創業の精神で更なる飛躍 リビエラ東京 60周年感謝の集い
池袋西口・立教通りのリビエラ東京(旧白雲閣)は5月20日夜、創業60周年の感謝の集いを開催、地元はじめとするリビエラ・ファン約100人が出席して節目を祝った。
この日あいさつに立ったリビエラ東京の副社長・渡邊藤郎氏は「リビエラ東京は地元とともに飛躍させていただいてきました。創業の精神を忘れず、長年白雲閣をご利用いただき、それが今日の基礎となったことを、全社員が決して忘れないように精進することを誓います。そしてこの豊島区、池袋がますます発展し、明るい街づくりに少しでも貢献できますよう尽くしてゆきます」と述べた。
出席者を代表して先代の菩提寺である護国寺の岡本永司貫首、高野区長、渡辺東商豊島支部会長がお祝いの言葉、地元の立教通り商店会の三原会長の乾杯で宴に。リビエラ自慢の料理のもてなしに楽しい歓談のひと時が続いた。
リビエラ東京は、昭和25年に福島県棚倉出身の堀江浅蔵・マチ夫妻によって小さいながらの料亭「白雲閣」としてスタート。この先代の堀江氏は昭和4年から池袋4丁目で福島屋という炭の燃料店を営んでいた。ガス、電気が貴重な時代、仕事も順調に進み、昭和15年ごろには五指に入る卸業者として地盤を築いたが、昭和25年、180度の発想の転換で料亭経営に乗り出した。
60年前の池袋西口はまだ畑があり、野菜が青々としていた。当時は料亭旅館だったため近隣の福島、栃木などの修学旅行生が利用していたという。
昭和35年オリンピックに伴う景気により当時の国鉄から無償提供の埋立地計画があり、一大決心をして湯河原に3万坪のリゾート造成計画を立てた。しかし伊勢湾台風を始め度重なる大型台風に見舞われ、資金面でも大ピンチのときもあったが、負けん気と実行力、努力でこの苦難を乗り越えてきた。現在の社長は先代の次女と結婚され、白雲閣時代から副社長だった。
リビエラグループは7年前に神奈川県逗子マリーナにシーサイドリビエラを開業、3年前から南青山の本社ビルにレストラン・ウェディング・リビエラをオープン。年間、池袋1250組、逗子800組、青山250組の婚礼が行われている。
また、今年2月のPAGノーザントラストではゴルフ界のプリンス・石川遼選手も出場して注目を集め、10年前には大リーガーのイチロー選手の結婚披露宴の会場となり一躍有名になった米国ロスのリビエラ・カントリー・クラブを所有している。
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