消された。(平成十二年九月吉日池袋四面塔尊奉賛会)

 四面塔は、供養塔、祟り塔、三宮魔方陣の3つの顔を持っている。

 明治時代になり池袋周辺は近代化の開発の波が襲い、東武鉄道と西武鉄道の開業により四面塔が在った場所は区画整理を受けて塔は駅前に強制移動された。移動に関った作業員が相次いで事故死したため、毎年四面塔を秦じる祭が在ったが、太平洋戦争の勃発により祭は中断し周辺は空襲や戦後混乱で荒廃。戦後混乱も終息し再び駅周辺は開発が始まり、1955年(昭和30年)駅前に丸物デパートの建設により、駅前から現在の土地にまた強制移動された。丸物デパートの建設中事故が頻発した為、デパート関係者は地元の有志と協力して四面塔を新装し、祟りの終息を祈願した。しかしその後、デパートは完成したものの丸物デパートは潰れた。人々は「塔を動かしたから」と噂した。現在でも池袋パルコでは月一のお参りを欠かさないでいる。

【池袋四面塔尊奉賛会】
名誉会長=宮田和昌、会長=服部洋司、世話人=大熊良幸、津島徳男、石井浄丈、清水泰子、菅澤省吾


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