メニューイン(1916-1999)は7歳で神童ヴァイオリニストとしてデビュー。強靱な技巧と輝かしい音色、高度な芸術性を兼ねそろえ、戦前は10代にして大ヴァイオリニストと認められる。戦後は戦中の500回を超える慰問公演、離婚、ナチの収容所の惨状を見たことによるショック等によりスランプに陥り、演奏の出来不出来が激しくなる。1950年代後半以降は脊椎の手術の影響のためかボーイングが衰え始める。そのためこの時期以降は音色の線が細くなるが、好調時の音色にはある種の輝きがあり、かえって戦前よりも個性的な美しさを持っている。演奏面では、好調時は独特の澄んだ音色とあいまって宗教的な神々しさを感じさせる。一方、人間味あふれ温かみのある、「優しさ」を感じさせる演奏をすることもある。ただ、ボーイングの衰えのため好調時の録音でも聴きづらさを感じさせることがある。1960年代から1970年代にかけて、レパートリーが拡大し、指揮活動、音楽祭の主催、音楽学校の設立、平和運動などヴァイオリン以外での活躍も目立つようになる。この時期の録音はほとんど音色面で魅力を欠き、もちろん優れた演奏もあるが、低調な演奏の方が多くなっている。しかし、1980年頃以降は演奏にいっそう深みを増し、ヨガの成果のためかボーイングに問題がなくなり、技巧・音色も安定し、出来不出来も少なくなる。晩年はヴァイオリンは引退し、指揮活動に専念していたが1999年3月ドイツで死去。
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3.は準備中です。3.では戦前・戦中の録音はほとんどCD化されているので復刻盤CDを紹介していく予定です。
4.から6.は未CD化・廃盤のものも含んだ主な録音を列挙して私の評価と簡単なコメントを付けたものです。評価は★の数で示します。☆は★の半分の意味で、最高は★★★★★です。6.は準備中です。
7.では1942年から始め、亡くなる直前まで続けていた指揮について述べる予定です。
8.はメニューイン来日公演のパンフレット・プログラム・チケットです。
9.は作曲家別のディスコグラフィです。はじめに前述のマギドフによるメニューインの伝記の巻末にある、1954年までの録音年月日順のディスコグラフィを参照し、作曲家別に並べ替え、それ以外のデータも追加するという形で作り始めました。さらにジェームズ・クレイトンの『ディスコペディア・オブ・ザ・ヴァイオリン』やStrad誌1998年9月号掲載のJean-Michel Molkhou氏によるディスコグラフィも参照しました。詳しい録音年月日、マトリックス、レコード番号などは順次追加していきます。
Oは管弦楽団、SOは交響楽団、POはフィルハーモニー管弦楽団、COは室内管弦楽団、Lはライヴ録音、Rは放送録音、Tはテレビ録音(録画)、灰色のレーベル名は廃盤を意味します。録音年は一部2000年問題未対応で19を省略しています。
English Pageとはこのページのことです。日本より海外の方がメニューインのファンが多いことと、メニューインのディスコグラフィのページは海外にもないようなのでこうしたのですが、英語力がないために単に日本語が書いてないだけのページになってしまいました。
指揮者メニューインのディスコグラフィを新設しました。ヴァイオリン協奏曲の弾き振りは省略しています。未CD化の録音の多くが欠落しています。
10.はメニューインのコンサートの一覧です。分かっているデータのみで不完全です。
11.はメニューインの著作集です。石川様から色々と情報をいただきました。