August 25, 2003

Is it a crime?

2003年の日テレ24時間テレビでの「でっかい宇宙に愛がある」を見た。いつ見ても聴いてもすばらしいこの曲の最後の方で、他の参加者に紛れてごっちんが手拍子をしながらこの曲を口ずさんでいるカットが一瞬流れた。ボクの気のせいだろうか、ごっちんは娘。たちと一緒に「でっかい宇宙~」を歌いたくて仕方ないように見えたんだ。

今までボクは結局事務所の決めたことに従うしかなかった。裕ちゃんが卒業する時、ごっちんや圭ちゃんが卒業する時、そしてタンポポが再編される時、ボクはそれが納得できなくても何もすることができずにただ嗚咽するだけだった。タンポポの時の黄色いサイリウムは、カヲリや真里っぺたちを感涙させることはできたかもしれないけれど、あれは結局、抗うことのできない運命を受け入れたというボクらの敗北表明にすぎなかったと思う。

「でっかい宇宙~」を歌いたくて仕方ないように見えたごっちんがボクはとても切なかった。ごっちんの卒業の時は何一つ意思表示できなかったボクだけれど、同様のことが来年の24時間テレビで、今度はなっちが部外者として手拍子をするだけなのかと考えるとやっぱりいっそう切なくなる。

このリンク集が酔狂だとか、あるいはナンセンスだと思う人がいてもボクは全く気にしない。僕等は負けるとわかっている戦をしようとしているのかもしれない。僕等がいくら「なっちやめないで!」と叫んだところで、来春きっとなっちはモーニング娘。から離れるのだろう。そんなことはわかっている。だが僕等はたかがモーヲタに過ぎない。物わかりのよい大人である必要はない。

他の賛同者はどう思っているのかボクにはよくわからないけれど、少なくともボクはこのリンク集が何らかの力を持って、なっちの卒業を阻止できるであろうということに期待はしていない。いや、もちろん期待はしているのだけれど、まずそれよりも自分の気持ちに正直でありたいと思っただけだ。なっちが娘。からいなくなることを運命と諦めるのも一つの考え方だろうけれど、それに抗うのも一つの考え方だと思う。

これはすごくシンプルな話だと思う。ボクはなっちの卒業を代々木体育館で聞いた。そしてボクはなっちにモーニング娘。を止めてほしくないと思った。それだけのことだ。それだけのことをボクは表明したいと思っただけだ。そもそもボクは、ごっちんやなっちが卒業しなければならないシステムというのがさっぱりよくわからないだけだ。ごっちんやなっちはソロでデビューするがよい。そのことに反対するファンなんてきっとボクを含めて誰一人もいないだろう。要はオーガナイズの問題でしかない。娘。本体のツアースケジュールにもっと余裕を持たせて、その合間にごっちんやなっちのソロツアーを組めば良いだけではないか。

「恋レボ」であるいは「ザ☆ピ~ス!」で、ボクらはごっちんのいないバージョンに甘んじている。だけれども、ごっちんの喪失感が他のメンバーによって埋まったわけではないことをきっとみんな気づいているはずだ。そしてなっちもいなくなった後の多くの娘。ナンバーはどうなるのだろう? ボクはそれこそがナンセンスだと思う。娘。ナンバーの残滓。脱け殻…。

ボクは断固そうならないことを望む。

tell me, is it a crime?(てへっ)

Posted by やすなお at 11:55 PM

August 21, 2003

モーニング娘。は現実そのものだ。

モーニング娘。は現実そのものだ。

オレにとって、現実とは暴力そのものだ。
そしてオレはもうずっと、倦怠と諦観から抜け出せずにいる。



世の中滅入るようなことばっかりでいやになりますね。
電車の中でアホ面ぶらさげてヘラヘラしてるガキを
見かけるたびに、ご自慢のウルフカット(メッシュ入り)を
チョン切ってやりたい衝動に駆られるくらい
煮詰まってるわけですよ、オレは。

そんなルサンチマン(ぼくのかんがえたちょう人)を
抱えつつも、目の前には片付けなければならない仕事の山。
好きだ嫌いだ、向いてるだの向いてねえだの悠長なこと言って
許される身分でもなく、ただただ机に向かう毎日です。
そうやって来る日も来る日もモニタを見つめてるうちに
鬱積してくるものも当然あるわけです。
すっかり農場で働くニガー気分。だけど僕にはピアノがない。
悲しみをブルーズに昇華できるような詩才にも乏しいのです。
だがしかし。この倦怠が骨の随まで沁み通ろうとも、
欲望直結思考の人間(しかも本人は自覚してないから
余計にタチが悪い)に心底ウンザリさせられる毎日だとしても。
卑に堕してしまったら、それこそが本当の終わりなんじゃないか、
とオレは思うわけです。

そこでまあ、モーニング娘。の存在が、名も無い花を
踏みつけられない男でありたい、という気持ちを
持ち続けるための、最後の防波堤になってるんじゃないか。
自分の身に照らし合わせるとそう思えるんですよ。
……話が飛躍しすぎてますか。なぜそこで娘。が出てくるか
わからない? このへんの話は突き詰めると長くなりそうなのでまた今度。
いま書かなきゃいけないのはそんなことじゃないんですよ!



自分自身が交換可能なパーツに過ぎないってことはわかってるし、
それについて今さら不平を言うほど青臭くもない。
「まあ、そういうもんだよなぁ」と思いつつ、
交換されては大変なのでなんとか壊れないように心がけてます。

現実は理不尽で、納得できるわかりやすい理由なんて
与えてはくれない。そして時に、力づくで大切なものを奪い去っていく。
そんな現実の前で、個人の思いなんてものはまったく何の
価値もない。そしてオレは気がついたら「まあ、そんなもんだ」と
思うようになってしまった。抜け出せない倦怠と諦観に
深く落ち込んでしまったままだ。

でも、なっちは違うだろう。
組織が個人に優越する、それが避けようもないことは嫌ってほど
わかってるよ。抵抗する気も失せるくらい叩き込まれたから。
でも、だからこそ、彼女たちが同じような現実に支配されるのが
ひどく耐え難いんだ。「晴れてモーニング娘。を卒業する」? 冗談言うな。
あんたら散々「安倍はモーニング娘。のマザーシップ」って言ってきたじゃないか。
そんななっちが取替え可能な存在であっていいわけがないじゃないか。

個人は組織の駒に過ぎないということ、モーニング娘。でさえ、
現実の枠組からは逃れようがないということ。
1年前、オレはその事実を思い知らされた。
だけれども、何もできなかった。できるとも思わなかった。
ただ、大切な人が遠くへ行ってしまうのを呆然と眺めていただけだ。

今回の件について、他の人がどう考えているのかはオレには
わからない。ただ、自分の感じていることがどうも一般的じゃ
ないことだけは薄々気づいてる。みんな、モーニング娘。との
関わり方がオレなんかよりずっと大人なんだろう。

でも、自分にとっての最後の避難所のような場所を、
これ以上現実の論理に荒らされるのはごめんだ。
腹を括った上で足掻くことしかできないんであれば、
精一杯足掻いてみようと、オレは自分に言い聞かせることにした。



この冗長な文章を最後まで読んでくださったあなたに大きな感謝を。
そしてもしあなたが、現状に違和感を感じ、自分の意見を自由に述べる場を
持っていないのならば、どうかこの場を利用していただければと思います。

Posted by M・ゴッチング at 01:19 AM

August 19, 2003

オレたちの気持ち。

オレはモーニング娘。ファンである。ヲタといったり、ファンといったり
言い方は色々あるかも知れないが、とにかくモーニング娘。が好きで×5なんだ。
その気持ち、好きだって気持ちは、メンバーとオレに違いはないと思っている。

圭ちゃんが脱退するときもそうだった。オレたちは加護ちゃんにその十字架を
背負わせた。本当だったらオレたちが背負わなければならない十字架を、あの小さな
身体に背負わせた。
まりっぺは毎回のように苦しんでいる。「やめないで!」「やだ!」
彼女達が会社の意向を無視して「やめてほしくない」って気持ちを、番組やファンの前で
言うことは大変な労力がいるはず。それでも加護ちゃんは「やめないでほしい」
と言い、まりっぺは「いやだよ!」と言ったんだ。


「卒業」だったら、おめでとう!、オレもそう言える。
でも、モーニング娘。は卒業するものじゃない。
モーニング娘。は養成所なのか?一人前になるまで鍛える場所なのか。
だったらカヲリやまりっぺは半人前なんだろうか。ソロから入ったミキティも
ソロでは通用しないからモーニング娘。に入ったのか。 そうじゃない!

考えてみれば「卒業」と言ってるのは、UFAとメディアだけじゃなかったのか。
使いやすい表現だから使っているだけだ。
購買層がなんやらかんやら、その他のビジネスの都合でうんぬんかんぬん。
なのでなっちにはモーニング娘。から移動になりました。ってことを
「卒業」って言い換えてる。卒業と言えば無条件で「おめでとう」になるからだ。
完全に思考停止だ。いや、思考停止していることすら気付いてない。

きっとメンバー達はそれが卒業だなんて思っていない。
もしそうなら残された娘。たちはなんなんだ。
娘。達に向かって、君は「卒業」まではまだまだだね。なんて言えるか。


永遠に続くなんて思っちゃいない。でも、そう急がなくたっていいじゃないか。
悲しみで涙する娘。を見るのはもういやです。



そんな気持ちからこの同盟に参加しています。
読んでくれているみなさんの中で、自分もそう思うって人がいたら、
参加してみてはどうでしょう。

Posted by あいのロック at 08:14 PM

August 18, 2003

友人の信念と僕の信念

ある友人と、このリンク(署名)集のことで話しあった。
彼はこのリンク集について、怒り、呆れているようだった。

彼の言う内容には、ちゃんと筋道が通っていた。

なぜ、言いたい事があるなら一人でやらないのか?
なっちが辞めなかったら、本当にそれで満足なのか?
あなた達がなっち以上に萌えてるメンバーが脱退する時、あなた達は
ずっとそのような運動を繰り返すつもりなのか?
ネガティブな方向へみんなを誘っても、何も解決はしないのではないか?
はっきりしたことが何一つ分かっていないのに事務所が全て悪いと言う
考えは、ただ仮想敵を自分で作っているだけではないのか?

自分たちがやっていることが及ぼす影響を全て考えた上で行動しているのか?
あなた達は過去の娘。達のかたちにこだわるあまり、今の娘。達の良い所を
見逃しているのではないか……?



僕は他者のマイナスな感情に対して、異常なほどの脅えを持っている。
頭に血が上り、身体が震え、会話のリズムについていけず、何から最初に
考えたら良いのか分からなくなる。だから、いつも以上に支離滅裂なこと
を書いてしまうかも知れない。でも、今ここで書いてしまわないと、僕は
きっとまた何も書けなくなる。だから、書く。

「ここで書いてしまわないと」と言うのは、もしかしたら彼に対する一つ
の答えになるかも知れない。僕は、圭ちゃんの時にも書こうと思って結局
書けなかった。感じたことのほぼ全ては、いつかは煩雑さと怠惰の間に埋もれてしまう。
僕は、今回だけはそれをどうしても避けたかった。普段、加護ちゃん、
よっすぃーばっかり連発している男がこんなことを言っても何も信じて
もらえないかも知れない。それに、自分でさえどうしてこういう気持ち
になるのかがわからない。感情的なレベルでしか、それを説明できないのだ。

「なっちが娘。なんだ」と感じていることの根拠を、僕は言葉で説明することができない。

僕はそのことについて、そのことを自分のフィールド外で、他者が集まる
場所で、もう一度確かめてみたかった。「なっちにやめて欲しくない」と
言うはっきりとした共通点の上で、他者の意見が聞きたかった。
これが、僕がリンク集に入った理由の一つ。

これはあやっぺの頃から思っていることなのだけど、脱退に対してなぜネガティブな
反応というものがあまり見受けられないのか…?ずっと不思議だった。
これは嘲笑されるべき言葉なのだろうけど、僕は僕のあるべき世界(=妄想)として、
みんなにそれを、もっと拒否して欲しかった。幼稚な感情を剥き出しにして欲しかった。

シンプルに、その声を、姿を奪われたことに対する悲しみを吐き出して欲しかった。

僕は、あった「事件」に対する感情をまず吐き出しきってしまわないと、その「事件」
について考える事もできないし、話し合うこともできない。僕は娘。について論理的
に考える事ができないのだ。感情的なレベルにおいてしか、それを考えることができない。

僕はアイドルとはアイドルのファンと言うのは究極的にはそういうものだと思っているし、
娘。達がいくら特殊だとは言え、そのフィールドから逃れられることはできないと思う。
そこに「萌え」が発生し、それに惹かれている以上、僕は感情的にならざるを得ない。

僕は、凡庸勝手極まりない消費者だ。そして、凡庸極まりない消費者を悲しませない
ような運営をするのが事務所の仕事だと思う。もしその「萌え」を否定するなら、
生写真を売る必要も無いし、そう言った気のある素振りは止めて欲しい。

そして、僕はこの事務所が、そういうファンの心情を理解しているものだとは
どうしても思えない。もし本当に理解してやっているのだとしたら、鬼だと思う。



「それ」は既に制度化され、一部の(どの位の人数がいるのか僕には分からない)
ファンはそれに慣れきって、祭りとしてさえ捉えているような気がする。それを
肌身に感じたのは僕自身、本当に萌えていた圭ちゃんの脱退だった。

「卒業」ってなんなんだ。娘。って言うのは卒業するものなのか。
そして、それはめでたいことなのか。みんな、本当にそういう風に感じているのか。
もしかしたら、この無意味な卒業はまた無意味なスパンで繰り返されるのではないか。
それは、みんなの望む事なのか。みんながモーニング娘。に求めていることは、
ポップ・グループとしての、表現としての熟成なのか。常に入れ替わるポップ・
グループとしての新しいかたちなのか。

僕は、どうしても。
どうしてもそのようには考えられない。

僕は幼稚園児のようになっち先生に「今までみたいに、みんなと一緒の幸せな姿を
見せてください」と、ねだることしかできない。今までの事務所サイドによる脱退
が、何のプラスになったのか僕には全く分からない。

少なくとも事実を言うならば、僕のバイト仲間や友達や、娘。達と関係無い人々は
一様にメンバーの増減に対して「なんだかなぁ…」と思っているようだ。僕はむし
ろ、そういう人達との方が感情を共有できたりする(僕が素晴らしいと思うZYXなど
については全く共感を得られないのも事実だが…)。



結局、娘。達は僕にとっての宗教なのかも知れないと思う。
メロディーと萌えを教義とした宗教。社会通念上の常識や善悪を飛び越えてもそれを
信じたいと思う気持ち。どう思われても、僕は突き詰めればそこに行かざるを得ない。
キショいと思われてもどうでもいい。

だから、僕は筋道だった論理に反論する事ができないのかも知れない。
議論にならないのかも知れない。僕は論理より、娘。達が与えてくれた物語を信じていたい。

そして、僕はそれを黙っているよりは、発する事の方が大事だと思っている。
それが、誰かにとってどんな醜いかたちに見えるにせよ。

作り笑いは本当に苦手なのだ。

Posted by うたか at 01:05 PM

August 15, 2003

なっち辞めないで!

生きているってくそったれなことだと思わない?
僕は何もしたくないし、何もされたくない。

最低限の権利を選び、最低限の義務と責任を果たしたい。
日本と言う国においては、多分、僕は最低の駄目人間だろう。
駄目人間は、広告と引き換えに様々な情報を享受する。
ゴミの中には、必要なものなんて殆ど無い。だけどある日、
僕らはモーニング娘。と言う情報を、ふと拾い上げた。
それに衝撃を受けた訳でも無く、それを役立てようと思った訳でも無く。

モーニング娘。は低俗なものであり、野蛮なものであり、
慰みものであり、そして、それは一過性のものである筈だった。
それは1998年の僕にとっての真実だった。

そして2003年の真実として、僕らは、モーニング娘。に心臓を貫かれ、
そこから身動き出来ないでいる。

モーニング娘。の歴史について、「推しメン」主観が入るのは間違いない。
またはサブカル的な視点や、音楽的な視点、ブロレス的な視点がその中心になったりする
のも当然なことだと思う。人の感じ方は人の数だけあるし、愛し方もまた同じだと思う。

でも、僕達はそれぞれの推しメンによって貫かれた胸の傷痕を眺める時、
その意味について考える時、無意識的に、最終的に、モーニング娘。とは何か
と言う命題に突き当たる筈だ。生理的な「好き嫌い」の背後にある大きな流れを
感じる筈だ。とても、とても大きな流れを。

そして、そこには間違いなく最初になっちの顔が浮かんだ筈だ。
娘。が何なのかと言うことを考える時、僕らの思考はそこで否応なくストップする。

僕は、それは思考の放棄では無いと思う。

僕は、それが答えなんだと思う。
なっちの存在が、僕らの伝えたい言葉なんだと。
僕らの心の中でかたちにならなかったものは、なっちとしてそこに存在しているのだと。


僕らの人生におけるある種の素晴らしさは、温かみは、存在によってしか伝えることが出来ない。
僕らはその欠片を言語によって修復していくことしか出来ない。


モーニング娘。は、萌えを超えた救済を与えてくれた。


なっちが、娘。なんだ。


楽に死ねる方法が有ったら、そのまま死にたい。

その訳が説明できないから苛々する。僕にはもう余裕が無い。
モーコーでPPPHなんてできないよ。

「ありがとう」も言いたくないし、「おめでとう」も言いたくない。
俺は、泣きながらこんなことしか言えない。

世界はファンとは無関係な方向に向かって流れていくんだろう。
何も変わらないかも知れないけど、嘘は言いたくない。

ずっと言えなかったけど、なっち、好きだ!


なっちのこと、大好きだ!!辞めないで!!

Posted by うたか at 10:56 PM

August 10, 2003

メロディ

音楽っていうのは基本的にリズムとメロディで出来ている
リズムっていうのは時代であったりいわゆる生活その生活のスピード。モーニング娘。を音楽に例えると新しく入ってくるメンバーがリズムを作りその時々のモーニング娘。の大きな流れを作っていたように思う。いわゆる初期のメンバー飯田や矢口もリズムを作っているのではないだろうか、わかりやすいところだとミニモニ。を作って新しい流れを作り出したことなどがいい例だろう、飯田にしても独自のリズムで瞬間的に周りを巻き込んでいたりしている(リーダーになってからそれが少なくなったような気はするが…)そして、なっちはと言えば娘。の中のメロディを担っていたように思う、メロディっていうのは心と言えばよいのだろうか、なっちのあの笑顔が娘。の中にある不変的なものとして存在しているのではないだろうか。

例えば、ビートルズが何故未だに世界中で愛され続けているのかは、音楽的探究心や実験的な部分、そして今の音楽的手法の全ての基礎がそこにあるからとか要素はいくらでもあるだろう、しかし絶対的に支持されている部分として、あの美しいメロディがあるからではないだろうか(ビートルズを嫌いなんていう人を僕は知らないし、もしいたとしてもそれはただのひねくれもんだ)。メロディっていうのは不変的でいつの時代でもいいと感じる部分はどんな人でもある程度同じなんじゃないだろうか。

メロディの無い音楽なんて僕は聞きたくないし、そんなのありえないと思う、いわゆるノイズ・ミュージックやミニマル・ミュージックにだってメロディは存在するしリズムは存在する。そのどっちかが無くなっても成り立たないんじゃないだろうか。

モーニング娘。っていうメロディをなっちがを奏でていて多種多様なリズムを他のメンバーが作っていたように僕はずっと思っている、もちろん他のメンバーがメロディを奏でる時もあるだろうが、なっちのあの笑顔こそが娘。のメロディのように思う。

Posted by しのぶ at 04:28 AM

August 09, 2003

リクエスト

矢口さん、そしてなっち、こんばんは。

いつも楽しく聴かせてもらっています。
今日は番組になっちが来ると聞いて、メールしました。

なっちの卒業のこと、初めて聞いたとき、ものすごくショックでした。
できれば、嘘であってほしいと思いました。
でも、それは現実で・・・、いまでもショックは続いています。
正直悲しいです。ぼくはモーニング娘。のなっちが大好きでした。
もちろんなっちが卒業するまではまだだいぶあるし、卒業しても
なっちが嫌いになるわけじゃないけれど・・・、
でもぼくは「モーニング娘。のなっち」のことが本当に本当に
好きなのです。
というか、ぼくは「モーニング娘。」というのは、なっちのこと
だと思っていました。
なっちがいつも真ん中にいて、楽しそうに笑っているグループの
ことだと思っていました。
ごっちんや圭ちゃんの卒業もすごく悲しかったけど、でもなっちや
カオリがまだいてくれたから、ぼくたちはモーニング娘。が
あの昔からのモーニング娘。だと思っていられたのです。
ぼくたちが愛したなっちのいるモーニング娘。が、卒業によって
変わってしまうことが、悲しくてなりません。

娘。のままソロ活動もやるというんじゃダメなんですか?
ソロデビューおめでとうという気持ちはあるけれど、なぜ
なっちが娘。をやめなければいけないのかが、正直わかりません。
なっちは幾つになってもモーニング娘。のままでいいと思います。
それはなっちだけじゃなくて、もちろん矢口さんも、今いる
娘。のメンバー全員についても、そう思っています。
みんなずっと娘。のままでいいじゃないですか、それがなぜ
いけないんですか?

なっち、お願いですから、いまからでも卒業をやめにしてくれませんか?
「嘘だよーん、みんなを驚かせようと思っただけだよーん」と
笑って言ってくれませんか。
みんな怒りません。「なーんだ、よかった。そうだったのか」と
笑って許すと思います。
だからいつまでもモーニング娘。にいてくれませんか?
なっちにはずっとモーニング娘。でいて欲しいんです。

勝手なこと言ってごめんなさい。
でも、これがぼくのいまの正直な気持ちです。
できれば、なっちが卒業のこと自分でどう思っているのか、もっと
くわしく聞かせてください。

リクエストは「真夏の光線」です。
これがモーニング娘。の曲であり、同時になっちの曲だと思うからです。

では、矢口さん、なっち、暑い夏が来ましたけど、身体に気をつけて
毎日頑張ってください。

Posted by ディピオ at 04:23 AM

August 08, 2003

あの衝撃的な発表から…

あの衝撃的な発表から2週間が過ぎた。早くもすでに、なっちの卒業について語ろうする者は少ない。たしかに悲しみと無気力は、私が見て回るごく狭いwebの世界のあちこちにも重く垂れ込めてはいる。しかし、当初はかなりのショックと拒絶反応を引き起こしたかもしれないなっちの卒業宣言は、いまや逃れようのない定めとして、あっという間に人々の心の中で既成事実化してしまった。度重なる残酷な改変や卒業という事実を経て、崩壊に馴れてしまったかのように。こうして私たちは次第にニヒリズムへと陥っていくのだろうか(繰り返される卒業によって荒んでいった、過去のアイドルグループのファンたちがそうだったように)。だがしかし、ニヒリズムほどモーニング娘。に似つかわしくないものはないではないか。
それにしても、今回はよりにもよって、なっちなのだ。モーニング娘。の魂であるなっちなのだ。インタビュー等でなっちはしばらくモーニング娘。をやめないと言っていた。モーニング娘。が醸成する幸福を愛してやまない私たちとしては、呆れるしかないマイナスな展開が続きながら、しかしそれでも娘。を信じてきたのは、なっちとカヲリが娘。に残っていてくれたからだ。それだのに、突然こんな話があるだろうか。とても、ああそうですかと簡単に受け入れられるものではない。たとえ、なっち本人が望んでそれを受け入れたのだとしても‥‥

Posted by ディピオ at 04:20 AM

August 03, 2003

僕らはなっちの子供たちだ

なっち 僕らのママ ママ行かないで  僕らを置いてかないで
なっちママ 僕に もっとミルクをちょうだいよ いつまでだってやさしく叱ってよ

僕らはなっちの子供たちだ。

ママがお家からいなくなっちゃうのに、僕は、ママに、「おめでとう」だなんて言えない。

なっち行かないで
なっち行かないで
なっち行かないで
なっち行かないで
なっち行かないで
なっち、置いてかないで
なっち行かないで
なっち行かないで
なっち行かないで
なっち行かないで

ママにはいつまでもお家に居てほしい、ママ、だから、どこにも行かないで、

なっち、娘。を、やめないで、なっちやめないで。

Posted by 辻ちゃん博士 at 03:53 AM